薫は雪にうずもれた
「いやーどーもどーも!さむいですねーしばれますねー」
「それはいいから早くあっためてあげて!あんたここに住んでるなら凍死の怖さ知ってるでしょ!」
「おおお、そうですな。部屋ならあっためてありますんで、なんでも自由に使ってもらって結構ですぞー!」
「理央っ!…すいません、ありがとうございます」
焦っているのか、理央が山男さんを罵倒する。それでも余裕たっぷりの山男さんは本当に、山のような広い心。そしてそのまま、探索に行ってきますぞ、と言って出て行ってしまった。山男さんのご好意に甘えて、暖を取らせてもらう。
疲れたのか、彼方と漣は囲炉裏の周りで肩を貸しあって、すぐに眠ってしまった。リーフィアくんも未だ私の腕の中で目を覚まさない。起きているのは理央と私だけだ。その理央は椅子に座って、その辺にあるシント遺跡についての書類らしきものを読み漁っている。…いいのかな、と思う気持ちもあるけど、なんでも自由に使っていいって言ってたし。それに、私も眠りの世界へ足を半分踏み入れていた。そんな状態で、理央をたしなめられるわけがなく。しょうがない、もう寝てしまえ。他人のベッドに寝転がるのは少々気が引けるから、隅に座らせてもらって項垂れる。目を閉じていれば、だんだん意識がぼんやりして、夢と現の区別がつかなくなってきた、そんな時だった。
『…にんげん、』
声の源は腕の中だった。もぞもぞと蠢いたかと思うと、葉っぱの形をした耳がゆらり、揺らめく。
「んん…?リーフィア、くん?」
『にんげん、人間、…落ち着く』
言葉がだんだんと明瞭になっていくリーフィアくんは、そのうち目をぱっちりと開けた。ヘーゼル色の瞳は私を見据えると、それをゆっくり細める。そしてそれは、瞬きさえも出来ないような間のことだった
「あ、起きたねそのリーフィア。…って、 ヒナリ!」
リーフィアくんがその一瞬、姿を消したかと思うと、代わりに男の人が私に跨っていたのだ。見下ろされる体勢に、身体が本能的に怯えを感じる。手首もいつの間にか捉えられて、肩を押されれば簡単に布団の上に押し倒されてしまった。驚いて声をあげようにも、ぎらりとヘーゼル色の瞳に見つめられたら、そんなの出来るわけもなく。私はされるがまま、身体を固めてしまっていた。
真っ先に声をあげたのは理央で、読んでいた紙を置くとばっと立ち上がった。その騒ぎに彼方と漣も目が覚めたようで、目の前に広がる光景に衝撃を隠せていないみたいだ。私の名を呼んでしどろもどろ、狼狽えた声が飛ぶ。
「ヒナリちゃん!おい理央、どういうことだよ、何があったんだよ!?」
「分かんないけど、あのリーフィア目ぇ覚ましたらこうなってた!」
「ねえ、ヒナリに何するの…!離れてよ、今すぐ離れてよ!」
「ヒナリちゃんに、ヒナリちゃんに…!なあおい、ヒナリちゃんに何する気だ」
怒りに狂った形相で、彼方と漣がリーフィアくんに歩み寄っていく。しかしリーフィアくんは上体を起こし二人を見据えると、腰元に手をやった。ちらりと見えたそこには、…鞘?何で、と思った時、するすると金属の滑る音。そして、彼はこてん、と小首を傾げた。同時にふわりと揺れた髪は春の花みたいな薄黄色で、なんだか状況に不釣り合いだ。長さも揃っていないし、やつれたみたいにぼさぼさ。その上癖毛なのか、毛先がふわふわと波を描いている点はとても合っているけど。
でもそれよりも、彼が彼方達に差し向けたもののほうが重要だった。
「…、ころす?」
「!」
ぎらり、鈍い光が目を刺す。彼方達がびくりと慄いた。それもそのはずだ、彼の手には銀色の刃が握られていたんだから。刀には満たず、ナイフにしては長すぎる、中途半端な長さの刃。それを彼らに差し向ける彼の表情に、迷いはなかった。凍るような緊迫した空気の中、動きを止め、一度様子を見計らおうとでも言うようにアイコンタクトをする彼方達を見たあと、彼は私に視線を戻した。瞳の奥のぎらぎらとしたものに、身体が震える。
「…雌?」
リーフィアくんは拙い喋り方でそう言うと、また小首を傾げる。雌、って。まあ動物学的には雌に分類されるけども。
怯えつつも頷くと、リーフィアくんは満足げに微笑む。そして、刃を布団に突き刺すと、私のブラウスのボタンをいくつか外した。肌が外気に触れて、冷えていく。それからリーフィアくんはその唇を私の喉元に寄せていった。
「え、」
「ヒナリを、離して!」
触れるか触れないか、その間際の瞬間。リーフィアくんの身体は私の上から消えた。…彼方が刃を蹴り飛ばし、それからリーフィアくんの胴体に抱きついて、取り押さえたのだ。
「何、するの!」
「それはこっちの台詞だよ!ヒナリに何するの…!」
彼方とリーフィアくんがベッド上で乱闘を繰り広げる間、自由になった私は漣にさっと抱き上げられて、そのまま彼の腕の中に閉じ込められた。あやすように背中を撫でる漣の手の優しさに、じわりと涙が滲む。間近に、ほぼ知らない男の人がいた。その時は驚きのほうが勝ってたけど、自分でもあまり意識しないうちに、…怖かった、のかもしれない。
「ヒナリちゃん、怖かったね。もう大丈夫だから、あとは俺達に任せて」
