刹那を恐れ愛おしむ

それからは、コンテストで手に入れた技マシンの力を借りて覚えた技を試してみたり、技のコンビネーションを考えたりと、ひたすら個人技を磨く時間となった。午後になる頃には漣も合流して、ジム戦に向けた対策を理央と立てたりもして。夕方には全員くたくたに疲れ果てて、一日前とは大違い、日付が変わる前に寝付いてしまった。

そして今、私達はエンジュジムのバトルフィールドで、ジムリーダーであるマツバさんの元へと辿り着いたところである。

「君は…、探し物のため、じゃないね。むしろ探されてる身みたいだけど」

彼は私に目をやった瞬間、くすんだ紫色の瞳をきょとんと丸くした。それからしばらく定めるように見つめられ、最終的には人の良さそうな笑顔で、この台詞である。…なんだか掴めない人。そういえば、エンジュシティ完全ガイドブックに書いてあったっけ、彼は千里眼を持ち、時には探し物の場所を言い当てたりすることができる、らしい。そのことなんだろうか、探されているなんて。そんな覚えは全くないけれど。よく分からなくて首を捻るしかない私を、マツバさんは口元に手を添え、くすりと笑う。やはり、掴めない人。もしかして彼自身もゴーストタイプだから、手を伸ばしても掴めないのかな、…なんて、変なことを考えた。

「まあ、詳しくは言わないけどね。…さあ、バトルをしようか。僕はマツバ。エンジュジムのジムリーダー」

明かりの限られたジムの中に、マツバさんの不敵な笑みがぼんやりと浮かんだ。それはまるで、彼が操るのを得意とするゴーストタイプのよう。背筋が凍るけれど、ここで負けてしまったらバトルで勝てるわけもない。ボールを強く握りしめて、自分を奮い立たせる。

「使用ポケモンは一匹、制限時間はなし!…両者、ポケモンを繰り出してください」

「ゲンガー、頼んだよ」

『任せといてよマツバ、けけけ』

紫の丸い身体に、恐ろしくも愛らしい笑顔をのせたゲンガー。素早い攻撃や補助技が怖いけれど、対策はちゃんとある。昨日理央に怒られながらも考えた作戦だ。よし、と心を改めてから、ボールを投げた。

「漣、お願い」

漣は何も言わなかったけど、その横顔は上品な笑みを浮かべていて、余裕な様子だ。ただでさえ素早さはほぼ捨てている漣が、普通の状態で、ゲンガーにスピードで勝てるわけがない。ならば、普通じゃなければいい。これが今回の作戦だ。

漣とゲンガー、私とマツバさんで対峙して、バトル前特有の張り詰めた緊迫感が私達の間に存在していた。どくり、どくりと、押さえつけた四つの脈拍の音が聞こえるような、この時間。しかし、それは審判の声が飛び抜けたことによって破られる。

「試合開始!」

「ゲンガー、さいみんじゅつ」

穏やかな声がするりと流れ、それに呼応したゲンガーが即座に奇妙な波紋をその手から放つ。…大丈夫、これは予想できている。まだ漣に微笑みかける余裕さえあった。

「漣、できる限りでいいよ」

『ありがと、ヒナリちゃん』

漣はれいとうビームを、自身を中心とした円を描くように放つ。しばらくすれば、スケートリンクのような氷のフィールドがそこには広がっていた。これが出来れば、漣の動きの鈍さの問題は解消される、うまく行けば独壇場にさえ持っていけるのだ。漣はそんな私の思惑を理解し、ざらざらと荒削りだが、平らな氷の層をフィールドの上に創り上げた。これなら滑るのに支障はなさそうだ。だがそのステージが出来上がった時、ちょうどゲンガーのさいみんじゅつが漣を襲ってしまった。ゲンガーの手から編み出される歪んだ波紋が、青の巨体をまるごと包み込む。途端、漣の首が前方にぐらつく、けれど。

『けけけ、おやすみー』

『…、やあ、おはよう?なんてね』

『ありり?…ああなんだ、いいもん食ってんじゃん?』

「漣、れいとうビーム!」

「シャドーボール」

技と技はぶつかり合うと、激しい音と煙を生み出した。お互いすぐに間合いを取り、睨み合う。カゴのみを持たせておいて本当によかった。随分幼い頃に見た、テレビで見たゲンガー対ニドリーノのバトルビデオが大好きだったから、ゲンガーの有名な戦法、さいみんじゅつからゆめくいのコンボは予測できたのだ。カゴは硬くてあんまり美味しくない、と文句を言っていた漣だけど、今は私に少し振り返ると苦笑いして、ごめんねと言っているようだった。…よろしい。

