背中を煽るはるかぜ
新しいジャケットに、新しいスカート、新しいスニーカー、新しい鞄!伸ばしっぱなしだった髪もある程度ーーそれでもだいぶ長いけれどーー切りそろえて、なんだか本当に今までとは違うのだと実感する。コンセプトはフェミニンかつ動きやすく。パステルカラーの鞄の中身にはトレーナーとしての基本の道具、モンスターボールやキズぐすり、状態異常を治す薬各種、それからポケギア、タウンマップ。大体はおばあちゃんが買ってくれたものだ。おばあちゃんは旅に出ると言う私に何も咎めることなく、
「そうかい、なら準備しないとね」
と言っただけだった。母にも一応連絡しようと思ったけれど、あの人が私に全く興味がないのはよく分かっているし、私も同じだ。
『ヒナリーっ、着替えたー?』
「うん、今行くよ」
彼方の声に呼ばれて外に出ようとした時だった。…窓の外の草木がざわざわと葉音を立てている。近くの木々は揺れていないから、風ではなさそうだ。そうなるともしかして泥棒、とか?そーっと近寄ろうとした時、遠い木々の隙間から、緑がかった金髪が見えて、その子が振り返った瞬間。視線が、ぶつかる。
そして止まってしまった。少年とも少女ともとれるようなその子は、黄金の瞳で私にニッコリと微笑みかけたのだ。その笑顔はとても無邪気で、……。不思議だ、どうしてこんなにも無邪気な笑顔なのに、私はそれに邪気を覚えたんだろう。爪先からゾワリと駆け上がる寒気に、思わず身を震わせる。まるで時が止められたように動けなくなってしまって、でも、気が付いた時にはもうあの子の姿はなかった。
『…ヒナリー?どうかした?』
彼方の声にはっとして、慌てて部屋を出る。どうしてあの子はあんなところに。不気味だし、気にもなったけれど、彼方が目の前にいる今、そんな些細なことはすぐ記憶の隅に追いやられてしまった。
長年お世話になったこの家とおばあちゃんともしばしのお別れだ。おばあちゃんはまた寂しくなるね、と私と彼方の頭を優しく撫でた。本当に長い間ありがとう、と頭を下げると、孫なんだから当然でしょう?ところころ笑う。
本当に良い祖母だ。ぼんやりとしているようでも駄目なものは駄目と叱ってくれる。それでいて私が迷った時には私が誤った方向には行かないように諭してくれる。何度礼を言ったら良いのか分からないほど、おばあちゃんには感謝しなければならない。お土産も買ってくるからね、と言うと、ヒナリと彼方の健康がお土産だよ、と返されて、なんだか照れ臭かった。
「じゃあ、行こうか?」
彼方に問いかけると、彼方はぴょんと私の腕から飛び降りて笑顔で返事をした。
不意に東風が吹いて、ウツギ研究所の風車を静かに回した。それと同時にワカバの至る所に植えられた花の香りがふわりと霞む。
『はじまりつげるかぜのまち、だね』
確かガイドブックに書いてあるワカバタウンのサブタイトルかな。いつだか一緒に見たのを彼方は覚えていたのだろう。瞳を細め、どこか感慨に浸るような彼方に、私までつられて思いを馳せる。そう、はじまりなのだ。人より随分と遅いかもしれないけど、これが私のはじまり。
すう、と息を吸い込んだ。体中にワカバの風と花の香りとが染み込んでいく。そして、瞳を閉じる。…私は今、この町を出ていきます。ただいまを言うときの私はまだちゃんと想像できないけれど、今よりちょっとだけ胸を張れていたら、それで十分かな、なんて。宛先のない手紙を胸に描き終え、とうとう私はワカバに背を向けた。
いってらっしゃい。おばあちゃんの声にふと振り返り、はにかんでみせた後、旅路の先を一心に見据えた。もう振り返らないよ。
自然と彼方と目が合って、同じ瞬間に笑顔になる。さあ、夢にまで見た瞬間を。
29番道路への一歩は自然と揃って。
「せーのっ!」
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