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戦闘から帰ってきた爆豪は駆け寄った出久と何かを話した後、そのまま真っ直ぐに名前の近くまで歩いてきた。ただ話をするには少し遠いような距離を置いて、彼は親指をマスクの下に差し込んで頭から抜き取る。
彼は入れ違いに出て行く出久の背中を睨むような眼差しを向けながら、おもむろに口を開いた。
「…俺がなりてぇのは、もっと強ぇヒーローだ」
オールマイトよりも。
移動を続ける出久達をモニターが捉える。
――最後の第五セット。Aチームが出久、芦戸、麗日、峰田。Bチームが物間、柳、小大、庄打、心操。
体育祭も、心操と出久が戦った。自分の個性に劣等感を覚えていた心操が挫けずに頑張って来られたのは、体育祭のあの日、ヒーローたちにかけられた言葉があったからだ。そうして、ここまでやってきた。
あの頃なんかより、出久も――爆豪も、強くなった。心操だって強くなっている。それでも、ミッドナイトですら無傷は難しいことだと言った。
『――ヨン-ゼロ無傷、それが本当に強ぇ奴の"勝利"だろ』
彼はいつも勝つことに拘っていた。誰よりも圧倒的な一番であることに固執していた。
チームの誰かが傷を負えばそれは完全な"勝利"ではなくなる。耳郎を庇った――足蹴にしていたけれど――ように、ヒーローになれば、これからは彼の後ろには守るべき誰かがいる。
そんなヒーローを目指していく彼のその厚手のコスチュームの下にも、今だって少しずつ傷がついていっているのかもしれない。
足元に籠手を置いて身軽になった腕を組む爆豪に向き直る。
目の前のモニターには出久を囮に動き始めたAチームを、Bチームが距離を取りつつ細工を始める姿が映っていた。
「――ヒーローは、気付いたら怪我が増えていくから」
彼は眉根をひそめて母音をひとつこぼすと、開きかけた口を噤む。
生きていればいつかは傷は癒えるものだと、笑っていた炭谷の身体に残る無数の痕。オールマイトの左腹に残る痕。出久の右腕。
本当に、彼らは少しだって怪我を厭わない。癒えたって痛むのに、痛かったことさえなかったことにしてしまうのだ。
だから――。
『先生、私――』
ミッドナイトは驚いた顔をした後に、有り難うと笑った。
いつも、正しいものが分からない。こうして考えたことですら、本当は意味のないことなのだろうとも思う。
「…治ったって、痛かった傷も、傷が痛いことも、全部、私が代わりに覚えておく」
それでも。誰も彼もが忘れてしまうのなら、見て見ぬふりをするのなら、いつか癒えるからと笑ってしまうのなら。
目を逸らさない。ただ見ていることしかできなかったとしても、何もできなかったとしても。笑ってしまうことに慣れてしまわないように。いつかその傷が背負いきれなくなってしまわないように。実体のない崇拝に似た棘に刺し留められてしまわないように。
爆豪の瞠った赤い目が、僅かに細まる。
「……もう怪我すんなって泣くんじゃねえぞ」
「それとこれは別」
「ああ?」
「――勝己君はきっと、もっと、強くなるから、だから、」
無傷で終わる完全勝利を本当の強さだと彼が言うのなら、強くなって、強くなって、そうしたらそれは理想ではない現実になるのだろうか。
――簡単にはいかないことくらい、名前にだって解る。そうなれるほど、敵は優しくない。世界は理不尽に塗れている。突然降りかかる自然災害も、凶悪で強大で無理解な個性も。
――なに一つだって、思う通りにいかない。
「――なんだ、あれ」
「緑谷、また新技かぁ」
砂籐の一言に、爆豪とともに画面を振り仰いだ。
右腕から放出される黒い何かが無数に伸びている。配管と配管の間をまるで心操の捕縛布のように飛び越えていく姿は確かにそういうもののようにもみえるが、あれは明らかに黒いそれらに引っ張られているだけだ。
――新技なんかじゃない。
ワンフォーオールのことを知っているのは、オールマイトと名前と爆豪だけだ。止めに、行かないと。右足が踏み込むより先に、爆豪が名前の左腕を掴んだ。
「かつ――」
「ここが敵のいる現場なら、お前はいけねえだろーが」
死柄木たちに立ち向かっていた時のような強い力で引き留められる。
鋭い双眸が名前を睨みつけていた。
未だに誰もがあの個性を異常だとは気づいていない。
出来ることなど何もないと、彼はいつだって優しくはない声で名前に言う。それが彼にとって名前への正しい言葉だと分かっている。
名前の揺らいだ瞳に爆豪は握る手を緩ませながらも掴んだままに、再び画面を見た。
「――あれがワンフォーオールの力なら、お前が出る幕じゃねぇ」
彼は次いで、黒い何かが個性の一端ならば手を出さなくても収まるだろうと、努めて冷静な声音で言い放った。――そうなのかもしれない。個性の暴走なら、この場には心操がいる。彼の洗脳がかかれば、あのエリの個性で出久共々に反応した名前と同じように落ち着かせることができるかもしれない。何よりここには相澤だっている。
芦戸たちのいる方向に飛ばされた黒い――鞭のような、しなやかな何かに、出久の身体が宙に放り出される。もしもこれが敵のいる現場で、彼が何者かと戦っている最中なのだとしたら。一体誰が――。
乾いた息が喉を通った。
――始業式の日。喧嘩をしたという出久と爆豪。"デク"の隣に名前は立つことができない。そういう役割ではないのだと知った日。
麗日が、出久の許に飛び出した。デクくん、止めてあげて。彼女の一言で、舞台にいた生徒全員があれは個性の暴走なのだと理解した。
『緑谷ァ! 俺と、戦おうぜ!』
洗脳がかかったのか、ふっと出久の黒いそれらが消えていく。麗日の呼びかけに意識を取り戻した出久は、再び戦闘の中に戻っていった。
――オールマイトのような果てのない強さは、彼をきっと唯一絶対の孤独なヒーローにさせていた。彼の隣に並ぶ誰かを知らない。サイドキックでさえ振り切って、たった一人、何処までも、正しい"皆のヒーロー"でいることを選んだのだ。
"デク"はきっと、心操や麗日たちに救けられる。オールマイトのように、ではなく、唯一絶対でもない。彼がヒーローとして進んでいくたびに、遥か遠く孤独に追いやられないように。きっと、彼らは隣に居るのだろう。
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