雪道での時と逆で、今度は私が赤ちゃんみたいだ。声を出すこともできずに、ただ漣にしがみ付くことしかできなかった。
***
「で、…何がしたいの?あんた」
彼方が自身の手でリーフィアくんを後ろ手に縛って、ようやく大人しくなった頃、理央がじわじわ近寄り尋ねた。ちなみにあの刀のようなものは理央の手中だ。私はというと、漣の背後に隠れて顔だけ覗かせている状態。漣が規則正しく肩を叩いてくれたからか、怖さはじんわり減衰しつつあるけども、やっぱり、まだ。
「…?俺はずっと、旅してただけ…」
「どこから?」
「…ハクタイの森を出て、それから高い山目指して」
リーフィアくんは、理央の質問に素直に答えていく。たどたどしい喋り方だが、敵意は感じない。そのことに漣も私も気づいて、少しほっとした。ただ彼を捕らえている彼方だけはまだ油断ならないようで、ぐっと手に力を込めたままだけど。
理央の尋問紛いの質問の繰り返しで分かったのは、彼がシンオウ地方の出身であること。理央と同じだ。そして、恐らくはテンガン山を目指して一人旅をしていたこと。テンガン山、シンオウで一番高い山。頂上付近は雪山になっていて、とても氷タイプ以外、ましてや草タイプなんかが生息できる場所ではないと聞いたけど。
「それで、雪道で、俺は」
「…瀕死になった、ということだね」
「てか草タイプのくせに何でそんなところに行ったの…馬鹿?」
リーフィアくんの瞳の奥を覗いても、何も見えない。何を考えているのか、そもそも何か考えているのか、それすらも。ふわふわくるくるの髪を時々揺らしながら、彼はのんびりと答えていった。というか、シンオウのテンガン山からどうしてこんな所に?
「その後、何か覚えてることは?」
「白い、ポケモンが来た」
「…ユキワラシ、とかのことかな?」
「違う。小ちゃくて、花が咲いてた」
皆首を捻る。小さくて白くて、花の咲いたポケモン?ぱっと思いつくのがない。だけど、この子が嘘をつけるようにも思えない。
「そのポケモンの後は、…なんか、あったかくなった。多分、そこのパチリスに見つけられた。で、雌の人間と、そこの炎タイプがいて、眠かったし、気持ちよかったし、寝て、それで、ここに」
「あの刀…中刀、だよね。あれは?」
「…拾った。色々、便利だったし」
「ふーん。で、それから僕のヒナリを襲おうと?」
「僕のじゃない、僕らのね。理央」
「そいつ、わかんないけど…落ち着くから。あんしんするから。…こんなの、生まれて初めて」
リーフィアくんは頬を緩める。それまでの、ぼーっとした、何も考えていない虚ろな表情から一変、…ひさかたの光を浴びて草木が芽吹くような、穏やかな笑顔。この子、こんなに幸せそうな顔をするんだ。それを見たら、さっきのことだって無かったように思ってしまいそうなくらい、きらきら、その瑞々しさに満たされる。
「ねえ、俺、もっとそばに行きたい」
そうぼそりと呟いたリーフィアくんは、彼方の抑制を物ともせず薙ぎ払うと、するっと漣から私を奪い、そして後ろから腰に手を回してきた。リーフィアくんの纏っている若草色のマントに一緒に包まれ、そのせいかより近くに体温を感じて、どきどきが増していく。
「ヒナリ!」
「ちょ、だから何してくれるのあんた!ヒナリもちょっとは抵抗しろ!」
「だ、大丈夫!…だと思う」
「ヒナリちゃん、」
「何言ってんの馬鹿!」
大丈夫、の言葉にもう一度掴みかかろうとした彼方の動きが止まる。それでも理央に怒鳴られるけど、でもこの子、今度は怖くない。甘えてくる、のほうが近いような抱き締め方だった。何かしようとか、そういうのじゃない。優しい色合いの髪が肩に掛かるのが少しくすぐったくて、ちょっとびくりとした。
「…やっぱりそうだ、落ち着く。柔らかいし、気持ちいい。ヒナリ…っていうの?」
「そう、だよ?」
「ヒナリ、…ヒナリ」
ぎゅう、と回す腕に力が入る。そしてリーフィアくんが私の肩に頭を乗せるから、そのままそっと撫でてみると、ふふ、というくすぐったそうな声が耳元で聞こえた。…私より随分背も高いし、声も低い青年のはずなのに、なぜか動物を可愛がっているような気分がするのはなぜだろう。
外の吹雪の隙間から、太陽の光が零れた。この小屋の中にも光の暖かさが舞い込んできて、とても気持ちがいい。
「ヒナリ、ヒナリ、…俺眠い」
リーフィアくんも太陽が気持ちよかったのだろうか。不意に何を言い出すかと思えば、そんなことだった。やっぱりぼんやりと虚ろな目でそう言うリーフィアくんはとても不思議だ。
「…また寝るの?」
「うん…だから、おやすみ」
それから、肩に乗っかった頭の重みがずん、と増えた。まさかと思ったけど、その瞳は既に閉じられていて、さっきと同じくご丁寧にすうすうと寝息まで立てている。おかしいくらいに寝るのが高速すぎる子だ。困ってしまった私が三人に視線で助けを求めると、三人揃ってため息をつかれた。
「…はーあっ、誰が大丈夫だって?」
ごめんなさい、迷惑ばっかりかけて。
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