薫は雪にうずもれた
「彼方と調べて分かったこといくつか言うけど…ここはシント遺跡、という名前の場所」
「シント遺跡…?聞いたことないよ、そんな場所」
シンオウ生まれだけあって、雪には慣れているんだろうか。理央は私と漣の先をさくさく進んでいってしまう。けれど時に振り返って、追いつくのを待っててくれるあたり、なんだかんだ優しいじゃないかと思うのだ。そうしながら話し出した内容は、突拍子もないこと。シント遺跡?常日頃ありとあらゆる地図を眺めていた私が、知らない地名なんてない。その点においては、自信を持てる。
「そう。彼方も僕も、聞いたことがない。地図にない場所っていうこと。だけど、僕らが見つけた変な遺跡の前には、シント遺跡って書いた看板がある」
「人が、どこかにいるのか」
「うん。人自体はまだ見つけられてないけど。でも代わりにポケモンは全くいない。このことが何を表すのか考えるのには、まだ情報が足りないな。…それはまあ、後でもいいんだけど」
そう言う理央に何か違和感を感じて、はっとその正体に気付いた。パチリスの時の尻尾を表す、パステルブルーのラインの入った、白いマフラーがない。こんな雪の中こそ重宝するっていうのに、どうしたというのだろう。
「理央、マフラーは?」
「その話を今からするの!…なんでかは全く分からないんだけど、その遺跡の周辺に、リーフィアが倒れてた」
「…リーフィア?何だそれ」
「リーフィアはイーブイの進化系で、草タイプのポケモン。シンオウとか、イッシュじゃないと進化できないはずだけど…なんでジョウトに?」
「ヒナリの言う通り、明らかにおかしい。てかそれ以前に草タイプがこんな雪の中に放置されたら死んじゃうでしょ!だから僕のマフラーでぐるぐる巻きにして、彼方の体温であっためてきたの!」
な、なるほど。最後のほうはめんどくさくなったのか、ヤケになって叫ぶ理央。もの分かり悪くてすみません、とばかりに苦笑いをする。
しばらく走ったうちに、着いたよ、と言って理央はある方向を指差した。座り込んだ彼方の腕の中に、ミノムッチみたいにぐるぐる巻きにされた物体がある。あれが、リーフィアだろうか。彼方は気配に気がついてばっと私を見上げると、訴えるみたいに言った。
「ヒナリっ、どうしよう、この子死んじゃうよ…!」
「彼方はあっためるの止めちゃ駄目!ヒナリも一緒にいてあげて!僕と漣で人のいそうなとこ探すよ、ほら動いて!」
理央のてきぱきとした指示に皆頷いて、それぞれが動き出す。漣は原型に戻り雪の上を自由自在に滑り、理央は人型のまま走り回る。そして私も座り込むと、彼方からリーフィア…さん?を受け取って、様子を確認した。目立った外傷はないけれど、まず何よりも身体が冷え切っている。葉っぱの形をした耳を触ると、パリ、と霜の割れる音がした。瞳はずっと閉じたままで、身動ぎ一つしない。けれど胸に手を当てると、とくとく鼓動はしているみたいだ。それでも危ない状態なのは、すぐに分かる。とにかく温めて、何とか生きて、生きてほしい。泣き出しそうな彼方の目を見つめ、はっきりした口調で指示を出す。
「彼方、マグマラシに戻って、それで温めるよ」
はっとしたように頷いて、マグマラシの姿に戻った彼方と、リーフィアさんを膝の上に乗せる。それからマフラーを毛布代わりにして、ぎゅう、と腕の中に閉じ込めた。彼方の体温と私の体温を必死に与え続けるけれど、一向にリーフィアさんは眠り続けたまま。もしこのまま目覚めなかったら?そんな嫌な予感が胸に広がるけれど、そう言ったら本当になってしまいそうだから。言い聞かせるみたいな言葉ばかり口にした。
『ヒナリ、どうしよう、大丈夫だよね…!』
「大丈夫だよ、だって生きてるよ…心臓が動いてるよ!だから安心してねリーフィアさん、大丈夫だからね…」
不安を誤魔化すように、私はリーフィアさんと彼方を力一杯に抱きしめる。そうしていないと、どうにかなってしまいそうだった。一人と一匹の体温はようやくリーフィアさんの小さな身体にも移ってきたのか、ついにその瞼が開かれた。ヘーゼル色の、ぼんやりとした瞳、光のない瞳。
『ん…あ…』
「! 大丈夫?リーフィア…くん?」
『無理しないで、死んじゃやだよ…!』
声をあげた。男性の声。その声は苦しそうではあったが、なんとか死は免れることができたようだ。よかった、ほっと溜息を付こうとしたけど、それは叶わない。彼が放った言葉に、私達は一気に蒼ざめる。
『うう…、…にんげん?…ころさなきゃ。ころす、 …!』
「え…?」
『ヒナリっ、その子を置いて!』
だけどそれは叶わない。リーフィアくんが、その小さな身体からは想像できないような力強さで、私のジャケットを引っ張っていたからだ。ころすって、殺す?殺されるの?突然の言葉に頭がくらくらぐるぐる、回ってしまう。どこか生命感に欠けた瞳と見つめ合って、私はパニック状態にいた。そんな、まだ私、生きてしたいことがたくさんあるのに。彼方が必死にリーフィアくんを引き剥がそうと、首根っこの辺りを咥えて引っ張るけれど、リーフィアくんの力には適わない。
『ヒナリ…!』
『んん、なんで…?にんげん、…おちつく。にんげん、おちつく、きもちいい』
「リーフィア、くん…?」
あ、れ。一変した言葉に、戸惑うことしかできない。彼方も引っ張るのを止めて、訝しげにリーフィアくんに近寄る。落ち着く、…って。さっきとは真逆の言葉にただ、じっと身を寄せてリーフィアくんを見つめることしか出来ない。そんな私達の混乱なんか知ったことではないというように、リーフィアくんは平坦で低いトーンという、いかにも寝起きの口調で、呟く。
『ねむい。ねむたい』
「ねむい…の?」
『……。すぅ』
寝てる。…それもご丁寧に寝息まで立てて、幸せそうに。しかもさりげなく私のジャケットを掴んだまま。どうしたらいいんだろう。視線で彼方に助けを求めたけど、彼方もやはりどうすることもできなくて、ええと、と戸惑いを隠しきれない。そんな騒ぎの声を聞いたのか、理央と漣が息を切らして駆けつけてきた。
『ヒナリちゃん、大丈夫だった…!?って、どういう状況?』
「わ、わかんない…、さっき少しだけ目をぇ覚ましたんだけど、またすぐ寝ちゃって」
「とりあえずヒナリ、立てる?ちょうど僕山小屋見つけられたから、そこ行くよ。了承も取ったから大丈夫」
よかった。理央の言葉に今度こそほっと溜息をついた。マフラーがないおかげで首元が寒いのか、理央は首を引っ込めたままそう言って、くるりと回れ右、それから歩き出す。ついて来い、ということだろう。雪で冷えてしまった脚では上手く力が入らなかったけれど、それを見てすぐ人型になった彼方と漣が持ち上げてくれて、ようやく立てた。理央も待たせてしまっているし、何だか情けなくて、俯いた目線の先にいるリーフィアくんを見つめる。
歩き出してかなりの振動があるのにも関わらず、リーフィアくんは目を開かない。また少し不安になるけど、でもちゃんと生きている。鼓動が規則正しく伝わってくるから。死なない限り、生きてる限りは、大丈夫だ。そう心に刻みつけて、また一歩ずつ、雪を踏みしめた。
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