薫は雪にうずもれた

暗闇が徐々に薄くなって、曖昧な意識のまま目をこする。あれは、蛍光灯の光?寝ているのかな、私。もしかして今まで旅に出ていたのは全て夢で、その夢がようやく覚めた?一人の部屋の中の生活にまた、戻るの?

「いやだ」

いやだ。そんなの、いやだ。

ばっと起き上がると、隣には元々の姿の彼方、理央、リーフィアくん、それから一人だけ人型を取っている漣。多分あの少年によって、それぞれ一番飛ばしやすい姿に変えられたのだろう。それに、手に握っているあの花もある。…よかった、夢じゃなかった。そっと全員を撫でると、不安に蝕まれた心の隙間が埋められていく。

とりあえず、辺りを見回してみる。いくつか並んだベッドに、テレビや机、簡単なキッチン。ポケモンセンターの一室のようだ。あの少年の仕業、にしては優しすぎる気がする。なんて言ったって突然私達を意味深な雪道の中に放り込むような人物だ。そもそも彼は人間なんだろうか。不思議な髪の色をしていたし、もしかしたら人型をとったポケモンなのかもしれない。仮にそうだとしたら、余計にわからない。何で私達にいきなり介入してきたのか。…考えても、結局は何も分からなくなってしまった。理央を始めとして、皆で考えたら分かるのかもしれないけど、一人じゃ分かる気がしない。

少年のことはさておき、まだ不思議なことは残っている。真っ白な世界の、あの少女だ。彼女の言葉は一体何を指していたんだろうか。というか、あれこそ夢だったんじゃ。でもその仮説は、私が手に持っている一輪の花が打ち砕いた。未だ鮮やかな桃色のままの花。顔に寄せると、やはり外の世界の香りがする。
あの子は確か、リーフィアくんが死ぬ運命だったと言っていた。それを信じるならば、死ぬ運命だった彼が、今傍で心臓を動かしているのか。そう思うと、今こうしていられるのが奇跡のように思う。彼の身体が呼吸と共に小さく上がり下がりする。そんなことすらも、少し運命が異なればあり得ないことだったのだ。
それから確かリーフィアくんについて、何も知らない子、とも言っていたか。だから気の赴くままに眠ったり抱きついたりしていたと思うと、納得がいった。そういえばあの少年のほうも、欲の塊だとか言ってたっけ。言葉は悪いが、まあその通りである。野性的、というか実際野性のポケモンだ。自分の欲求を満たすことしか知らないのかもしれない。

ふと思い立って、私はポケギアを取り出した。ここはジョウト地方、キキョウシティ。眩しい画面は暗がりの中そう示す。どうやら戻されてしまったようだ。進行方向的には都合が良いからいいんだけども。時間は夜中の九時。今日はここに泊まって、明日エンジュに出発しようかな。リーフィアくんは、どうするだろうか。判断は彼の意思に任せようと思う。だけどここまで来てしまったよしみもあるわけだし、折角なら一緒に旅してみたいというのが本音だ。最初のことを忘れたわけじゃないけど、あの子の話を聞いた以上、悪い子には思えなかった。

とりあえずベッドから起き上がろうともぞもぞしたせいか、皆を起こしてしまったみたいだ。彼方が起きたのを皮切りに、続々と声を上げ起き上がって行く。

『ん…あれ、僕』

「彼方、おはよう」

『あーもう、寝過ぎて気持ち悪いんだけど…ここどこ?』

「…ああ、ヒナリちゃん。おやすみー…」

「キキョウシティみたい。そろそろ起きようよ漣。リーフィアくんも」

なんだかんだ言っても起きてくる理央や漣とは違い、リーフィアくんは揺さぶっても一向に起きる気配がない。起きるどころか、炎タイプで暖かいからだろう、傍にいた彼方をがっしりホールドしている。困ったな、今後のことも聞きたいんだけど。というか、彼方が背中から炎を出すかもしれないとは考えないんだろうか。

『しょうがないね、もう僕らだけで夕飯にしちゃおうよヒナリ』

『…、ごはん…?』

理央が溜息をつきながらそう言うと、ぴくりとリーフィアくんの大きな耳が動く。そうか、この子もお腹が空いているに違いない、雪山で倒れてからそれっきり、ほぼ眠り続けてたんだから。ふと、あの少年の言葉が頭を過ぎった。欲の塊。もしかしたら、食欲にも従順かもしれない。私はわざと声のボリュームをあげて話す。

「そうだね、ご飯にしよう。リーフィアくんはまだ寝てるから、いらないかな」

「だよな、まだ寝てられるってことはそんなに腹減ってないってことだよな!」

『彼方も早く上手いことそいつすり抜けなよ。で、ご飯行くよご飯!』

『うん!何食べようかなー、最近和食ばっかりだったから洋食もいいよね、パスタとかかな』

意図に気が付いたのか、2匹と一人が乗っかってくれた。やたらめったらご飯という単語を強調する度にリーフィアくんの耳が反応して、ちょっと面白い。ついに彼方がリーフィアくんのホールドから抜け出して人型になったとき、リーフィアくんはのそりと起き上がった。

『ご、は、ん…』

「おはようリーフィアくん、とりあえずご飯食べながら話そう?」

『ごはん、ごはん、ごはん、ごはん、』

呪いでもかけるかのようにゆらゆらとご飯ご飯と連呼するリーフィアくんは若干ホラーだ。苦笑いしつつ、もうお弁当でも買ってしまって部屋で食べようか、と部屋を出た。

***

皆が人型になって、一心不乱にお弁当を貪る。中でも凄まじい食べっぷりだったのはやはりリーフィアくんで、大盛りのお弁当を二つとも見事に平らげ、私の分のお弁当にまで手を出そうと目を光らせていた。…あげないよ。私だってお腹空いているんだから。

