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あの日の相澤の口ぶりでは精々多人数の中に放り込まれるか単騎での戦闘になるのかと思っていた。まさか多対一になるとは。しかも人選も任意となると、ある程度相手も絞られてくる。
慣れた運動場γを走り抜けながら、五分の間に距離と高さを稼いでいく。できるだけスタート地点を見下ろすことができる場所が良い。
火を吹く個性というのは出久の前情報から知られているだろう。ある程度のコントロール能ももしかしたら伝わっているかもしれない。そうなると機動力に欠ける個性と捉えられて第一選択は飯田になる。次いで炎の対策に轟。三人目は索敵係を据えるのがベターだ。A組では耳郎、障子、口田の三人になるが、迎撃性能も併せ持つ耳郎か直接戦闘能力の高い障子が入るかというところだ。基本的に動向は知られていると考えていいだろう。
人数が不明ではあるが、相澤の性格を考えるにクリア不能な状況は作らない。どれだけ困難を極めようとも必ず一本の糸口さえ見つかれば解決策を講じることができるようにするはずだ。それを踏まえると、人数は多くて五人。ただし、轟と飯田がいることを前提に置くとするならばそれ以上の攻撃性能の高い生徒は選ばないはず。となると、サポート係で蛙吹あたりがいる可能性も考えておいた方がいい。
――配管のところどころについているカメラは名前を捉えているようで、これは出久にもしっかり見られることになる。
少しだけ息が上がる。腕を肘までたくし上げて、前方の配管に向かって突起を押した。鋼線がくくりつくのと同時に強い力で引っ張り上げられる。そのまま配管によじ登り、鋼線で上がってを繰り返して五階相当の高さまでのぼりつめた。スタート地点を見下ろせる場所、ということは反対に相手からも見つかる可能性は上がる。できるだけ壁に身体を寄せながら、呼吸を整える。


ピィ!


甲高い笛の音が、風に乗って耳に届いた。一瞬の音ではあるが、相澤なりの優しさということだろう。身を屈めながら入り口を見下ろす。まずは、相手を知ることから始めなければならない。



   *     *     *



おもむろに銜えた笛が鳴った瞬間、相澤はモニターを見上げた。
轟と飯田、耳郎が走り出したのを全員が確認すると、暗くなっていたモニターが起動する。名前の居場所を既に特定していたカメラ一台が大きくその姿を映し出していた。場所はスタート地点からそう遠くはない建物の屋上のようで、壁に張り付きながら階下を窺っているようだった。


「あれじゃあ逃げ場がねぇんじゃ?」
「…どうだろう。さっきの対抗戦見たなら、多分チームに飯田君か轟君がいることはすぐに想像がつくだろうし、逃げる算段だってあるはずだと思う」


切島の疑問はおおよそ誰もが思うものだ。機動力に欠ける名前の個性など、屋上で飯田と鉢合わせれば逃げ場など皆無だ。それこそ飛び降りるぐらいをしない限りは。
一方、轟たちを映していたモニターから、耳郎の短い声が響いた。


『なに、この炎!?』


彼女たちの前方の足元には炎が長く横に伸びていた。揺れる炎の先は腰ほどまでのぼっており、それが罠のような何かであることは容易に判断ができた。
――口から火を吐くだけではそんなふうに扱えるはずがない。母の個性は物を引き寄せるものだったので、それを受け継いだという名前にも炎を寄せるような能力があったとしてもおかしくはないと思っていたけれど、まさかここまで精彩にコントロールができるとは思いもよらなかった。
轟が右手を持ち上げた瞬間、飯田がその肩を掴んだ。


『…スタート地点にあるということは、彼女はこちらの人数や個性を探ろうとしているということではないだろうか』


もしも、炎の揺らぎを感じ取ることができるならば、或る程度の人数が絞れる。さらに炎を凍らせた場合、轟がいることは確定事項だ。


『……舐めてかかってるつもりはねえ。けど、個性と人数が知られることは、敵が一人だったことを考えても不利じゃねえはずだろ』


これが敵犯罪だった場合を想定することがA組に課せられた課題の一つだと思う。名前の個性しかわかっていない状況。隠れ忍ぶには最適な環境。
轟の一言に話がついたのか、足元を凍らせて先に進むことになったようだ。
そのモニターの右側に映る名前の挙動に変化はない。彼女が身動ぎして物音を立てなければ、大前提として耳郎の個性は意味を成さない。


「…名前ちゃんの個性って、実は轟の左手よりも凄かったりするんじゃねえ?」


上鳴が呟いた一言を覆すものは、未だなかった。



   *     *     *



炎をコントロールしていくうえで、その"揺らぎ"を薄っすらと感知できるようになった。相変わらず炎が消えない距離はその一端でも視認できる範囲と限られてはいるが、少しでも視界に映ればコントロール能はなくなる代わりに燃え続けさせることはできる。
その炎の一部が、ぱったりと消失した。炎を跨ぐよりも先に氷結を選んだようだ。これで人数の把握は難しくなったが、矢張り轟がいることは確定した。ということは、基本的には氷に追尾されるはずだ。同じ炎でこちらがコントロールできることは知られたので、むやみに炎を繰り出してくることは少ないだろう。
硬い金属を叩く音が反響している。重そうな音が紛れている。金属同士を叩きつけるような、硬くて踏みつける足は重量がある。――フルアーマー装備はA組では飯田だけだ。足元がスニーカーでないのは彼と青山、麗日の三人。二人目は案の定、飯田だろう。
彼の個性を考えると確固たる足場が固まっている地面に近い配管を走るのはすぐに捕まる。足場さえあれば逃げる選択に意味はない。尚更、高い空中での移動を考えた方がいいだろう。例えば、タンク間を行き来するようなもの。
――心操の動きを思い出す。いつも目の前で退路を、あるいは活路を作り出していた彼の背中には遠く及ばないが、文化祭の後からそういう動きは真似ている。
意気込んで、それから気づいた。


(…足音、止んだ?)


ぞわりと背中が粟立つ。索敵のための炎。敵は遠くないという判断。視認しなければ消えない炎。いや、どこまでを彼らが想定したかは分からない。
風を切る音。吐いた呼吸が、白くなっている。


「――流石だ、轟君!」

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