冷えた掌で陽に触れて
「ポッポ、たいあたりだ!」
「下がってかわしてそのままたいあたり!」
『おっ、けええい!』
彼方は余裕の表情だ。彼方が一歩後ろに引いたせいでポッポは前のめりになり、そこに反動をつけたたいあたりが炸裂する。纏っていた炎の威力もあって効果は倍増、ポッポはくるくる千鳥足でよろめくと、とうとうぱったり、地に伏せた。
『ううう…もう無理…』
「ああポッポ!がんばってよー!」
「えっと、勝者はヒナリちゃん!」
バトルしようよ、と声を掛けられたのは唐突すぎて、私は変にどぎまぎした返事をしてしまった気がする。彼方に出会って数週間が経った頃だ。グレン島の人たちにも、私が元気の良いヒノアラシを連れていることを広く知られるようになっていた。そのおかげで、島に住む同じくらいの年頃の男の子たちがよく勝負を仕掛けるようになってきた。私もバトルには少なからず憧れがあったし、断る理由はもちろんない。
そうしているうちに気がついたことがひとつ。彼方はけっこう、強い。無邪気で子供っぽい表情や動作に騙されるのだろうか、挑んでくる男の子とそのポケモンたちの余裕綽々な表情は、バトルの後には引きつったものになるのだ。その一方、バトルの前後で全く変わらない様子で、『ヒナリ、やったね!』と微笑む彼方に、トレーナーの私としてはちょっと鼻が高い。それは今回も例に漏れず。
「ヒナリちゃん、やっぱり強いね」
「ううん、強いのはこの子だよ、私は強くないの」
『ヒナリ、ヒナリ!また勝てたね!』
「うん、ありがとう彼方!」
ジャンプして私の元に飛び込んできた彼方を両手いっぱいに受け止めて、思いっきり頬ずりをする。いつもとはちょっと違って土っぽい匂いがしたけれど、うう、それでもかわいい。わしゃわしゃと撫でたくれば、えへへ、と照れたように笑って、ちっちゃなその手で服を掴んできて、…かわいい!
「彼方、帰ったらお風呂入らなきゃね」
『えー、水?ちょっとやだなあ…』
「そんな顔しなくても大丈夫だよ、できるだけすぐに終わらせてあげるから」
「…なんか、さ。言葉が通じてるみたいだよな」
身体が凍る。さっき審判をしていてくれた子が呟いたのだ。両腕の中の温もりだけが頼りで、つい力を込めると、彼方がそっと鼻先を私の頬に触れさせた。…大丈夫、大丈夫。そう思い込むけれど、冷え切った心臓の音は妙に大きかった。
「そんな、そんなことないよ」
動揺を見破られて、もしも本当のことが知れてしまったら。だけど彼らは、そこまで私に関心があったわけでもないらしい。けろっと笑っているだけだった。
「いや、そう見えるだけなんだけどね。戦ってる時も息ぴったりだったし、今もなんか二人の世界?みたいだったし」
「あーなんかそれ分かる。そのヒノアラシ持つ前はヒナリちゃんって物静かなふしぎちゃんのイメージだったけど、案外明るい子だなって」
「え…あ、ありがとう…?」
ほっと安心したのはいいけれど、また驚いた。変わったなんて、自分では全くそんな意識はなかったから。変わったというより、本性がばれた、のほうが近いのかもしれない。思えば、彼方と出会う前は外で誰かと話して面白いなんてあんまり思わなかった。自分のことがまた誰かにばれてしまったらと、どこか内気になりがちだったのだと思う。だけどこうして彼方が一緒にいて、触らせてとかバトルしようとか、色んな輪が広がっていった。それにつられて、もしかしてだけど、私も少しずつ変わってきたの、かな。
そうしている間にも、彼方は対戦してくれた男の子にも撫でられて、人懐っこく笑っている。じゃあね、と走り去っていった男の子を見送ってから私をきょとんと見上げる彼方に、感謝しなきゃなあ、とつくづく思った。彼方はほんとうに、いろんな世界へ私を連れ出してくれる。私の数歩先を照らす、あたたかな光。その色はちょうど目の前に広がる夕焼けみたいだ。
周りに誰もいないのを確かめてから、オレンジ色に染まる海を目の前にして座り込む。そうすると、彼方が膝の上にぴょこんと私の方を向いて乗っかってくる。いつもの慣れた動作だ。でも今日は細い瞳をさらに細めて、なんだか嬉しそう。
