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※ 三パーセント発言に出典はありません。想像です。
「! 相澤先生!」
真っ暗な画面から一転、モニターに映った炎はまるで鉄哲との戦闘での轟を彷彿とさせた。相澤の隣に立っていた心操のそんな不安を覚える呼びかけに思わずそちらに顔を向けると、二人とも苦い顔を浮かべていた。
彼女のあの火力は何か問題でもあったのだろうか。出久の心配は顔に出ていたのか、相澤が呆れたような溜息を吐いてこちらを見やった。
「…まあ、辛うじて火力調整したな。…ったく、無茶は遺伝か? お前ら」
名前の個性が火を吹くことだとは知っていた。けれど、今映ったものはそんなものではない。夏合宿の時に、飯田、切島、八百万の四人で壁の向こうの様子を窺っていた時にちらと見たあの炎などよりも圧倒的な熱量だった。知らないことばかりだ。インターンでのこと、エリのこと、出久の身に降りかかっていたあらゆるものと名前の心配を天秤にかけるような無意味なことなどしないけれど、それでも彼の中でそういったものは随分と大きく占めていた。名前のあの個性訓練の近況も聞いてはいたけれど、彼女だって深くは何も言ってはこなかったのだ。順調だよと笑った声を聞いたのは、そういえば文化祭よりも前のことだった。
――あんな高いところから飛び降りて、心臓が止まるかと思った。かと思えば爆豪のような爆破も、左手のアイテムも、何もかも、知らないことばっかりだ。排気管から落ちていく彼女の姿はまるでしなやかな猫のようで、恐らくあれは飯田から逃げるための突発的な行動というよりは、個性訓練の時に何回か経験している動きだ。
「名前、」
喉が、痛む。
轟たちとの一戦から退いて再び上へ上へとアイテムを駆使して上っていく彼女は、タンクの上で動きを止めた。何やら咳き込んでは蹲っているようで、そういえば工場を抜けてからの彼女の動きは今までとは異なっていて、そうだ、まるで、熱に浮かされているような足取りだった。
――じくりと、彼女の火傷痕と同じ喉が痛む。彼女の感じている痛みが時折、出久にも流れてくることがある。名前の感じているどんなものも、出久には背負っていくことなどできないというのに。名前にも、こういうことはあったのだろうか。名前の痛みが出久にも流れるように、出久の痛みが名前にも流れていたことは、あったのだろうか。
激しく咳き込む背中がモニターに映る。ややもして漸く落ち着いたのか、ぺたりと座り込んだ彼女は上着を脱いで腰に巻きつけるとポケットから何かを取り出していた。
「…保冷材?」
何かよくは分からないけれど、長方形の柔らかそうなものを喉元に充てている。
相澤は右目の下の傷を指先で掻いた後、後遺症だ、と言った。心操がまるでそれを咎めるように「…相澤先生」とこぼしたけれど、彼は少しの間の後モニターを見上げながら続けた。
「一定以上の高温の炎を吐き出すと、喉が焼けて常に発熱しているような状態になる。だから、水分補給でも保冷材でも、熱を冷ますようなものがないと、苦しいだろうな」
「…だから、この間あんな声だったのか」
「――あんな声?」
上鳴がぽつりと零した声に、切島が覆いかぶさるように「なんでもねえよ」と両手を振った。
彼の視線は爆豪を僅かに気にしていて、当の爆豪は相変わらず鋭い眼差しで名前を見ていた。――見ながら、徐に唇を開けた。
「……お前も、個性ぶっ放してボロボロんなってたろ」
思わず右肘を掴んだ。
同じことを、彼女もしてしまったのだろうか。だというのなら、どうして名前は一言だって出久になんの相談も、報告だっていい、それすらもしてくれなかったのだろう。
個性が立ちはだかっている。出久と名前の間には、ずっと。
「…ヒーローだったらコスチュームで温度調整できんのに」
円場の言葉に、まあ個性としては勿体ないよな、と回原の声が続いた。
「――ヒーローの血縁者が敵犯罪に恣意的に巻き込まれた確率を、お前らは知ってるか?」
そう唐突に疑問を投げかけた相澤の声はいつもより低い声だった。
とても少ないのでは、と言った八百万の言葉に、少ないか、と彼は薄っすらと笑う。
「三パーセントだ」
誰も声をあげなかった。
生徒の反応に相澤は目を眇めると、手元の時計に視線を落とした。
「たった三パーセントだと思うか? その中にお前らの身内が入る可能性だってある。現に緑谷は合宿で敵連合に誘拐された。そういう可能性があったとしても、確実に守りに行けるとは言い難い。ヒーローは個性も事務所も顔も割れてる。だから居住地区や親類縁者の情報が漏れやすいんだ」
名前がタンクの上で立ち上がった。
その足元には三人が詰め寄っていて、タンクを勢いよく飯田が駆け上がる。それよりも先に、彼女はリールのようなアイテムで配管の間を移動しては不安定な足場を走り続けた。飯田のレシプロがスピードも格段に速いというのに追いつけないのは、彼女が飯田の直線的な動きを予測して――いや、落ちて?――足場を燃やし続けているからだろう。配管から不規則に落ちてみせたかと思えば、炎の壁に視野を奪う。足元から轟の氷結が迫りくるが、あの小規模な爆破で何とか捕まらずに空中での移動を続けている。火の玉のような熱が耳郎の周辺を漂っていて、それらが小さな爆破を繰り返しているせいでうまく連携がとれていないようだった。
「言葉がなくても伝わる、なんていうのは合理性に欠ける…が、まあ、言わんとしていることくらいは分かるよ」
彼女の動きはもう随分鈍い。暗闇に逃げ込んでは隙を狙い、必死に距離をとっている。
――そうだ。約束した。
『一人で何とかするなんて言えないけど、でも、もし私が手が届かないくらい何処かに行っても、自分で何とか時間は稼げるくらいにはなるから、そうしたら、見つけに来てね』
彼女はヒーローじゃない。敵を前に、逃げることでしか戦うことができない。
「あと、一分」
「――デクくん!?」
名前のこと、守ってあげてね。
母はそう言っていた。きっと、出久がヒーローを目指さなかったとしてもそう言っていただろう。なにせ緑谷名前は、緑谷出久にとってたった一人のかけがえのない兄妹なのだ。
――今なら分かる。守っていたいのは出久の方で、いつだって名前は自分のことくらい自分で守れていた。逃げることは、正しく自分を守ることだ。
フルカウルで配管の隙間を走り抜ける。タンクを駆け上がって、上空から四人の姿を捉えた。
轟の氷が名前の足場を凍らせる。飯田が近づくよりも先に、彼女の周りを渦巻く炎が高く上がった。
「名前!!」
焼けるような熱の中心で、名前が出久の名前を呼んでいる。
「――もう、大丈夫!」
相澤の、終了を報せる音が鳴る。
収束する炎の先。名前の目の前に着地すると同時に、轟の氷を叩き割る。
熱のせいでふやけた顔をした名前に真っ直ぐに手を差し出して、精一杯、笑った。
「僕が、来た!」
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