夕陽の隣で歩むこと

舌に乗せただけでジワリと溶け出す脂身。勿体なくて噛むのを躊躇っているうちに、あっという間に旨味が口内に充満する。頬っぺたが落ちちゃいそう!という、よくテレビで聞くような表現を、私たちは今まさに味わっているらしい。…至福。

「美味いか?嬢ちゃん」

「おいしい、です!」

「…おかわり」

「おお、そこの金髪の兄ちゃんよく食うな!もっと食えー!力がつくぞ!」

豪快なこのおじさんが経営するアサギ食堂は、ちょっとしたアサギシティの名物らしい。船乗りさんの体力付けに最適らしく――その分女の人はあまり来ないらしいんだけど、まあ来てしまったからには食べなくては勿体ない。確かにボリュームは満点だけど、今日採れたてだという魚介類は物珍しいせいもあって美味しいし、女の人がなかなか来ないのも損だと思う。

アルトマーレとアサギシティの距離はそれほどもなくて、夕飯時には到着できた。せっかくの港町なら海鮮丼食べておきたい、という流れでこのアサギ食堂にやってきて、晩ごはんをとっている…というわけだ。カウンター席を六人で占拠して、当店一番人気だという特製海鮮丼を頬張る。うん、美味しい。隣に並んだ彼らの顔を見ると、満足そうなのが三つ、苦しそうなのが一つ、考え事しているようなのが一つ。まずは苦しそうなのに声をかける。一番小さい彼だ。

「理央、大丈夫…?」

「無理、もう無理!何なのこの量!まともな奴が食う量じゃない!」

机に突っ伏す理央の表情は本当にしんどそうだ。理央の小さな身体にこの量は確かに多すぎる。それに加え理央はかなり少食だし。可哀想だったかな、と思っていると。

「理央お前、そんなんだからちっちゃいままなんだよ」

「なあ…っ!漣のくせにばーか!」

ぷくっと頬を膨らませた。…珍しい。あの僕様何様理央様が言いくるめられている。身長が小さいの、嫌なのかな。そりゃあまだ子供だから仕方ないし、大きくなったら大きくなったできっと理央ならカッコイイだろうけど、今のままも可愛くて好き…なんて言ったら、調子に乗ってもっと少食になっちゃったりするんだろうか。

「理央、…食べないなら、ちょうだい?」

対照的に、千紘の無限の胃袋は理央の分まで欲して、ん、と手を伸ばしてくる。それでちょうど釣り合いがとれて、お金的に損はしていないからまあいいか。

そして、唯一気難しい顔をしているのは隣の祐月。お味噌汁の一口目を飲んだ後呆然と、一切の体の動きが止まっている。ただ心臓だけがばくばくと動いているのは、その瞳の揺らめきから知ることができた。…味に問題はないと思うんだけど。恐る恐る、できるだけ刺激しないように声をかける。

「祐月はどうしたの、変な顔して」

「いえ、あの、…"美味しい"って、こういうことなのかなって…」

「おお、そんなこと言ってくれると姉ちゃん、サービスしてやるぞ!」

「僕男なんですが…」

まあ顔立ちは綺麗めだし、ポニーテールはさらさらだし、女の人に見間違われても違和感ないとは思ってたけど、実際に間違われてるとなんか可笑しい。くすっと笑った彼方につられてちょっと笑った。

それでもやっぱり、その笑いが収まるとすぐにまた視線はテーブルの上へ。お味噌汁の入ったお茶碗に細長い指先を添え、唇を寄せる。音も立てずに啜られるそれは、私の机に置かれてるのと同じはずなのに、同じものには見えなかった。

ごくり、喉が動く。そっと口元から茶碗を離したとき、祐月はふっとため息をついた。肩の力が抜けて、表情を緩めながら。安堵のため息だ。

「…美味しい?」

「…はい、とても。幸せです」

参っちゃいました、なんて声が聞こえてきそうだった。よかった、なあ。

なんだかにやけそうだから、私も視線をテーブルの上に戻す。けれどその視界の端に、私の隣に座っていた人の手先が目に入った。小さいながらも色白で細長い、爪には可愛らしい桜色のネイルが施されている…あれ、女の人?目線を上げると、やっぱり女の人、というか、女の子だ。前髪をばっちり上げてるから、表情もよく見える。特製海鮮丼の最後の一口を名残惜しそうに、ぱくり。そして、頬っぺたが落ちちゃう!と言わんばかりの、至福の表情。あんまり美味しそうに食べるものだから、つい見とれてしまっていた。それに彼女も気がついて、はっと目が合う。それでようやく気がついた。この人、この人は。

「もしかしてここのジムリーダーの!」

「…!はい、あ、あたしがミカンです…」

彼方の一言に、ぽっと顔を赤くする女の子。確か彼女は、アサギジムのジムリーダー、ミカン。ガイドブックで読んだ、確か鉄壁ガードの女の子…鋼タイプ専門だったはず。写真で見たときはきりっとした表情だったからか、しっかりした女の子に見えたけど、こう実際に目の前にしてみると、普通のあどけない女の子だ。私よりも幾分か年下、多分ヒビキくんやコトネちゃんと同い年くらいだろう。そんな年で、ジムリーダー。すごいなあ、まじまじと見ていたけど、だんだんその目線は彼女の目の前にある、空の丼に注がれる。…すごい、こんなに細いのに完食したんだ。その注目に気がついたのか、ミカンさんは途端に慌て出す。そして極めつけに、彼方が何気なく喋ったことで余計に事態が悪化する。

「あ、僕らと一緒だね、特製海鮮丼!ボリュームたっぷりだけど美味しいよね」

「え!あのっ、これは…!その、あたしが食べたんじゃなくて…。そ、そう!あたしの前にいた人がお食べになった残りで、」

「何言ってんだいミカンちゃん、いっつもぺろっと食べてくじゃんかよ」

「お、おじさん…酷いです…」

ミカンさんはさらに顔を赤らめるけど、しっかり食べれる女の子、素敵だと思うんだけどな。これ以上変に突っついても多分こじれる一方だから、それなりに笑って流してあげた。そして話題を無理やり方向転換。

「あの、私明日ジムに挑戦しようと思ってて」

「! 挑戦者さん、ですか、」

「はい。だからその、よろしくお願いします」

私がぎこちなく微笑むと、やっぱり彼女の視線はあわあわと彷徨う。威厳あるジムリーダーとは思えないほどの愛らしい身振り手振りに、食堂の空気はどんどん和んでいっているけれど、彼女はそれが不服らしく。去り際に振り返ると、むうと頬を膨らませていじらしそうに私たちとおじさんを睨みつけていた。…かわいい人だ。

「なんだか、明日のバトルも平和そうだね!」

「というか相手は鋼だからな…彼方と祐月の炎技でどうにかなるんじゃないか?」

「がはは、あの子はそう簡単に倒せんよ!はいおかわりな、兄ちゃん」

「…ありがと」

随分と余裕ありげな彼方と漣だけど、そういう油断が一番危ないんじゃないかな。そんな私の微妙な気持ちを代弁するように、おじさんがそう言ってくれた。警戒は、しなくちゃいけない。ただ今まで連戦連勝だったせいもあって、私の心のどこかにも隙が出来てしまっているのはきっと事実だと思う。いけないな、油断は禁物、大敵。帰ったら皆で対策を立てよう、そして今回も勝って、バッジを貰って、あの山の頂上へ近づくんだ。
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