薫は雪にうずもれた
『…ヒナリ、ヒナリっ…やだよ、起きてぇ…!』
「ヒナリちゃん、嫌だ、嫌だよ、ヒナリちゃんがいなくなるくらいなら、俺が、」
あたたかい。あたたかい感触が身体を包んでいる。だんだんと無が和らいできて、その隙間から見えたのは彼方と人のかたちになった漣が、私を泣きそうな目で見つめている様子だった。
「かなた…れん…、りおは?」
『…ヒナリ!』
「ヒナリちゃん…!理央は、状況を探りに行った、よ」
「そ、か…」
『ヒナリ、ヒナリが目ぇ覚めたら、僕も手伝いに来いって、理央が…。だから漣、ヒナリを任せたよ?』
彼方はそう言うと、ぴょんと私のお腹の上からどいて、心配そうに何度か振り返りながらもどこかへ消えていく。視線を僅かに持ち上げると、瞳を潤わせた漣の表情がある。意識を失っている間ずっと、漣に抱きかかえられていたみたいだ。炎タイプだからだろう、お腹あたりに彼方の残した熱が、とても暖かくて気持ちよかった。まだこのまま、漣の腕の中で眠ってしまいたいけど、そうもしていられない。
立ち上がろうとすると、不意に腕を引かれた。そして私は戸惑う間も無く、座り込んだ漣の胸の中にふわり、飛び込むことになって。力強く抱き締めて肩に顔を埋める漣を、なんとなく壊れてしまいそうだと思った。
「ヒナリちゃん、よかった、…本当によかった…!」
「漣、」
「ヒナリちゃんに万一のことがあったら、本当に俺は、どうにか、なるかと」
漣の声は震えていて、まるで泣いているみたいだった。普段は大人で、面倒ばかり見てもらっているから、こんな姿を見るのは初めてで、内心どき、とした。私が些細なことで悩んだりするのと同じように、漣もまた不安を抱えているのか。思えば当然のことなのに、その途端愛しさが溢れていく。そうだ、それなのに漣は、あまりにも優しいから。
赤子をあやすみたいに、私は彼の背中を撫でた。貰った優しさを、今少しずつ返していかなくちゃ。普段後ろから見るそれは男性らしく、しっかりとした広さを持って私達を守ってくれていたはずなのに、今こうやって抱き締めてしまうと、か細くて心もとなくて、何てことのない、ただの背中だ。彼は私の名前を何度も何度も、縋るように口にして、それはまるで私の存在を確かめるみたいに。
いるよ、ここにいるよ。その分、漣に身体を委ねた。
「ヒナリちゃん、ごめんね。怖かったよね…!」
そう言う漣のほうが、何かを怖がってるみたいなのに。
「ううん、大丈夫だよ漣」
「ごめん、本当にごめん…!ヒナリちゃんは人間で、女の子なんだって、分かってたはずなのに…俺たちよりずっとか弱いんだって、なのに、守ってあげられなかった!」
「漣、あの状況は、誰も何もできないよ」
「出来た!出来たはずなんだ。あの時彼方が動けたなら、俺だって動いて、ヒナリちゃんを抱き締めて、痛みの身代わりになることが出来た!…なのに、俺は」
「漣、…私は今こうやって、平気だよ。生きてるよ。ここに、いるよ?だから大丈夫。死なない限り、人間って何でもやっちゃう生き物なの。知ってる?」
漣は顔を上げたかと思うと、ゆっくり首を横に振る。私はそれを見て笑うと、そっと漣の髪を撫でた。大丈夫、大丈夫。生きていればいいの。その思いを手の平に込める。そのうち漣はまた私の肩に顔を埋めて、今度は包み込むように優しく、私を抱き締めた。震えた息も嗚咽も、徐々に収まってくる。そしてひとつ、深呼吸をしたかと思えば、聞こえるか聞こえないかぐらいの声で、漣はそっと呟いた。
「ヒナリちゃんは、やっぱり神様、だね」
「…漣?」
かみ、さま?…そんな大層なものじゃないのに、私。漣は私の肩に顔を押し付けていたから、その表情は見えなかったけど、その口ぶりは冗談を言う時のものではなかった。
「ううん、何でもない」
だけどやがて、取り繕うようにへにゃりと顔を上げて笑ったのを見て、ほっと胸を撫で下ろす。それから、私も状況を確認することにした。辺りを見回せば、一面に広がる、白。どこまで行っても白の世界、…雪の世界。これだけ寒いのも納得できる。降ってはいないものの、空も暗く、いつまた降り出してもおかしくないような模様だし。でもどうして、雪原なんかに?私達はアルフの遺跡にいたはずなのに。あの少年の仕業によって、一体何が起こったというのだろう。
「ここは…?」
「分からない。けど、とりあえずここが雪に包まれた場所で、今凍え死にそう…ってのは確かかな。俺は氷タイプも持ってるからぴんぴんしてるけど」
漣はそう言って、今度は冗談めいたように笑う。気温の冷たさにも関わらず、心がふっと温まった。
「ポケギアは、なんて出るかな?」
「それなら理央が真っ先に確認したけど、フスベシティのもっと北あたりだった」
「え…?なんで?」
「さあ。よくわかんないけど、あの子供が言ってた"お願い"を達成したら帰してくれるんじゃないかって、理央が言ってた。要するに、目的を叶えてやればあの子供は満足らしかったからな」
「なら、その目的教えてくれたらいいのにね…そしたらお互い楽なのに」
「そうは上手くいかないものだね」
呑気に笑いあっている場合では到底ないのに、なぜか安心できる。不思議だなあ、ただ隣に漣がいるだけなのに。彼方とはまた違う、この安心、守られているようなあたたかさはなんだろう。
そうして、緩やかな時間を過ごしていた時。さくさくと、小気味良く雪の上を駆ける足音が聞こえてきた。この軽い足取りはきっと、理央だろうか。
「ヒナリ、漣!…バッグ持って来て!早く!」
いつになく焦燥した様子の理央に只事ならぬものを感じて、私と漣は二人立ち上がると、理央の案内するほうへ駆けていった。慣れない雪の上、ましていつも通りの靴。時折転びそうになるけれど、その度に漣が支えてくれる。焦る気持ちは、そっと包んでくれた手から伝わる熱が落ち着けてくれる。ああ、またそうやって、少しずつ優しさを貰ってしまっているよ。早く、返してあげたいな、なんて。
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