薫は雪にうずもれた
とりあえずリーフィアくんはベッドに寝かせておいて、囲炉裏を挟んで今後の会議をすることになった。やっぱり太陽の日差しが気持ちよくて眠気が襲ってくるけど、今寝たりなんかしたら理央に後でお説教を食らってしまう。そういえば、リーフィアの特性はリーフガードかようりょくそ、どちらも天気が良いと調子が上がる特性だ。ならば、この穏やかすぎる寝顔にも納得がついた。
「…ヒナリちゃん、聞いてる?」
はっとして目を見開くと、漣が私の顔の前で手を降っている。ぼーっとリーフィアくんを眺めていたらしい。彼方は寂しそうな顔をしてるし、理央は呆れすぎて言葉も出ない、といったところか。溜息をついたかと思うと、じめじめした視線を送ってくる。
「ご、ごめん」
「随分とそいつ、気に入ってるみたいじゃん。ヒナリ」
「なんか、ほっとけなくて」
そう言うと、彼方が一瞬びくっと反応した。それから何となく寂しげに私の方を見ているけれど、…目が合ってるのにも気付かないぐらいぼんやりしているみたいだ。ぱちり、視線がかち合ったかと思えば今度は机に突っ伏す。何で彼方、こんなに一人でじたばたしているんだろう。とりあえず頭をゆっくり撫でてあげたら、余計に顔を見せてくれなくなった。本当にどうしちゃったことやら。
「あーもう、どいつもこいつも馬鹿ばっか…。話続けるけどいい?そこのよくわかんない調査書みたいなのによる話だけど、」
彼方もそのまま聞き耳は立てているようだ。理央が言っているのは、リーフィアくんが目覚める前に読んでいた資料らしきもののことだろう。
「シント遺跡の柱は、シンオウ地方・テンガン山頂上にあるやりのはしらという場所の柱に酷似している。あとこれは僕が見た感想だけど、シント遺跡の建築物と、アルフの遺跡の建築物の形も似ているような気がした。これがまず、情報その1ね」
全員、こくりと頷く。
「それから、この雪。シンオウは豪雪地帯なのは知ってるよね。キッサキシティなんかはその典型…ていうのは余談で、このシント遺跡も同じく、豪雪地帯。僕もこの雪見たとき、シンオウのこと思い出した。これがその2。その3は、シント遺跡っていう名前。だいたい想像つかない?繋がっている地方のことを考えたら」
「シントのシンは、シンオウ…とか?」
「ご明察、彼方。じゃあトは?」
「ジョウトの、ト」
そう自分で言ってから、ああと納得が行った。理央も満足そうに頷くと、ニヤリと微笑む。
「そう。ここまでは僕も推理することはできたんだけど、ここから先はさっきの調査書の話。シント遺跡は、シンオウ出身でここに移り住んできた人が故郷を想って建てた神殿みたい。移り住む経緯は分からないけど、彼らはこの雪に溢れた景色の中に、自分の故郷の姿を見出したんだろうね」
一体昔、この地で何があったのだろう。あんな立派な神殿を建てるくらい、故郷のシンオウを愛していたのに、なぜ。そもそも一体何を祀った神殿なのか。考えても埒が明かない。でもこうして太古の人々に想いを寄せるのは、例え自己満足だとしても、何か必要なことのような気がした。どうか忘れ去られた歴史とならないように。どこかの誰かが覚えていますように。祈りながら目を閉じた瞬間、だった。
「正解正解だいせいかーい!さすがだね、見事ミッションクリア!いやーめでたいねえ、これで僕も助かって、君たちも欲の塊みたいなそのリーフィアとお友達になって?いいことずくめじゃないか!ほんと君達はラッキーだ、僕がこんなに気を回すなんて滅多にないことなんだから。基本的に放置が第一スタンスだからね!そうしないとめんどくさいことになっちゃったりするし?」
は、と目を開けた時にはもう彼の笑顔は目前に現れていて、にんまりと口角を上げた。ひどく不気味なそれに、思わず後ずさりする。…あの子だ。私達をここに送り込んだ張本人。底抜けに明るい喋り方も来た時と変わらない。そしてまた、長々しく意味もないような言葉の羅列を、胡散臭くだらだら喋り続けるのだ。
「さて本題に戻ろうか。ミッションクリア、これが何を意味するか分かる?…時がやってきた、ということだよ。ああ、でも今度は君達にとっては何の不利益もないから安心してね大丈夫。もうここに何の未練もないでしょ、たかが古代の神殿だもんね。今は何もないし、何かあったとしても君達にそれは起こせない。ああもうめんどくさいなあ、さっさと飛ばしたほうが早そうだね。じゃあもう一度行こうか、3、2、1!」
