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あれから数週間が経った。


「緑谷さん、相澤先生が職員室にって」


昼休みが始まったばかりの時間に、心操が相変わらず気だるそうな瞼で瞬きを繰り返しながらそう言った。食堂に立とうとしていた足を、心操の後ろに並べてついていく。
――今週は十二月の第一週だ。恐らく、午後のヒーロー科の演習に呼ばれたのだろう。心操もなんとなく察しがついているようで、初めて感じるような緊張感が二人の間に流れていた。
職員室には相澤の隣にブラドキングも並んでおり、お互い一瞬だけ目を合わせた後に生唾を飲み込んだ。


「急で申し訳ないが、この後行われるヒーロー科の午後の演習に参加してもらう。心操は六、七限公欠扱いになるが、緑谷は欠席扱いになる。それでもいいか」


本来であれば、そもそも編入する気もない名前など参加もさせてはもらえない授業だ。
いつも有難うございます、と頭を下げれば、相澤がぽすりと肩を叩いた。


「…敵犯罪に巻き込まれてばかりのお前に言うのも、なんだが…世の中、理不尽なことで溢れている。身勝手な敵も自然災害も、何一つ、思う通りに行かない。だからこういう授業を一年の頃からやってるんだ。ヒーローになりたい奴は、お前からすればネジが一本飛んでる連中に見えるかもしれないな」


それくらい、覚悟してみろよということだろうか。いつも心操としている戦闘訓練の比ではないということだろうか。
上体を持ち上げて、答えにあぐねて眉尻を下げる。


「……それは、なんとなく、もう分かってます」


誰かを救けたい。それが仮令、命を懸ける状況になろうとも。
そんな人たちばかりだ。それでも、出久はそういうヒーローを目指している。
――目指してほしくない。傷ついてほしくない。ヒーローになってほしくない。
今でもそう思う。これからだって何度もそう思う。何度だって彼の傷に涙も流そう。彼の解決せしめた事件の数だけ心配もしよう。それでも、彼はヒーローだった。分かっている。それとこれは、もう混ざり合わないものだ。だから、名前は名前にできることをする。名前に出来ることが、いつか、出久の足を縛り付ける何かから逃れることができるように。
そんな希望論を抱えている。


「…有難うございます。相澤先生」


彼は椅子から立ち上がると、それじゃあまた後でと薄く笑った。



   *     *     *



運動場γの舞台の下で、騒々しい声を聞いていた。
体育祭の頃からA組とB組の衝突具合をなんとはなく話に聞いていたが、仲良く切磋琢磨しているという関係性ではないような声が上階でわめき散らされている。


「…心操君、頑張って」
「うん。ここで頑張んないと、もう後がないからね」


舞台の階段近くにいた相澤が手を挙げた。心操を先頭に、数段距離を置いて後をついていく。


「今回は特別参加者がいます」


ブラドキングの声に、こういうのあんまし好きじゃないとぼやいた声を聞いたけれど、もう笑う余裕もない。
階段を上り切った彼は、相澤の隣に並ぶとどーもと会釈を一つした。


「ヒーロー科編入を希望している、普通科C組の心操人使君だ」
「心操ぉお!!」


舞台の壇上で心操の個性や出で立ちやいろいろな話が飛び交う中、階段の下で隠れるように彼の話を聞いていた。


「…何名かは体育祭で既に接したけれど、拳を交えたら友達とか…そういうスポーツマンシップ掲げられるような気持ちのいい人間じゃありません。俺はもう何十歩も出遅れてる。悪いけど必死です」


夏休みの個性伸ばしのための合宿も、彼は家で只管座学とトレーニングに費やすほかなかった。相澤のいる訓練の日は朝から張りつめていて、とくにこの一か月は顕著だった。


「立派なヒーローになって、俺の"個性"を人の為に使いたい。この場の皆が超えるべき壁です」


ヒーローみたいな個性。敵みたいな個性。
そんな根も葉もないレッテルと相対評価に晒されて、それでも彼はずっとヒーローを目指して藻掻いていた。
――出久や爆豪の個性が鮮烈すぎて、だからこそ、今でも思う。心操の個性があれば彼がヒーローになったとき、全員が無傷になれるのではないかという、炭谷の理想を彼に思い描いている。


「おい緑谷、いつまでそこにいるんだ」
「っあ、相澤先生…」
「――え! な、名前!? なんで、ここに…!?」


くじ引きも終わり戦闘準備に向けてひと段落がついたころ、相澤が不可解そうな顔をして舞台上から見下ろした。
その言葉につられて出久も階段下まで駆け寄ってきて、名前の肩を掴む。


「――まさか、名前もヒーロー科に編入するとか、」
「違うよ。私は、その……見学、に?」


本当の理由はほかにもあるのだか、見学も間違いではない。
出久に連れられるように舞台上に引っ張られると、A組と体育祭で見たことのあるB組の全員の目がこちらに向いていた。


「まあ、ただの見学者と思っていい。授業の戦闘訓練には参加しない」
「緑谷名前です…よろしく、お願いします」


あの緑谷の双子か、なんていう声がB組から聞こえてきたけれど、見学者なんていうよく分からないポジションのせいかとくに声はかけられなかった。
芦戸や麗日たちも目があって手を振るくらいなもので、授業が訓練なだけに空気は些か張り詰めている。理由の一つに心操もあるのだろうけれど。
――名前の答えが正しいかは分からない。けれど、この場にいることが間違いだとは思わない。だから相澤も、こうして最後の訓練だと名前を呼んだのだ。
もう大丈夫。その言葉だけが、まだ喉の奥で燻っている。

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