雛がつばさを伸ばすとき
チョウジに戻り、忙しそうに駆け回るジョーイさんに懇願してなんとかギャラドスと漣を預けることができた。それからポケモンセンターを出て、ほっと一息ついたときだった。
「ヒナリちゃん…だね」
…"私"を、呼ぶ声。振り返ると、チョウジの町並みを背景に、ワタルさん。赤いマントと鋭い目つきや、傍に佇むカイリュー、何よりポケモンリーグチャンピオンという肩書きがこんな小さな町には不似合いで、通りすがる人々が何度も彼にちくちく刺さる視線を送っている。しかし当の本人は話し相手である私から一度も視線を逸らさず、物怖じする様子はかけらもない。…ここまでには、私もまだ届かないけれど。
「…あ、はい…」
「ここで話をするのは嫌かい?なら場所を、」
「いえ!……、ここがいいです」
私なんか、まだまだだ。彼のように、どんな場所でも胸を張っていられるまでの強さはない。全然憧れには届かない、届かないけれど、抗うことは罪じゃない。あのときのように、もう一度ワタルさんをしっかりとこの目で見つめる。ボールの中で沈黙する彼らも、そんな私の微かな成長を見てくれている気がした。
そんな私の内心の奮闘を察したのか、ワタルさんは真一文字だった唇をふっと緩め、笑った。
「例の電気…ってやつだけど、どうやらおかしな電波を発する機械が設置されてるみたいなんだ。…ヒナリちゃん、ポケギアは持っているかい。ラジオ機能をつけるといい」
そう言われ、鞄からポケギアを取り出し耳に当てて聞いてみると、…本当だ。低音と高音の入り混じった壊れた機械音がする。これが、ギャラドスや理央たち、ここ周辺のポケモンを弱らせ苦しめていた、言わば『かいでんぱ』であると、ワタルさんは言った。そして目線をふと上へと向ける。一本の、針葉樹の天辺へ。
「そしてその機械は、恐らくこれ――この木の上に、見えるだろう?」
それはちょうどお土産屋さんの横に立っていて、一見ごく普通の街路樹のように見える。本当にどこにでも生えているような木だけれど、…確かに一番上に、何やら怪しげな機械が取り付けられている。これは余程背の高いひと――例えば彼のカイリューくらいの大きさがないと、視界には入らなさそうだ。これのせいで、チョウジタウンに近づいたポケモンたちは皆調子が可笑しかったのだ。
そして、これは湖を離れてから気付いたことだけど。どうして私の手持ちの中でも、漣と理央が特にその影響が顕著だったのかが分かった。原因が、電波だからだ。水タイプの漣に電気は効果抜群、影響を受けやすいし、理央なんかは電気タイプ。電波の乱れの影響をもろに受けてしまったのだろう。一方、一番影響の少なかった千紘は草タイプ、電気技は効果いまひとつだ。
そう考えるとギャラドスに起こった異変にも納得できる。水と飛行の複合タイプであるギャラドスに、電気は最大の弱点。一番酷い影響を受けて当然だ。
「つまり、これが全ての原因…ってこと、ですか」
「そうだね。だから早く、壊さなくちゃね」
ワタルさんは、これ以上なく綺麗で人の良さそうな笑みを浮かべる。…なのに、どうしてだろう。裏表がなさすぎて、逆に怖い、というか。思わず身震いしかけていると、その予感は的中した。彼は清々しい笑顔で、カイリューに命じた。
「カイリュー はかいこうせん」
…けたたましい轟音がちいさな町中、いや、周辺の道路へ間でも響き渡る。つい数秒前までそこに存在していた一本の木が、土埃が晴れた時にはもう跡形もなく消え去っているのだ。はは、と乾いた笑い声しか出ない。騒ぎを聞きつけて集まってきた人たちも、その威力、そしてチャンピオンの爽やかな笑顔を前にすれば、途端に何も言えず閉口してしまう。…そういう、ものなのか。
内心ぶるりと鳥肌が立った瞬間、さて、と彼がマントを翻し私の方へ向き直したものだから、私もつい背筋をぴんと伸ばしてしまって、まるで訓練のようだった。
「君には申し訳ないが、あのギャラドスのことを頼む。もし困ったことがあればこの街のジムリーダーを頼るといい。話はつけてあるから」
「あ、は、はい…。あの、ワタルさんは…?」
「僕かい?僕はこれから、奴らのアジトを探ろうと思っている。実はこのお土産屋さんが怪しいと睨んでいて、」
「それ…僕にも行かせてください、ワタルさん!!」
人混みの中から、ひとつの声が立ち上がる。やがてその中を掻き分けて私たちのいる円の中心へとやってきたのは、一匹のバクフーン、そして一人のトレーナー――ヒビキくんだった。思わず声をあげそうになったけれど、彼らの表情を見た瞬間、それは言葉になる前に飲み込まれた。まるで彼方のようだと思った。凛々しく真一文字に引き締められた口元は、ワカバにいた時のどこかぼんやりとしたヒビキくんからは想像できない。そして、真っ直ぐ、射抜くような赤い瞳。その持ち主であるバクフーンに、もうあのときのようなどこか不安げな様子は欠片もない。ヒビキくんについていこうという明確な意志と信頼が、そこにあった。ふたりはまるで双子のように一挙一動を揃え、ワタルさんへと力強い一歩を踏み出した。
「君は?」
「ワカバタウンのヒビキです。ヒナリと同じだけのバッジだって持ってる…だからお願いします、僕は、僕の意志で、ロケット団を倒さないといけないんです!」
今や彼は、レッドに近付くためではなく、ただ自らの正義感のために、彼の意志で、ロケット団を倒そうとしているのだ。眩しいその瞳があまりにも分かり易く、そう語っている。私でさえ分かるのだから、熟練したトレーナーであるワタルさんには一発で分かるだろう。彼とバクフーンくんの間に築かれた絆も一緒に。
ワタルさんが頷き、お土産屋さんにふたりで乗り込んでいくのを見送ると、私もポケモンセンターを振り返る。ヒビキくんに負けていられない。私も、私の意志で、しなければならないことがある。命を預かったギャラドスのこと、それから、大切なあの子のこと。私の大切なものを守ること、それが今の私にできること。未だ雨は降り続いている、けれど、それが降り止むときも近いような気がしていた。
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