「どうしたの、そんなに嬉しそうで」
『やっとヒナリとふたりきりだもん、嬉しいに決まってるよ!』
「…ほんと?」
『うん。ヒナリの手が誰よりいちばん優しくて気持ちよくて、だいすき!』
…本当に嬉しいことを言ってくれるものだ。彼方は私以外の子にも分け隔てなく懐く。飛び跳ねたり、撫でられると気持ち良さそうにしてたり。そんな様子を見てほんのすこし不安になっていたのを、まるで知っているみたい。でも彼方は、そんなの知らずに素直な心から言ってくれた。思わず緩みそうになる涙腺をこらえて、代わりにもう一度膝の上の彼方をひと撫で。それからちょっと誤魔化すように、海のほうを見やって話し出した。
「ねえ彼方、旅に出たらまずどこに行きたい?」
『うーん、僕は…。ヒナリと一緒ならどこへだって!』
「それなら私だって同じだもの、ちゃんと決めなくちゃ」
『…じゃあ、近いところから順番に巡ってく?カントーとか、ジョウトとか!』
地図を広げる私の隣に毎日いたものだから、彼方もこの世界の地理はなんとなく覚えてしまったようだ。そのおかげで、私がカントーいいよね、タマムシとか大都会で憧れるなあ、と言うと、彼方はジョウトもいいよ、エンジュも素敵なところだって、とのんびり話ができる。今まで自己完結していた想像を他の誰かと分かち合うのは、同じ想像でも一人でするのとは全然違った。どんどん思いもしない方向に膨らんでいくのだ。そう言われるとなるほど確かに、私は変わったと言われても少し納得できる気がした。
『じゃあもう、カロス地方!どうかな?』
「言葉の壁がちょっとつらいけど…、でも街並みとか素敵だし、いいかもね」
「おいあいつだろ、例の強いっていう女の子!」
びくり、と身体が跳ね上がった。それから何やらガヤガヤ騒ぐ声が近付いてくる。な、なに?強いと噂の女の子なんて、まさかね。一瞬自分のことかもなんて思ったのが恥ずかしい。でもこの辺りの海岸に私と彼方しかいないのは、ここに座り込む前に十分確認してある。
彼方はというと、私の表情の変化を不安げに見つめ、私に身体を預けてきた。ぬくもりが胸に伝わり、冷えた心に染み渡っていく。多分、私を落ち着けようとしてくれているんだろう。甘えることしかできなくて、ぎゅっと縋るように抱き締める。
バトルは嫌じゃない、むしろ好きだ。だけど大声で騒ぎ立てられたり、人に取り囲まれたりするのは嫌いだ。逃げ回った日々を思い出すのか、未だに恐怖を感じる。
やがていくつも砂を踏む足音が座り込んだ私を取り囲む。多分だけど、皆私より年上の男の子たちだ。怖くて顔をあげられない代わりに、こっそり視線だけを走らせると、一人だけ少し憶えのある顔があった。あの子、確か強いって評判の子。カツラさんともなかなかいいバトルをしていたような子だ。そんな子が、私なんかに?
夕焼けの光に照らされていた私たちに、ふと影が落ちる。つい見上げてしまうと、例の男の子が仁王立ちをして太陽を遮っていた。一瞬だけ視線がかち合ってしまって、慌てて目を逸らす。それでも一向に退こうとしないから、恐る恐るゆっくりと覗き込むと、少しふくよかなその子はニンマリと笑って、呪文のように口ずさんだ。
「めとめがあえば?」
「…ポケモンしょうぶのはじまり、彼方!」
ばっと立ち上がって男の子、いや、バトルの相手を睨みつける。同時に彼方も腕の中から飛び降り、前屈みになって威嚇する。背中の炎の燃え盛る勢いが彼方の思いの証拠だ。だけど彼方はふと振り返って、私を見上げ微笑む。
『大丈夫だよヒナリ!僕らで倒しちゃおうよ、旅をするための特訓だと思ってさ!』
そうだね、特訓か。遠くへ、遥か彼方へ行くためならば。そう思った途端、今までの恐怖はすうっと薄れていって、彼方の言葉はまるで魔法だ。
相手の子は応戦体勢に入った私と彼方を見て、瞳を緩ませご満悦の表情。取り巻きの男の子たちを端に追いやり、彼がボールを投げた瞬間、バトルは幕を開いた。
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