冷えた掌で陽に触れて

赤い光の中から飛び出したのはラッタ。コラッタの進化系で、鋭い前歯を武器とするポケモン。確かあのヒゲでバランスを取っているんだっけ、じゃあそこを狙えば…と知識はあるけど、こうしていざ目の前にするとなかなか怖気付いてしまう。ふんと荒い鼻息を漏らすラッタ。だけどそれに対抗してか、彼方もふん!と必死にちいさな体で威張っていて、つい笑ってしまった。…よし。

「ラッタ、でんこうせっかだ!」

「、えんまく!」

猛スピードで駆け出すラッタと、黒の煙幕で身を隠す彼方。まずは錯乱して、という意図は彼方にも伝わっているだろうから、その間に私は次の指示を考えなくちゃいけない。しかしその思考は彼方の鳴き声によって遮られてしまった。

『いっ、た!』

『ふん、調子に乗るなちびっこ!』

「いいぞラッタ!そのままかみつけ!」

ラッタは煙幕の中でも彼方の姿を捉え、タックルをかましたらしい。吹き飛ばされ砂の上に転がる彼方をラッタが追う。無防備に倒れたままの彼方はなす術もなくラッタに覆い被されながら噛み付かれ、こちらの身まで縮まるような悲鳴を上げた。それでもこちらをちらりと見やり指示を仰ぐ姿に胸を打たれる。ラッタがすぐ間近にいて彼方の行動も制限されるこの状況、一体何ができる?そう思ったとき、はっと閃くものがあった。

「彼方!ひのこ!」

『……!うん!任せて!』

腕を噛み付かれていたから、本当に至近距離だ。彼方は短く炎を吐き出し、ラッタの毛並みに命中させる。途端にパチパチと音を立てて軽く燃えはじめた体毛に、ラッタも焦ったのだろう。跳び上がって彼方から離れると、トレーナーの指示なしに海辺へと入っていった。よし、なんとかピンチは脱出かな。彼方と目が合って、ふふ、と微笑む。ぎり、と歯をくいしばる相手を横目に、今度は私たちが反撃する番だ。

「彼方、こっちもでんこうせっか!」

海からざぶざぶと上がってきたラッタに、すかさず彼方が電光石火をくらわせる。よろめくラッタだったけど、そこでくたばるほど相手も伊達に場数を踏んでいない。お互い何とか体勢を立て直し対峙すると、砂浜に二匹の火花が散っている気がした。だけどその火花は、相手の意外な指示に寄って消えることとなる。

「…ラッタ、海だ!もう一度海へ飛び込め!」

『海…。マスター、そういうことか!』

ラッタが納得するのと同時に私もはっとする。海、というより水の中は、炎タイプの彼方が絶対に入れない領域だ。砂上に置いていかれた彼方も慌ててさざめく海へと近付くが、波はやはり怖いようでびくびくと逃げてしまう。一方の得意げなラッタはすっかり体毛に水を十分吸わせている。あのままたいあたりでもされようものなら、飛び散る水の威力も相まって瀕死は避けられないだろう。案の定そんな作戦のようで、相手の彼が小声ででんこうせっかと呟くその声と同時に、ラッタは駆け出している。どうすれば、どうすればいいだろう。考えようとするほど何も考えられないで、ただ服の袖を握りしめるだけの私を、一つの声が貫いた。紛れも無い、彼方の声だ。

ヒナリ! ただ名前を呼ばれるだけ、それだけなのにこんなにも救われるなんて。振り返った彼方は、相変わらずの無邪気な笑み。やってやろうよ、とでも言いたげだ。そうだ、やってやろう。これから私たちはいつか旅に出るんだ。もっと強いポケモンはたくさんいるのに、こんなところで諦めるわけにいかない。引きつけて、と彼方に小声で指示をする。水の分の重さがあってラッタも思うほどのスピードが出ていないのだ。海から砂浜へ、そして彼方の元へ。ぐっと身体に緊張を走らせながら、3、2、1、今だ!

