刹那を恐れ愛おしむ
最初の印象は、中世の古城。黒雲から見え隠れするその建築物には高い塔がいくつか立っていて、風車がその上で廻り続けている。近寄ってみると、窓から橙色、そして中腹部にある大きな扉からは青白い光が漏れていた。多分、人間の存在はあるように見えるけど。
『ヒナリちゃん、ほんとに入るの?ここ…』
「入らざる…を得ないよね」
漣が苦笑いしているけど、ほんとは私だってこんな怪しいところは避けたい。でもこの大荒れの天気の中、これ以上動き回るのは不可能だろう。空は真っ黒、今すぐにでも大雨が降り出しそうだ。昼間はあんなに穏やかだった水面も今は脅威でしかない。それでも漣のおかげで何とかこの島の船着き場に辿り着けた。それにしても、随分昔からあるところらしい、海の中に沈んだ木製の桟橋の脚は腐りかけで、今にもぼろぼろと崩壊しそうだ。…大丈夫、だろうか。
「ニューアイランド島、って書いてあるよ、ヒナリ」
漣から降りて、いち早く看板を見つけた彼方がそう教えてくれた。ニューアイランド島…聞いたことがない。ありとあらゆる地図を見てきたと自負しているけど、そんなのは記憶の引き出しをいくら引っ張っても見当たらない。彼方と理央も同じ反応で、余計怪しさが増す。
「とりあえず、中に入らないとどうにもならないだろうね…、人がいるかもしれない」
「…漣、それはない。人間はここにいない。…勘じゃなくて、これは、絶対」
人のかたちになった千紘がそう言い切る。千紘がこんなにはっきり物を言うのは珍しいから、何となく視線が集まった。そして再び口を開いたかと思うと、
「あと、食料の匂いも、ない…」
いかにも深刻そうな顔でそう呟くのだ。一気に脱力しながら、鞄の中を探って昨日買っておいた缶詰類を見せると、千紘は口元こそそのままだが、瞳の輝き具合でその喜びを語っていた。私より身体は随分と大きいのに、よかったねーと撫でてあげたくなる不思議。
「ああーもう!いいから行こう!ヒナリ!」
「えっ、わ、わあ」
理央に突然手を繋がれて、螺旋状の階段を並んで登り出す。馬鹿馬鹿言いつつも、力強く握ってくる手は、もしかしたらこの場所への緊張を少なからず表しているのかもしれない。とは言っても私も同じように怖いから、同じくらい強く握り返すと、にへらと照れたように微笑みかけられた。
まるで鍾乳洞に城を植え付けたみたいな島だった。点々と存在する灯りとマグマラシに戻った彼方の炎を頼りに螺旋階段を登りきると、そこには巨大で重そうな扉。私の身長の何倍あるのかも分からないくらいの、だ。私達全員で必死に押してようやく開いた扉の中には、これまた広い、パーティ会場のような部屋があった。
「…えっと。とりあえず探索してみようよ、ね、ヒナリ」
「そう、だね…」
予想の遥か上を行く光景に唖然とするしかなくて、彼方の言葉でようやく現実に帰ってこれた心地がした。噴水や燭台の乗ったテーブルから、ここがたくさんの客をもてなす空間であったことが想像できる。しかし、そうだとすると明らかに違和感を発しているものが一つ。広間の中央で存在感を放つ、おどろおどろしい螺旋状の巨大なオブジェだ。何の理由があってこれはあるんだろう、だとか、一体ここで何があったんだろう、とか、疑問が泡のように浮かんでは消えていく。
それから皆で探索を続けたけど、見つかるのは怪しいものばかりだった。広大なバトルフィールドや、怪しい小部屋の数々。コンクリートや木造ではなく、洞窟をくり抜いてできたみたいなその異様な光景が、私の不安を煽る。そんな中なら、何も言わずとも五人でなんとなく引っ付きあって、互いの存在を確認しながら歩きたくなるのも、自然な行動だろう。
「あと見てないのはこの部屋だけ」
「うん…」
一番記憶力が良いのか、理央がそう教えてくれて、私は恐る恐る扉を開いていった。中には一昔前の最先端のような、古い機械類がたくさん。大小さまざまのモニターはもちろん真っ暗なままだ。それと、不気味な模様の、縦長の水槽がいくつか、そしてなぜかベルトコンベアもある。床にはすっかり変色して黄色くなった紙がたくさん散らばっていて、一枚拾い上げてみると、それは何かの研究レポートのようで、書いてある内容は全く分からなかった。
「研究室、というか実験室?みたいだね。さすがにここで寝泊まりするわけにはいかないね」
