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ブラドキングが解散の号令を上げると丁度終礼を告げるチャイムが鳴った。
解放感に俄かに騒ぎ立つ舞台の上で相澤が一つ、咳払いをした。


「あー、A組でこの後用のない奴、少し残ってくれないか」


生徒同士の反省会が始まったことで誰も帰る気配はないようだった。
――緑谷名前がこの授業に参加したのには、見学以外にも理由がある。ヒーローにはならない名前にとって、心操のような明確な目標がない。個性訓練をしていくうえで以前と比べると大分火力の調整もコントロールも身についてきた。個性訓練をしていくための理由は「逃げられるようになるため」という随分状況による抽象的なもので、文化祭が終わった後に一つ相澤から提案をされていた。


『テスト…戦闘訓練、ですか?』
『緑谷出久に安心感を与えたいなら、相応の状況と相手がいいだろう。言葉だけじゃあ合理的じゃない』


今日の授業で行うとは言われてはいなかった。けれど、状況を考えたらこのまま実施される方が妥当だろう。
相澤の一言にB組も少し興味を持ったのか、彼の目が相澤に集まった。


「緑谷名前のテストだ。個性の暴発の可能性があったんで個性訓練をしていたが、これが期末試験みたいなもんだ。A組内で、緑谷を捕らえるのに最適な陣営を組んでくれ。人数は後で伝える。制限時間はニ十分だ」
「あ、相澤先生…!?」


二クラス分の視線が全て名前に集まる。ひゅ、と気道が狭まって、呼びかけた声がどもった。
人数不明ということは、言わずもがな多対一だ。


「…言ったろ。世の中理不尽なことで溢れてる。それとも――やめるか?」


彼の、いつもは気だるいはずの目尻が眇められる。
――中途半端に開いていた口を縫い結ぶ。少しでも弱音を吐いた自分が、情けない。相澤は心操にも名前にも容赦なく追撃の手を止めてこなかった。やりたいことがあったからだ。なりたいものがあったからだ。心操はヒーローに、名前は――。
小さく息を吸って、吐き出す。喉の調子は悪くない。バングルだって勿論ポケットに入っている。出久の、名前を呼ぶ小さな声が聞こえた気がした。


「よろしくお願いします」
「ああ。――あと、緑谷出久と爆豪は不参加だ」


出久の声が上がったけれど、八百万が「ご家族と親しい関係の方は基本的に敵犯罪の捜査にも協力できませんのよ。先週情報学で習ったばかりですわ」と少しばかり呆れた様子で彼を宥めた。確かに、と押し黙った出久がちらりと名前を視界に映す。
正直、出久がいなくて助かった。機動力で彼にはどう足掻いても勝てる見込みがない。先程の個性の事もあるので安静にはしていてほしいものだけれど。
それからA組内で作戦会議が始まった。


「…こんなに盛大になるとは思いもしませんでした」
「彼奴らにとってもいい機会だろう。但し、あの火力を使ったら問答無用で中止させるからな」


お前の目的にも沿わないだろ。
輪になるA組から少し離れたところで相澤と話をしていると、状況を聞きつけてきた心操が小走りにやってきた。


「心操、一応保冷道具持ってきといてくれ。保健室に行けばある」
「はい。…多人数っていうのも、厳しい課題ですね」
「それぐらい乗り越えろ。お前も雄英生だろ」


ニッと笑った相澤に、そうですねと思わず笑ってしまったのはこれが過大でも過小でもないものだと気付いたからだ。
心操がそれじゃあと保健室に向かうと、頃合いよくA組での話し合いも終わったようだった。


「相澤先生、決まりました!」


飯田の真っ直ぐに上がった手の傍に近寄る。相澤は思い出したように目薬を数滴垂らして、瞬きを繰り返していた。


「緑谷名前がスタートした五分後に敵役として入ってくれ。緑谷を捕らえて行動不能にするか、もしくは緑谷がニ十分間逃げ切れば終わりだ。それ以外はとくにない。質問は?」


本当にいいのか。そういう空気感を感じる。恐らく普通科だからと人選に手は抜かれていないだろう。
出久の物言わぬ目と、視線が交わる。――まだだ。唇を引き結んだ。
誰の発言もないようで、相澤はタイマーを設定させるとそれじゃあ始めるぞと精彩を欠いた声音でスタートを報せた。



   *     *     *



A組で円陣を組みながら、先程の解放感とは比べ物にならない空気が漂っていた。
緑谷名前はどう見てもただの一般市民だ。個性訓練をしていたと言っていたところでたかが知れていて、そんな相手に三人も選ばなければならないバツの悪い空気、というところだろう。
爆豪からすれば、相手が誰だろうとそんなもの然したる問題でもないというのに。


「…名前ちゃんの個性ってどんなのだっけ?」
「――火を吹く個性っていうのは知ってるけど、どの程度かは僕にも…」
「じゃあ機動力はあんましって感じだな。だとすると飯田と炎対策に轟、索敵で耳郎か?」


切島のあっさりと言ってのけた人選に、上鳴と芦戸が苦い声を上げた。


「えー…それはさ、もう詰みじゃない? 飯田がターボ使うか轟の氷結で一発だし、隠れてたとしても耳郎ちゃんの索敵で即バレだし、もう少し違う面子の方がよくない?」
「俺も。さすがに厳しすぎっしょ」
「…でも、相手が敵だと考えたら、その三人を選ぶと思うわ。誰が相手でも、油断はするべきではないと思うの」


蛙吹の一言に、二人が押し黙った。
もしも、相手が個性不明の敵であったなら。もしくは個性が判明していたとしても強さが分からなかったら。ヒーローは勝たなければならない。仮令それがどんな困難で、苦境に立たされていたとしても。そうであれば、勝てる個性の相性を組んで迎え撃つべきだろう。そうだというのであれば、飯田、轟、耳郎の人選に反論の余地はない。


「…これ、本当に個性訓練最後のテストってやつなのか?」


不意に轟の口を突いて出てきた言葉に、どういうことかと大半が首を傾げた。


「そもそも、あいつはヒーローにならない上に個性を制御するために訓練してたんだろ。だったら、対三人の状況なんてつくる必要がない。無意識下での制御が見たいならこんな不利な状況を作らなくても良くないか? むしろさっきみてぇな混戦するほうがいい」
「それもそうですわね…何か、他に意図があるのでしょうか」


他の理由、といったところで誰にも思い当たる節などあるはずもなく、視線は自然と出久と爆豪に集まっていた。


「……僕にも分かんなけど、かっちゃん、は…」
「知らねえよ。つか誰が相手でもぶちのめせばいいだけだろーが」
「名前ちゃん相手でもぶれねーのある意味すげえと思う」
「まァ、他の理由なんて探しても埒が明かねェし、切島の言う通り飯田、轟、耳郎が俺はベストだと思う」


瀬呂の最後の一言で、話は決まった。
――そうは言いつつも、爆豪には何となく想定がついていた。
ヒーローにならないから、来たの。そう言った彼女の顔は、真っ直ぐに前を向いていた。
"個性"がある。この社会にはどうしようもないもので、爆豪や出久や名前の間には、ヒーローがある。今までも、これからも。彼女は、そういうどうしようもないものと、折り合いをつけに来たのだ。

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