「彼方ぁ!跳ねて!」

ラッタと相手の信じられない、という顔に何とも優越感。彼方は砂を蹴り、ラッタの真上へとジャンプする。

「そのままかえんぐるま!」

『うん!おりゃああっ』

ただ呆然と彼方を見上げるしかないラッタの頭上に、かえんぐるまが炸裂する。飛び散る水には確かに彼方も思わず目を閉じずにいられないようだったけど、炎を纏っているおかげで少しは蒸発しているようだ。想像していない方向からの攻撃に、さすがのラッタも反応しきれずダメージをくらうのみ。

『くそ、ちびっこが!』

『へへ。ちびっこもなかなかやるでしょ?』

「彼方、そのままひのこ!」

得意げな彼方は着地する寸前、ラッタのちょうどヒゲの部分をチリ、と燃やす。途端にふらふらと覚束ない足取りになるラッタに、私もにやけが隠せない。そのまま決めてしまおう!目が合って、私が頷くのと同時に彼方が駆け出す。

「かえんぐるま…!」

火炎がラッタに衝突して、のけぞるラッタと、着地して前屈みで様子を伺う彼方。よたよたと右へ左へよろめいたかと思うと、ラッタはぱったりと砂上に倒れこんだ。瀕死状態、だ。相手の男の子がすかさずラッタに駆け寄り、必死に揺さぶっている。一方の彼方と私は、顔を見合わせきょとんと首を捻るのみ。だけど周りのざわめきや悔しそうな男の子の視線から、だんだんと実感が湧いてくる。もしかして、私たちは勝っちゃった、ということ?

『ヒナリ、やったね!僕たち』

まだふわふわと浮ついた心地で、ただきょろきょろ辺りを見回すしかない私だったけど、彼方がそう言って足元に擦り寄ったくすぐったさで、ようやく目が覚めた。勝ったのだ。噂のあの子に、私と彼方は勝ったのだ。そう思えた瞬間、ふわりと口元が綻んでいく。

「彼方!彼方、ありがとう!」

『えへへ、楽勝だよ!』

「彼方、彼方!」

抱き締めて、彼方のその柔らかい毛並みに顔をうずめる。戦い終わったばかりだからか、その地肌はやけに火照り、普段よりも随分と熱を持っていた。気持ちいい、けれど。でもこれはさすがにいくらなんでも熱すぎる。まさか熱とか…?腕の中、なんてことなさそうな彼方はきょとんと笑顔で首を傾げるのみ。だけどそう思った次の瞬間、彼方の全身から溢れるまっしろの光。眩しさに目を閉じるけれど、腕の中のかたちが揺らめいているのは感じていた。やがてはまぶた越しに伝わっていた明るさも静まって、なんとか目を凝らせていくと、パッチリとした赤と目が合った。

『…えっと、ちびっこ卒業、かな?』

「…彼方、だよね?」

『うん!僕は彼方だよ、ヒナリの相棒!』

ふわりと耳に馴染む、低くなった男の子の声。細く閉じがちだった瞳も今では眩いほどの赤を放ち、夕焼けの光をいっぱいに受けてキラキラと輝いている。腕に掛かる重みは随分と増え、思わず座り込んでしまいそうになった。丸々としたヒノアラシから、しなやかで凛々しくも愛らしいマグマラシへ。彼方は進化したのだ。周りのざわめく声も気にせず私に飛びつく彼方を受け止めながらも、まだ本当のような心地のしない私だったけど、その笑顔や眩しさや体温がそのままであることが、ようやく実感に繋がっていく。

もう一度ぎゅっと抱き締める。うまく言葉にならないから、その分精一杯力を込めることしかできなかった。進化は一緒に頑張ってきた証。彼方はそれを私にくれたのだ。そう思うと胸が熱いものでいっぱいになる。えへへ、といういつもの彼方の笑い声さえも愛おしい。

「…進化おめでとう。いいバトルだった、ありがとう」

感激に浸る私に、相手をしてくれた男の子が悔しそうに、でも晴れやかに手を伸ばしてくる。勝っても負けても、バトルが終わればポケモンともだちになれる。そんなカツラさんの言葉が頭をよぎった。彼方に少し微笑みかけて一度降ろすと、その手を取ろうと、した。…しかし、握ろうとした手が霞んで、ぼやけて、通り抜ける。

『ヒナリ!?』

「お、おい!どうしたんだよ!」

『ヒナリ、ヒナリ、ヒナリ!!』

あっけなく膝が地面につく。それから急に胸が、肺が、心臓が締め付けられて、意識が、痛い、怖い、…消えた。彼方の声すらももう聞こえない。あの声が聞こえないと、私は、何も見えなくなってしまう。彼方、彼方、彼方…。
ALICE+