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『全員、午後メンバーとチェンジ! お疲れー』
無線から委員長の終了の声がノイズ交じりにかかった。ぼんやりと浮かせていた炎を消して心操のいるギミックの場所まで戻ると、天井裏には午後メンバーのクラスメイトが待機していた。
「このフロア結構ホラーゾーンらしいぜ。ずっと火の玉に追いかけられるって」
「つい、脅かすの楽しくなって…」
「コントロール、このおかげで上手くなったんじゃない?」
名前と同じポジションの彼は小さな水の塊程度なら生成できる個性で、今度は水の玉に追いかけられるようになるのだろう。
それじゃあお疲れーとハイタッチをしたあと、天井裏から垂れ下がるはしごをよじ登って控室まで戻る。四つ這いになりながら狭いスペースをしばらく移動するので、なかなか膝が痛い。手作りの木の板を軋ませながら、時折聞こえる叫び声に一笑した。
「――楽しいね、文化祭」
雄英高校に入学してから、いろんなことがあった。大抵の一般市民は無関係に過ごすはずの敵犯罪に多く巻き込まれながら、出久も名前も爆豪も、こうして普通の文化祭を送っている。思い思いの時間を、過ごしている。それぞれが前を向くために。
突き当りのスタッフ用の階段を下りながら、伸びをした。
「ほんと、雄英に残れてよかった」
少しの間を空けて、そうだねと、心操が笑った。そういえば、と先程の土産話を思い出して、声を落としながら「相澤先生が――」と話をする。想像できないと目を細めた心操と控室に戻る頃には話も終わり、着替えを済ませて一人また一人と出て行った。
顔に張り付いた血のりを洗い流して、クラスTシャツを被る。ワンピースをかごの中にしまい込んで、急ごしらえで作った更衣室から出るとそこにはまだ心操がいた。
「誰待ち?」
「いや、二年のアスレチックのあたりで待ってるって言われたんだけど、どこか探し中」
「あ、柚希たちもそこにいるって言ってたんだけど、一緒に行こ」
パイプ椅子から立ち上がった彼と控室を出ると、外の日差しも薄っすらと橙色をまとい始めていた。
C組のまだまだ長い列を横目見ながら歩いていると、前方から切島がやってきた。上鳴と芦戸たちはつい一時間ほど前に心霊迷宮の中で会ったばかりで、今度は彼が誰かと来てくれたのかと思いきや、少し下がった目線の先に夏休み前を最後に会わなくなっていた炭谷の姿があった。
「!! 炭谷さん!!」
車椅子を押す切島も名前に気づいたようで、屋台の切れ目をジェスチャーで指さしながらそこに向かって走り寄る。押していた切島の少し後ろに、爆豪が立っていた。炭谷はきっちりとスーツを着ていて、もしかしたら雄英の仕事関係で来ているのかもしれない。
心操が首を傾げながら、名前をちらりと見た。
「いやあ、会えてよかったよ。ありがとう、切島君、爆豪君」
「ンで母校で迷子になるんだよ」
「迷子というか、名前が何組か聞くのをすっかり忘れていてねえ」
背後の爆豪に振り返りながら、はははと豪快に笑った彼は目を細めて再び名前を見上げた。
「炭谷さん、どうしたんですか? お仕事?」
「ああ、雄英の警備の方でね。カイトもファンドも、今頃どこかでパトロールしてるはずだ」
相変わらず、この学校の文化祭は趣向が凝っているよ。
周りを見渡しながら、次いで心操に目を留めた炭谷は掌を打って名前と心操に視線を一巡させる。
「もしかして君が心操君かい。個性訓練、一緒にやってるっていう」
「――はい、同じ普通科の心操人使です」
「炭谷硬史です。昔、ヒーローをしていて、名前とはその頃からの付き合いだ。いや、頑固な名前の相手は些か骨が折れるだろう――」
「炭谷さん、何言ってるんですか」
冗談だよ、と項に手をやって笑う炭谷が名前の奥にある時計を見やってからハンドリムに手をかけた。
