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準備は良いか。
固唾を呑んだ委員長の固い声に、笑い声が潜まれる。
時刻は八時五十五分。あと五分後に、開催の狼煙があげられる。
白いワンピースやらTシャツやらが血まみれの服を身にまとった集団の円陣なんて、傍から見たら奇妙極まりないだろう。午前シフト組だった名前ももれなく赤にまみれていて、擦り切れた包帯が手首から垂れている。肩にずしりと重みが乗せられる。


「――ヘイガイズ!! 準備はここまでいよいよだ! 今日は一日無礼講!! 学年学科は忘れてハシャげ!! そんじゃ皆さんご唱和下さい――」


プレゼントマイクの声が、晴れ渡った空に響き渡る。
腕時計の長針は十二を指した。


「雄英文化祭、開!! 催!!」


パアンと続けざまになった空砲。空から降ってくる紙吹雪がグロテスクな服を飾る。
今日は一日頑張ろう、と高々に上がった委員長の声に、おお、と全員の声が揃った。色とりどりの服が動き始め、C組の案内列もすぐに長蛇と化した。控室で皆が準備をしている間に、適当なパーカーを上からかぶる。


「柚希、ごめんありがとう! A組の終わったらすぐ戻ってくるから!」
「あとで屋台のなんか奢ってよー!」
「了解!」


行ってらっしゃいと笑った柚希に目いっぱい頷いて、グロテスクな服装を隠しながらに体育館に向かった。バンドの開始は十時からなので、できれば埋もれない辺りがいいなんて思っていれば足も駆け足になっていく。ついでに宣伝もしてきてということで背中に心霊迷宮と書かれた段ボールを首から提げて走っていれば、体育館の入り口あたりに通形とエリをを見つけた。


「通形先輩! エリちゃん!」
「名前ちゃん! これまたすっごい格好してるね!?」


顔面に血のりの化粧はしていないけれど、パーカーから覗く服装は血まみれに変わりはない。すかさずエリちゃんにペンキだよと笑えば、彼女は腹の硬くなった赤色のあたりを恐る恐る触って本当だと目をぱちくりとさせる。
体育館にはすでに列ができ始めていて、早めに来れて正解だったようだ。
体育館脇で何やら相澤が誰かと電話をしていて、その表情が少しばかり険しくなっている。何か問題でも、とも思ったが、エリがいる手前、不安要素を晒す必要はない。通形も気づいたようで、彼は目を合わせるとニッと笑った。


「エリちゃんは今日はずっと通形先輩と一緒に?」
「うん。ルミリオンさんが、でーとだって」
「男女の蜜月ってやつさ!」


あははと豪快に笑っているけれど、あまり妥当な言葉選びではないような気がしたのは気のせいではないだろう。エリちゃんと楽しく過ごすってことですねと言い直しておけば、エリは楽しく、と言葉を復唱させる。


「…きっと、今日はいっぱい"楽しい"よ」


これから起こるものを"楽しい"ものとカテゴライズしたい。彼女の引き出しにラベリングをしたい。そういうものは傲慢なのかもしれないけれど、たった六歳くらいの女の子が笑ってくれるのであれば、なんだっていい。人ごみに潰されそうなエリを通形が抱えたところで、開場の声がかかった。
幕の下ろされた体育館に詰め込まれるようにして前列に近い場所を確保する。通形の背も高いので、十分彼女もステージを見ることはできるだろう。
二階の通路を見上げると、切島の姿が見えた。その隣に瀬呂と轟もいるようで、彼らはサポート役に徹するようだ。不意に目の合った切島が手を振って、頑張ってと届きはしないだろう声を上げて振り返した。
それから十五分ほどしたあたりで、バチンと照明が落とされる。一気に暗くなった館内に、生徒の囃す声が反響した。
幕が、ゆっくりと開けられる。暗がりの中で、壇上に並ぶ影が動いている。


「いず、左側にいるよ」
「よくわかるね」
「双子ですから」


成程、と笑った彼の声にかぶさるように、ステージ上のバックライトが点灯した。


「雄英全員――」


爆豪の声が、聞こえた。どうやら後方でドラム担当のようだ。多才だなあとごちた声を叩き潰す「音で殺るぞ」が聞こえたけれど、相変わらずさを笑う以外になかった。
盛大な爆破に引き続いて掻き慣らされる音が弾ける。正面に立つ出久の目が、エリを見つけた。
ダンスなんてしたこともなかったけれどドラムに合わせて跳ねる足に床を踏む靴音は揃っていて、本当に今頑張ってて、と訴えていた彼の声を思い出した。
天井に向かって飛びあがったレーザーの光が観客を照らし出す。エリの頬を柔らかく掠めていく。
ワンパートほどを踊ったのみで袖に消えた姿に出番短い、と通形と思わず声を上げた。
サビに向かって、音が駆け上がる。通形の腕から身を乗り出した彼女の耳に、この炭酸のように弾けていく音が残ってくれればいい。


「――っわあああ」


頭上を走る氷の道、降り落ちるスターダスト、前からも後ろからも溢れ出る声。上鳴がアンプごと浮いている。出久はレーザーを出す彼を吊り上げているようで、必死に梁を走り回っていた。
――誰かよりも傷が多いから、ヒーローだというわけじゃないんだ。
炭谷がよく言っていた。ヒーローは傷を厭わない。傷が多い人ほど優れたヒーローだと持て囃されると言った名前の言葉に、彼は苦い顔をしながらも首を振った。


『――無傷のヒーローこそ、最高のヒーローだ』


両手を挙げて、氷の雫に頬を濡らしながら。エリは笑っていた。真っ直ぐに光り輝くステージを見つめて、笑っている。
自分の所為だという口癖。何度も何度も痛い思いをしてきたという暗い過去。まだ救われていないエリにできることならなんだってしたいんだと拳を握った出久。――彼からは、見えているだろうか。
耳郎の歌声に、ひっそりと通形の涙をこぼす音が溶けた。

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