冷えた掌で陽に触れて

グレンジムのすぐ側の海で待ち合わせ。カツラさんと約束した時間より随分と早いけれど、私はひとり、ひたすら胸をときめかせていた。海を前に大人しそうに座り込むけど、ほんとうは立ち上がって意味もなく歩き回りたかったほど。その証拠に、口元が朝からふやけっぱなしだ。

とうとう会えるんだ、はじめての、私だけのポケモン!一体どんな子だろう、カツラさんが選ぶのだからきっと炎タイプかなあ。でも、この海に囲まれた場所のことを考えて水タイプという可能性だってある。それにカツラさんは、随分と悩んでくれているようだった。これ、という子を見つけるまで探すぞ!と言って、あちこちのポケモンブリーダーのところを巡っているらしい。だからきっといい子だとは思うけれど。友達になって、相棒になって。そんな関係になれるかなあ。

水面が朝の日差しによって一段と輝いている。この海をずっと進めば、外国に行けるのだ。反対側の、北の海を進めばマサラへ、東へ行けばふたごじま、西へ行けばジョウト地方にだって行ける、そこは何もかも見たことない世界。私も10歳になったら、ここからは見えないような遥か彼方遠くへ行くんだ。それが夢。ずっと前から地図を見るたびに見続けてきた夢。
そんな想像とも妄想ともとれるものをしながら時を過ごしていると、わあっ!と後ろから肩を叩かれた。驚いて砂浜に転がると、にかにか笑うカツラさんがいた。

「カツラさん!」

「おおーっす、元気そうだな!」

「だって、楽しみだもの!」

それよりも早く、と必死に訴えかけると、カツラさんはちょっと意地悪そうに笑って、隠していた後ろの手を私に差し出す。掌の上の、ツートンカラーのボール。つやりと真新しい光を放つその中に、生き物がいる。そのことにすっかり夢中になって、じっと見つめたままの私だったけど、とうとうカツラさんが苦笑したのをきっかけに、ハッとした。早く君に会わなくちゃ。

恐る恐る、モンスターボールを掌に収める。両手で包み込んで胸に当て、祈るように目を閉じると、とくん、とくんと、ボール越しに鼓動や熱が伝わってくるような気がした。ふう、と溜息をついた後、テレビで見たトレーナーを見よう見真似で、勢いよく砂浜に投げつける。

緊張と不安と期待と、そんないろんなものが詰まった一瞬が、今、過ぎ去った。


ボールの衝撃は砂に吸収されると、パカリと開いて赤い光を放つ。光はだんだんとちいさな生き物のかたちを描き消えていった、とあるポケモンの姿を残して。ここがどこだか分からないんだろう。キョロキョロと辺りを見回していた君だったけど、やがて私を見つけて、ぱちくり。目が合ってしまった。

そして離れなくなってしまった。細くて瞳は見えないけれど、それでも分かる、きらきらした視線。まっしろの頭の中に、感覚の情報だけが染み込んでくる。君のことで頭がいっぱいだよ。オレンジ色の炎を背中に抱えたヒノアラシ。一心に私を見つめ、私も君を見つめる。ずっと聞こえていた波の音さえも止まってしまった。それくらい、私もこのヒノアラシもきっと、惹かれあっていた。

空気を割いたのはその子自身だった。背中の炎をしまうと、ヒノアラシは私の懐に飛び込んできたのだ。驚いて尻餅をついてしまったけど、そんなことよりも、心臓の音とか、何よりも欲しかったぬくもりだとか、いきものであることの証拠が直接に伝わってきたのが嬉しかった。

愛しくて、とにかく触れてみたくて。その子を両手で力いっぱいに抱き締めた。小さな身体がもっと小さくなってしまいそうなほど。されるがままのヒノアラシだったけど、少し身体を離してみれば、やっぱりじいっと私を見つめていた。変わらぬきれいな好奇心のまま。

「はじめまして、よろしくね」

『…きみは、だれ?』

「ヒナリだよ。ヒナリって言うの」

『ヒナリ、…ヒナリ、ヒナリ、』

少年らしいソプラノの声が、何回も慣れない言葉を口ずさむ。ちまちま口を動かす様子が何とも可愛くて、思い切り腕を伸ばして天に掲げてみた。空と海の青を背景に見えた表情は最初その高さにびっくりしていたけど、だんだんとムズムズ口元が綻んできて、ついには満面の笑みへと変わっていく。そして、一声。きゅう!と嬉しそうに鳴いた。

『ヒナリ!』

「うん、ヒナリ!」

また抱き締めると暖かくて、離すと笑顔が見える。かわいい、だいすき、あったかい。くるくる回ってヒノアラシと戯れる私だったけど、カツラさんがぽん、と頭に手を置いたから、それも止まってしまう。ヒノアラシと一緒にきょとんと見上げると、カツラさんは眉を柔らかく下げて、私の頭を撫でるだけ。その行動の意味はよく分からなかったけど、なぜだかちょっとだけ泣きたくなった。でもそれよりも、言わなくちゃいけないことがある。

「ありがとう、カツラさん!」

『ありがとう!』

心からの言葉を伝えると、同じタイミングで腕の中のヒノアラシもそう言っていたから、つい目と目があって笑い出してしまう。そんな様子を、カツラさんは一体どんな表情で見ていたんだろう。サングラスの奥に全てを隠したまま、カツラさんはもう一度私とヒノアラシの頭を乱暴に撫でて、ジムへと去っていった。その背中に一人と一匹で何度も何度もありがとうを伝えると、てのひらをヒラヒラ振って返される。自動ドアの中に入っていくまで見送ると、もう一度自然と目線があって、にっこり。

「あのね、ヒノアラシくん。君にも名前をつけようと思うの」

ずっと、自分のポケモンを持ちたいと思い出した頃から、ずっと。その名前を考えてきた。そしてようやくさっき、これぞというものが思い付いたのだ。海の果てまで、山の果てまで、どこまでも、どこまでも、いつか一緒に旅しようね。

「彼方。…彼方って、どうかな?」

『彼方?』

「そう、彼方。私の夢はね、どこまでも広くて遠くて高くて、世界の色んなところを見てみたいの、遥か彼方を。だからね、君の名前、彼方ってどうかな」

『かなた、かなた、かなた…』

私の時と同じように、言葉を口に馴染ませているんだろう。何回もちいさく呟いたあと、ヒノアラシは、彼方は、ちょっと大きな声できゅう!と鳴いて、言った。

『かなた…僕は、彼方!』

「よろしくね、彼方!」

『ヒナリ、一緒に、遥か彼方、行こうね』

「うん、もちろん!」

顔を近付けて、おでこをくっつける。一緒に鼻先も触れ合ってしまって、余計に笑い合う。そんな些細なことがとても愛おしくて、あたたかくて。誰かのぬくもりは、想像していた以上に心地よかった。
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