「職員室に寄る途中で会えたらと思っただけでね、二人とも折角の時間を悪かった。名前も心操君も、訓練、後悔のないようにね」
頑張りなさいと言わない所が、炭谷らしいと思った。はい、と破顔しないように口角を引いたせいで不器用な表情を浮かべた名前を彼はまた笑った。
切島がグリップを掴もうとしたところを、もう大丈夫だとやんわりと断る。それじゃあ、と手を振って、器用にハンドリムを引いて方向を変えた。
――パァンと、たった一発だけ花火が上がった。花火だというには小さなものだったので、もしかしたらサポート科が上げたアイテムの一部だったのかもしれない。
それでも、午前中に見たエリのレーザーの光に照らされた笑顔を思い浮かべるには十分な鮮やかな色だった。
――名前、私はもう、ヒーローにはなれない。病床で、涙をこらえて笑った彼の一言が脳裏を過る。無傷のヒーローを目指していた炭谷が、くずおれた日だった。
「っ、グランファ!」
全寮制になって、グランファ事務所には通えなくなった。メッセージのやり取りも頻繁に交わすわけではなく、カイトやファンドの活躍を時折地元記事で見るくらいになった。
――これを逃したらまた会えなくなる。紫陽花に祈った雨の日を思い出す。明日も明後日も、彼がこうして笑っていられる保証なんてどこにもない。生きているよと信じる声と、その事実は全くの別物だ。生きている限り、いつかはそういう日が訪れてしまう。
僅かに傾けたタイヤのまま、彼は弾かれるように名前を見上げた。
呼び止めようとしてその名を呼んだのは、あの倉庫の中が最後だ。あの背中を、忘れることはないだろう。
「――呼ぶのが怖かった。また、傷ついてしまいそうで、傷つけてしまいそうで。炭谷さんって、名前で呼ぶことは貴方がヒーローだったことを否定してしまっている気がして、ダメだと思ってても呼べなかった。でも、そうじゃくて、オールマイトが今も"オールマイト"でいるように、炭谷さんもずっと"グランファ"のまま、そこに一ミリだって隙間はなくて、だから……っ炭谷さんはグランファで、グランファは、ずっと、私の最高のヒーローです!」
ヒーローでしたと、ベッドに埋もれながらしわがれた声で言ってしまったけれど、過去になるべきものではなかった。彼だけは、緑谷名前にとって唯一無二の最高のヒーローだったのに。
「…っ私を、救けてくれて、ありがとう!」
何度も何度も殴りつけてしまったグランファの心を、こんな一言で赦されようはずもない。それでも、ずっと言ってこなかった。何故救けたのかと責め続けて、本当に正しく彼の傷に向き合うこともせずに。
思いのほか大きな声になってしまったせいで誰彼の視線が集まる。少しの気恥ずかしさに頬が熱くなっていくけれど、炭谷は反対に段々と首を擡げていった。あんまりに長い間――そう感じていただけかもしれない――彼がそのままだったので、炭谷さん、と恐る恐る声をかけると、彼は肩を震えさせて笑い始めた。
「…ああ、よかった」
一言、そう零れるように呟いた。笑い過ぎて溜まった目尻の涙を人差し指で払いながら、名前と名を呼んだ。そろりと彼に近づくと、ぽんと頭を撫でられた。
「ありがとう、名前」
そうして、彼はタイヤを反転させて雑踏に消えていった。
すん、と鼻をすする。斜め前に立っていた爆豪が視界に入って、彼がうっすらと口を開けるより先に笑った。
「――大丈夫、泣かない」
そうかよ、と爆豪はポケットに手を突っ込んだまま歩き出した。その後を追いかけるように、大きく足を踏み出した。
笑い声がいくつも耳元で通り過ぎていく。こういう声を、きっと炭谷は守ってきたのだろう。爆豪たちは、これから守っていくのだろう。
傷を背負いながら、膝をついても立ち上がって。何度も、何度も。――ヒーロー、だから。
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