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十一月も下旬に差し掛かる頃、エリがどうやら雄英高校の教師寮に入寮することが決まったそうだ。


「――というわけで、訓練に付き合いきれん時もあるかもしれないが、一分一秒を大事にしていこう」


冬用のジャージに首元を埋めながら、相澤の近況報告に心操と顔を見合わせて頷いた。
――十二月の第一週の六、七限目。ヒーロー基礎学演習の時間にヒーロー科の戦闘訓練を行う。
文化祭が終わって最初の相澤との特訓の日に、そう告げられた。それは心操のヒーロー科への編入試験に恐らく関わっている。恐らく、というのは、そうとは伝えられていないからだ。けれど、このタイミングでの戦闘訓練に心操も参加しろだなんていう通達はつまりそういうことに他ならないだろう。
もう時間も差し迫っている。相澤の時間は有限だなんていう口癖を耳がタコになるまで聞かされなくても、彼ももう理解している。
彼は捕縛布とマスクを用意しながら、軽く体を動かし始めた。
――文化祭前にサポート科に作ってもらったというアイテムは、彼の初見殺しの個性を補うためのものだ。彼の声だけではギミックが明かされた場合、どうしても洗脳をかけることが困難を極める。だからこそ、その声音を他者のものに似せることで返答を促すという声帯サポートのアイテムだった。
彼の姿を横目見ながら、名前もポケットから少しばかり厳めしいバングルを取り出す。
これも、遡ること文化祭前の話だ。

それは、名前の喉が治りきった週の水曜日のこと。


『――緑谷。あの火力はもう使うなよ』


訓練開始の開口一番にそう言われた相澤の目は凄んでいた。リカバリーガールにも、あんたはヒーローを目指さないんだろうと意思の確認をされた手前、身に余る火力はもう使うこともない。彼の言葉に何度も大きく頷けば、相澤は小さくため息を吐いた。


『お前、まだやりたいことがあるんだってな』
『…はい』


リカバリーガールから聞いたのだろう。名前は目を逸らさないままに、それでも多少泳がせた。
今更に、それが正しいことかは分からなかった。


『私が個性訓練を始めたのは、この個性が誰かを傷つけないために、でした。もう暴発したりしないように…。ただ、出久にとって、それだけでは足りないのだろうと、そう思っていたんです』


ヒーローである出久と無関係ではいられない。だけれど、彼に"無力な名前"を背負ってほしくはない。何かがあったとき、すぐ救けには来られなかったとき。自力でなんとかできるとは今でも言えない。だからこそ、時間稼ぎくらいはしてみせるからと、あの病室で勝手に約束した。彼はそれに未だに納得はしていないだろうけれど。


『ヒーローになった出久が不安にならないように、私はもう少し、逃げられるようになりたい…です』


――それが、ヒーローにはならない名前の最後の答えなのだと思う。戦うことはできない。けれど、それだけでは出久にもう大丈夫だよとは言えない。名前は、その一言を彼に言いたいのだ。言うことができるようになるために、訓練を重ねてきたのだ。
身の危険となるあらゆるものから、逃げること。それが、ただの名前にとっての最善手。
相澤はヒーローの人であるから、この思考は理解には及ばないだろう。案の定、いつもよりも僅かばかり眉間を寄せている。


『…実は、俺のこのマスクを頼むとき、一緒に緑谷さんの話もして』


心操は項に手をやりながら、左下に視線を落とす。


『サポート科の人が、合間に作ってくれたんだ』


いつも捕縛布を入れている袋を漁ると、文字盤のない厳めしい時計のようなバングルを取り出した。
アルミ製と思しき外装は指三本分はあろうほどの幅をしていて、甲側の天面にリングが一つと時計のリューズのような突起が一つ、側面についていた。


『緑谷さんの個性と機動力を考慮して作ったって。天面のリングを引っ張ると耐炎性の帆が張れて、手首を曲げるかこの突起を押すかすると、』


心操が掌に収めたまま突起を押すと、何かが目的もなく真っ直ぐに飛び出した。かと思うと瞬間的に巻き戻されていく。


『いわゆるピアノ線みたいな鋼線が磁力つきでリール状になってるらしくて、目的物に鋼線同士でくくりついて二人分くらいまでなら吊れるって』
『…そ、んなものを普通科の私がもらってしまっていいんですか? ヒーロー科みたいな申請とか…ていうか製作費のような…』
『一般人のアイテムで攻撃力もないもんに申請も何もないだろう』
『サポート科の人、使い心地だけ教えてくださいって』


その人、発目さんっていうんだけど。
心操から手渡されたバングルのあまりの軽さに、出久から時折聞くその名の人の天才具合を図らずも知った。



――というそんな経緯から、名前のやるべき最後の課題は決まった。
パチンとバングルをはめる。
一応日常的にも使えるようにとのことだったが、外出時以外は身に着けてはいない。ただポケットには必ず入れるようにはしていた。そういうために作ったのだから、肌身離さず持っている。


「今日も戦闘訓練だ。応戦にしろ逃走にしろ、心操は緑谷をうまく誘導させろよ」
「はい」


十二月の第一週のその日まで。
――名前にとっても、それが最後の日だ。

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