「で、どうするの?こいつ」

少食な理央が早めに食べ終わって、ふうと息を吐くと同時にそう言った。そう、本題はそれだ。

「私は、リーフィアくんの判断に任せようと思う。シンオウからジョウトまで移動しちゃったわけだし、行く場所ないなら…ってのもあるけど、シンオウに戻りたいと思うのならそうしたほうがいいと思うし。でも折角なら…って思わないこともないかな」

「…ヒナリ、分かってんの?こいつ、ヒナリを襲いかけたやつだよ?おまけに僕らに刃物も向けてくるようなやつだし」

「僕も理央と同じ。…仲良くできるなら、してみたいとは思うけど」

「俺も同意見。ヒナリちゃんに危害が加わるのは、やっぱり危なすぎる」

「そう、かもしれないけど…。でもきっと、この子何も知らないだけなんだよ、生きることに必死だったから」

「そう言い切る根拠は?」

理央が落ち着いた口調で私を諭す。根拠なんて、夢のようなあの少女の言葉だけだ。けれど妙に現実味があるというか、夢のはずなのに夢とは思えなかったというか。何も疑うことなく信じ切れてしまうのだ。でもそう言ったところで信じてもらえないのは目に見えてるから、私は必死に他の理由を考える。

「それに、この子テンガン山に途中で倒れちゃったにしても独りで登ってたんだよ。私の目標だってシロガネ山の頂上なんだから、すごい頼りになりそうでしょ?」

「…そう、言われたらそうだけど」

理央が言葉に詰まっている。シロガネ山の頂上へ行くこと、それは私達にとって何にも代え難い価値を持っているからこその理由だ。三人が俯いたところで、リーフィアくんに視線が集まる。ちょっとびっくりしたのか、不思議そうに私達の顔を眺めるリーフィアくんに、私は尋ねた。

「ねえリーフィアくん、これからどうしたい?」

「…おいしかった」

…え?全員がぽかんとする中、リーフィアくんだけが真顔だ。あまりにもきっぱり、迷いなくそう言うリーフィアくんの論理に全くついていけない。

「おいしかった。すごく」

「…話聞いてた…よね?」

「うん。…これは、彼方?」

「そうだよ、彼方だよ」

「そっか。じゃあ、彼方達と眠るのは、一人より気持ちがよかった」

う、うん。戸惑いながらも頷く。唐突すぎる話の内容についていけない。そういえばあの少女が愛さえ知らないだとか言っていた気がする。他者との交わりが少ないのだろうか。それにしても話に脈絡がなさすぎて、混乱が止まらない。それは彼方達も同じようだったけど、そのうち理央が堪えきれなくなって、リーフィアくんに勢いよく怒鳴りつける。

「あーもうじれったいなあ、あんたの感想聞いてるんじゃないの!早く結論言ってよばーか!」

「理央、落ち着けって。じっくり待とうぜ」

「待ってられるか漣の阿呆!」

漣には何の罪もないのに、完璧に巻き添えだ。ばしんと気持ちのいい音を鳴らして、理央が漣の後頭部をぶっ叩く。そんなコントを気にする様子もなく、リーフィアくんはこてんと小首を傾げる。

「ついてく。ヒナリ達に。…いい?」

「うん。駄目なはずないよ」

そう言うと、リーフィアくんはふわりと口元を綻ばせた。さっきから基本無表情だったから、時たまに見せる笑顔はすごく綺麗に見える。最初の怖さなんか、そこにはどこにもない。

さっき私は、リーフィアくんが仲間になってほしい理由として最大のものを隠していた。…彼が随分私を気に入ってくれてるようだ、ということ。一緒にいて安心する、と言ってくれるような彼を、どうしてそう簡単に嫌いになれるだろうか。こういうところが、理央の言う甘さなのかもしれないけれど、素直に喜んでいる自分がいるのも確かで。

「ヒナリちゃん襲ったら駄目だからな。彼方に燃やされるぞお前」

「…漣?」

「そうそう俺が漣。で、あいつが理央」

「ヒナリがいいって言うんならしょうがないけど、あんまり野生児だったら付き合ってらんないからね」

つーんとする理央に苦笑する。でも野生児という表現は的確だと思った、…言葉は悪いけど。あの少女が可哀想というこの子。愛や命の重さも知らないというこの子。私だってそういったことを語れるくらい立派な人間様じゃないけれど、それでも私が知ることをたくさん伝えられるといいな。広い世界のことを、たくさん。

「…ひろ。ちひろ…、漢字を当てるとしたら、千紘かな」

「ヒナリ、もしかしてそれって、この子の名前?」

「うん、…なんか、思いついちゃった」

千は、たくさんのこと。紘はそのまま、広いことを表す。女の子みたいな気もするけど、そんなこと言ったら他の三人だって似たようなもんだし、可愛くていい名前じゃないかな、と思うんだけど…。リーフィアくんの表情を覗き込むと、よく分かっていないようで、目をぱちくりとしている。

「千紘って名前、嫌?」

「俺の名前?」

「そうだよ、気に入らなかったら、また考えるけど…」

「千紘。…嫌じゃない。ヒナリがくれた、名前」

リーフィアくん、もとい千紘は微笑みを口元に浮かべる。若葉が芽生えたような、瑞々しい笑顔だった。
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