「ゲンガー、とりあえずはもう一度攻めようか。シャドーボール」

「かわせるよ漣!れいとうビーム!」

互いに技を繰り出すが、どちらも素早い動きで交わしてしまう。バトルは堂々巡りだ。さすがの漣にもだんだんと疲れの色が出てきたのか、動きに粗が目立ち始めた時、展開は急転した。

「そろそろ行こう、ゲンガー。くろいまなざし」

『戦法と言ったら聞こえはいいけど、性格悪いねぇ!だから慕ってるんだけどさ、マツバ!』

けらけらと笑いながら、瞬間、漣の背後にゲンガーは姿を現す。はっとする間もなく、その眼を大きく開き、気味悪い眼差しを漣は見てしまった。そして、その動きは完全に止められてしまった。

『く、そ…!』

「うん、いい気分だよ!続けよう、シャドーボール」

マツバさんはその時、初めて心からの笑顔を見せた気がした。反対に私の戦略は打ち砕かれ、焦る一方だ。最初からくろいまなざしをすればよかったのに、消耗した頃を狙うとはさすがだ。ゲンガーの言葉の意味がようやくわかった。マツバさん、きっと持ち上げてから突き落とすのが好きなタイプだ。それはともかく、どうやって打破しよう、何も思い浮かばないうちに時間は過ぎて行く。

『ヒナリちゃん、指示を!』

「れ、漣…!」

動くことができない漣は、ただひたすらゲンガーの猛攻を耐えていた。いくら耐久力のある漣と言ったって、あんなに攻撃を受けたら体力も危うくなる。実際、漣の表情には苦痛が浮かんでいる。何とかしなきゃ、相談に乗ってくれた理央にも、応援してくれた彼方と千紘にも、合わせる顔がない!昨日の光景がフラッシュバックする。皆で円になって考えて、彼方が思いついたことをどんどん喋って、理央がそれを実現可能な案に整えていく。千紘は考えているのか分からない、というか眠そう。たまに口出しする漣がちょっと的外れだと、イラっとした理央がでこぴんと一緒に軽い電流を流して、漣が俺のタイプ分かってるでしょ、水タイプに電気は酷いと文句を言って…。

その時だった。私はようやく思い出した。漣には、昨日貰った技マシンで覚えたての、あの技がある。組み合わせ次第で、きっとこれは武器になる!

「漣!みずのはどう!」

突然の私の指示だったけど、漣はすぐに応えてくれた。逆にゲンガーは素早い対応ができなくて、漣の水流をまともに食らってしまった。今が、今しかチャンスはない!即座にもう一度叫ぶ。

「10まんボルト!」

目が眩むほどの勢いで、漣は電流を放つ。水タイプが電気技なんて、と思うかもしれないけど、それが出来てしまうのが技マシンのいいところ。水に電気はよく通る。素朴なことだ、だけどダメージはきっと倍増するはず。実際、ゲンガーは声をあげて苦しんでいる。

「ゲンガー、大丈夫かい?」

『けけけ、予想外。シビれちゃったじゃんか』

やがてむくりと起き上がったゲンガーは笑っていた。だけどその身体の動きは硬く、今までの俊敏さを明らかに失っているーー文字通り、シビれて麻痺状態になっているようだ。漣はその洒落に少し微笑みを漏らすと、私の名前を呼んだ。

『ヒナリちゃん。今ならトドメ、刺せるよ』

「うん…!漣、れいとうビーム!」

ゲンガーは為されるがままにれいとうビームを受けざるを得なかった。氷が彼を包み、浮遊であるはずのゲンガーの身体が地に落ちる。

「ゲンガー戦闘不能、挑戦者勝利!」

よかった、勝てた…!つい胸を撫で下ろす。漣もダメージの蓄積があるからか苦しそうだったけど、それでも得意そうに笑っていた。その一方、ゲンガーを労ってからボールに戻すマツバさんの表情は、バトルの前と変わりなく貼り付けたような笑顔で、少し不気味だ、と思ってしまった。失礼だな、私。
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