「え、ちょっと!」
何か物を言う間もなく、彼は指をぱちんと鳴らした。それが合図となり、私達の思考も視界も何もかもが奪われる。光が、消える。
***
目が開く。
それは突然のことだった。白が全てを支配する世界に、私はいる。驚きや恐怖は感じなかった。何かそういったものを全て超越した気分だ。むしろ心は安らいでいる。呆然と、意識だけが目覚めている状態。私という実体をどこかに置いてきてしまったような、そんな心地がした。
ふと、花の香りが感覚の片隅に触れる。なんでだろう、こんなにも無の世界のはずなのに。疑問に思っていると、今度は目の前に人の姿が現れた。若草色の長い髪を持つ、少女だ。身長も私の胸あたりまでしかないような、幼い少女。歩いてくるとか、そういう動作は何もなしに、彼女はその場に現れた。だけどそのことに何も違和感は抱かない。そんなこと、どうでもよかったのだ。
ーーありがとう
確かにその声は聞こえるのに、彼女の唇は動かなかった。動かない代わり、可愛らしく弧を描く。私は意識だけで、その様子を眺めるだけ。
ーーあの子ね、死んじゃう運命だったの。でも、何も知らないまま死ぬのは可哀想かなって
「リーフィアくん、のこと?」
ーーそうよ。あの子、本当に何も知らないの。父も母も仲間も。いるのは自分とその他だけだから。仲間と過ごす楽しさも、…命の重みも、何も知らないのよ。あの子の世界は快か不快かの両極端
少女は困ったように眉を下げて笑った。彼女の真っ白なワンピースと一緒に、桃色の花の髪飾りが揺れる。彼女の言葉は、理解をするとかそういうのじゃなくて、心臓の鼓動と同化するようだった。言葉一つ一つが直に染み渡る。思考はいらない。そのまま伝わってくるから。
そして彼女はくるり、背を向けたかと思うと顔だけ私のほうを覗き、小さく笑う。大きく揺らいだ髪が、空間の摂理を無視し宙に漂っていた。
ーー自分の身を守って、自分の快楽を求めることしが知らないの。それじゃああんまり可哀想と思って、あなたに会ってもらって、それで初めて安らぎを知ったの。ふふ、可哀想なんて言ってたらキリがないって彼に怒られたりもしたんだけどね、歳をとるとお節介になるものよ
彼女はそう言うけど、彼女の容姿は明らかに私より幼い。背丈も表情も何もかも。変なことを言うなあ、そう思っていると、彼女はころころと口元を押さえて嬉しそうに笑った。
ーーそういえば、そう。本題はお礼を言うことだったわ。はい、これを
手品のように、突如彼女の手元に一輪の花が現れた。桃色の、ちょうど彼女の髪飾りと同じような花だ。穏やかな香りが鼻腔を掠めて、一番最初に現れた花の香りの正体はこれだと確信した。彼女がその花を差し出すと、その香りがめいいっぱいに飛び込んでくる。花の香り、でもそれは花瓶に入れて部屋に飾るみたいなものじゃない。土の、空気の、草の葉の、…外の世界の香り。旅に出た今も、こういった類のものへの憧れは持ち続けているみたいだ。胸いっぱいに新しい風が吹き抜けるような感覚、ああ、憧れ続けた香りが今ここに。
「ありがとう」
心から思ったことをそっくりそのまま告げると、彼女はこの上なく幸せそうな笑顔を向けて、ぎゅうと腰に抱きついてきた。そこで初めて、私という実体がここにあることに気がつくけど、そんなことよりも彼女の様子がとても愛おしくて、私もそっと彼女に手を回す。すると、真っ白な世界が一気に色付いた。見渡す限りの花畑だ!色とりどりの花々に思わず歓声を上げる。きれい、だ。
ーーさあ、そろそろあなたも私も戻らなくちゃ。この道をずっと歩き続けて
彼女が指差す先には、いつの間に現れたんだろう、一本の道が出来ている。進んだ先にゴールは見えなくて、地平線の奥は薄らいでいた。私は操られたかのように頷いて、そして歩き出す。途中から、彼女の気配は消えた。やがて私の意識が消え去り、実体だけが残されたとしても、歩く、歩く、歩く。彼女に貰った花を、その手に大切に持ちながら。夢の世界に誘われるみたいに。
そして、それから、……。
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