「…ヒナリ、ここは?」
千紘が座ったのは、ベルトコンベアの上。いや、それはちょっとない、そう笑おうとした時だった。突如、静かに機械が起動する音がして、そしてがこんと大きな音がしたかと思うと、ベルトコンベアが動き出したのだ。
「……?」
「ち、千紘!」
何が起こったのかよく分かっていないような千紘は、皆に名前を呼ばれてもぼんやりとしたままだ。ベルトコンベアの進む先には、レントゲン写真でも撮るみたいな穴がある。少し覗けば、メカニックな腕が何本もあるようだ。…何が起こるのか見当はさっぱりつかないけど、まずいのは分かる!慌てて引きずりおろそうとした時に、だ。聞き覚えのない声が、心臓に直接響いた。
――降りろ
バリトンの険しい声が、本当に心臓に響くのだ。空気を振動させて音を伝えるのではなく、そのまま。テレパシー、というものだろうか。それに驚いている間に、千紘の身体はふわりと宙に浮いた。…宙に、浮いた?なぜ、どうして、キャパシティオーバーでもう何も分からない。千紘はそっと床に着地すると、一瞬よろけたものの何事もなさそうに立っている。
辺りを見回すと、扉のほうに一人の男性がいた。鋭い紫の眼光に、思わず身構える。紫の長髪、それにモダンなデザインの赤紫のロングコート、その容姿はとても不気味だ。しかし、生命としての存在があやふや、と感じるのは何故だろう。
――去れ
そう言い放たれて、身動きできなくなりそうなくらい震えてるけど、私は一歩前に出て、紫の眼を見つめた。
「あの、私達は」
――口答えするな
「…っ、あの!この天気の中海に出ることが出来なくて、…一晩ここに置いてくれませんか!」
いつの間にか握りしめていた自分の手のひらは恐怖で冷え切っていく。そんな私を守ってくれるかのように、彼方達が周りに寄ってきてくれていた。その気配だけで、私はこうして立って、強くいられる。
――……、ここは廃墟だ、好きにすればいい。ただ、この部屋…この部屋だけは、今すぐ出て行け
どうして、ここに何かあるの、そう聞こうと口を開く前に、彼はどこか遠い目をして、呟くように私に告げた。
――我々は認められない、故に我々の存在はかなしまれるもの。それが新たに生まれるのは、哀れだろう?
単純だけど難解な言葉の一つ一つに込められた意味を即座に理解できるほど、私は頭の回転が速い訳ではない。何て言葉を返そう、それをぐるぐると脳内を巡らせる。認められないって、存在がかなしいって、何?
彼は微笑んでいたようだった。だけどその微笑みを見て、私はなぜだか寂しくなった。
「あの、あなたは」
――そろそろ私は去ろうか。…とにかくこの部屋からは今すぐに出て行け
彼は私に何も言わせないまま、くるりと向きを変えて歩み、暗がりの中にその身を溶かしていった。引き止めることはできなくて、ただ唖然と彼の姿を思い浮かべる。あの紫の瞳の奥に、一体何があるんだろう。
「…ミュウツー」
私の疑問に答えるように、そう呟いたのは、一番長くその声を聞いてきた彼方だった。
「ミュウ、ツー」
復唱して、考える。ミュウツー。いでんしポケモン。昔科学者によって"つくられた"ポケモン。そんな噂は聞いたことがあった。でもそれは都市伝説みたいな、あやふやな存在だったのだけど。実在、したんだ。だから、あんなこと…かなしいとか、何とか。言っていたのかな。
私は何を思ったらいいんだろう。彼を、ミュウツーを憐れだと同情するのは、違う。気味が悪いと怖がるのも、違う。そういうのじゃなくて。
「うれしいのに」
「…ヒナリ?」
不安そうに私の表情を伺っている千紘が、視界の端に映っていた。
「かなしくなんかない、むしろうれしいのに」
「…どうして?」
「こうして、いろんなところに行っていろんなもの見るには、存在が、命がないとできないでしょ?それをかなしいって言うのは、不思議。こんなにうれしいことはないのに」
それは、閉鎖された生活から抜け出した私だから思うことなのかもしれない。けれど、これもまた一つの、私の辿り着いた結論だ。
その時、いつも何があってもあまり動じない千紘の瞳が揺らいでいたことに、私はまだ気づいていなかった。
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