蘇る薫のいぶせきを

誰かが、私を呼ぶ声がする。これは、誰の声…?彼方と漣と、理央と、祐月と…。ちひろ、は?千紘はどこだろう。ああ、そうだった。私、千紘を助けようとして、湖に飛び込んだんだっけ…。

千紘は、どうなっただろうか。無事かなあ。ううん、無事に決まってる。あの千紘が、そう簡単に死んだりしない。美味しいごはん、…そうだよ、祐月の手料理と理央のお菓子でも置いておけば、すぐに尻尾をぶんぶん振って飛んでくるだろう。

目を覚ました瞬間、真っ白な天井がすぐそこに。ううん、と軽く唸って辺りを見回すと、私が眠るベットの枕元に座っていた影ががたりと立ち上がる。淡く霞む視界のなか捉えた黒髪、彼方だ。どうしたの、珍しい、そんな焦った顔をして。彼方には、いつも笑っていてほしいんだけどなあ。私がゆるりと表情を緩めると、彼方は一瞬泣きそうな顔をして、そして迷いなく私を抱き締めた。背中にひしと回された腕は、しばらくしても緩むことはなく、離さないとばかりにひたすら力は強まっていく。…ああ。彼方の、温度がする。耳元を擽るように、声がした。

「ヒナリ、おかえり」

「……ただいま、ごめんね」

「ううん、ヒナリがいるから、いいよ」

迷惑をかけただろう。心配させただろう。無鉄砲だって怒っていただろう。それでも彼方は私を咎めなかった。理由はきっと、それよりも私の無事が嬉しいから。とんだ思い上がりかもしれない、けど私は、彼らの深い愛を常に感じている。その分、私も彼らをあいしているつもり。私たちはきっと、お互いに、お互いが必要なのだと思う。パズルのピースが嵌まるように、私たちは、互いになくてはならない存在なのだ。

変わらない体温と、低く宥めるような声とが、私の心を徐々に和らげていく。目を閉じて、やさしいまっくらな世界になると、それはより増していく。私も、そっと彼の背中に手を回した。

「彼方、千紘は……?」

「ついさっき目を覚まして、皆今はそっちに向かってる。大したことないから、今日中には退院だって、ジョーイさんが言ってた。…ああそうだ、ヒナリも目が覚めたって、ジョーイさんと皆に伝えに行かなくちゃ。ヒナリ、ちょっと行ってくるね」

彼方がそう笑って身体を離し、立ち上がってどこかへ行ってしまうのが怖くて、また急に、永遠に会えなくなろうとするなんて、あるはずがないとわかっているのに。無意識のうちに、彼方の服の袖を掴んでいた。伸びた裾に、二人分の視線が集まる。私、なにしてるんだろ。

「…ヒナリ?」

「あと、十秒…十秒でいいの、そばにいて、彼方」

どこを見たらいいのかもわからなくて、うつむいたまま。そんな状態でぼそりと呟いた声さえも、彼方はちゃんと拾い上げてくれた。すぐに、ぬくもりが舞い戻ってくる。ああ、ちゃんと、彼方は生きてる。生きている心地がする。とくとくと刻む心臓と、あたたかな温度。きっと気のせいだろうけれど、さっきにも増して抱き締める力が強いような気がした。

ありがとう、少しだけ、もう、少しだけ。また背中に手を回せば、とても十秒どころではなくなってしまった。
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