夕陽の隣で歩むこと
「彼方、大丈夫か?」
「悪かったね、一番に迎えに来たのがヒナリじゃなくて、僕と漣で」
ヒナリちゃんの代わりに、理央とふたりでポケモンセンターの順番待ち。番号を呼ばれ戻ってきた彼方は、さっさと人気のない場所で人型になって俺たちの元へやってきた。やっぱり、人前で会話をするときにはこの姿が一番楽なのだ。
ポケモンセンターの待合室。多くのトレーナーが雑談を楽しむ、ある意味トレーナーたちの情報交換所だ。並んだソファーの一部を俺たちで三人で占拠して、聞き耳を立てる。目的はもちろん、アサギジム攻略。だけどなんだかんだで俺たちも俺たちで話が止まらなくなってしまい、結局は数多の雑談の一部を担うことになっていた。
話が止まらない理由は、俺でもだいたい推測がつく。ヒナリちゃんという心の支柱が揺らいだ今、俺たちはどうにも落ち着かないのだ。ここに来てやはり、ヒナリちゃんというか弱い少女に依存しかけているのは俺だけでないのだと思い知る。…まあ、俺はその中でも大分気持ち悪い部類だとは自覚しているけれど。
「えへへ、ふたりが迎えに来てくれるのでも嬉しいよ!…でも、その、ヒナリは…」
「まだ部屋にこもってる。…もう夜も遅いっていうのに、ご飯も食べないでずっと」
もう外は随分と暗く、アサギの灯台の光だけが海辺をぼんやりと照らしていた。あのバトルで負けたのが、昼前くらい。それからずっと、ヒナリちゃんは出てきていない。時々扉越しに耳をすませば、啜り泣く声が聞こえてきた。…苦しい。どうして俺は、彼女の為に何も出来ないのか。ここでやりきれない思いを抱えたままなのか。ため息をついた理央とは目を合わせないまま、俺はぼそりと呟いた。
「…なあ理央、やっぱり俺、ヒナリちゃんのところに行く」
「それはだめ。…何度言っても、駄目」
「…理央、僕でもだめ?」
「だめ。彼方、漣、あんたたちは絶対に、今のヒナリのところに行ったらだめ」
彼方と一緒に、俯く。手のひらに爪が食い込んだ。理央は、さっきからこの一点張りだ。俺がヒナリちゃんの元に行って、涙を拭うことを許さない。大好きな子がこんなにも傷ついて、立ち上がれないようなときに、力になることがなぜ駄目なのか。本当は怒鳴ってでもやりたかったけど、そんな子供みたいなことは流石に出来ない。だからここで、行き場のない愛を持て余すことしかできないのだ。
理央はというと、いつも通りの淡々とした様子。それになんとなく腹が立ってしまって、柄にもないことを言ってしまう。
「…頭の良いお前なら上手に慰められるから、俺たちは邪魔、ってことか。いいとこ取りかよ」
「漣、言い過ぎ…、」
「違う!……、それは、違う。今、一番ヒナリのところに行ったらいけないのは、僕だよ。僕が行って、ヒナリに何か言葉をかけたとしたら、僕はヒナリを再起不能にしてしまう」
珍しく感情的に声を荒げた理央に、俺たちもついびくりとしてしまう。けれど、そんな声に一番驚いたのは理央自身のようで、その後は淡々と、冷静に考えを述べていく。
「…どういうこと、理央?」
「…正直に言ったら、ヒナリを慰めるのなんて簡単だよ。僕は選ぼうと思ったら、その場であったかくてやさしー言葉選んで、即座に言えるから。でもそれじゃ駄目なんだよ…、僕は、適当な慰めの言葉なんか、言いたくない。嘘つきたくない」
「……」
「僕が今のヒナリへ、本音を曝け出したなら、ヒナリはきっと傷つく。そうしたら、もっとヒナリは弱くなる。…だから、僕は行かない。行けない」
…なんというか、理央らしすぎて。俺も彼方も黙るしかなかった。俺たちが理央の許可なんか取らずにヒナリちゃんの元へ直行できないのは、理央のこういうところを信頼しているからだ。理央は、誰よりも冷静で、情に流されない。真実を捉えるのが上手い。他人に対しても、理央自身に対しても。そのある意味冷酷とも言える性格は、幾度となく俺たちを救ってきた。いくら理央の口が悪くても、生意気なガキでも、ジコチューでも、その場に応じた的確な判断能力があるから、俺たちは理央を蔑ろにできない。
だからこそ、少し聞いてみたくなってしまった。はは、と自嘲しながら、尋ねる。
「じゃあ俺たちが駄目な理由はなんだよ。俺なら、本心から彼女を慰められる」
「あはは、言うと思ったよ、そんなこと。僕、あんたの考えてることだいたい分かる」
「…はあ?なんでだよ」
「僕の反対だから。…あんたは、優しい。彼方も一緒。優しすぎて、甘やかしてしまう、あんたたちは、ヒナリを。そしてやっぱり、弱くしてしまう」
一瞬けらけら笑って、馬鹿にしてるみたいだったからつい噛み付くと、即座に真顔で返される。…なんだよ、褒めてんのか貶してんのかわかんねえ、こいつ。俺はできることなら彼女を甘やかすだけ甘やかして、その強さも弱さもまるごとを愛していると、伝えたいのに。彼方も彼方で、俯いたまま何か考え込んでるみたいだし。これだから細かいことは苦手だ。頭の中がぐちゃぐちゃしてくる。ついにはヤケになって、丸まっていた背中をぐっと伸ばして投げやりな声を上げた。
「あー、もうわけわかんねえ!結局何したらいいんだよ俺は、何したらヒナリちゃんを守れるんだよ!」
「それなら分かるよ、漣!僕たちが今、何したらいいのか!」
突然勢い良く立ち上がって叫んだ彼方は、ずんずんと俺と理央の前に立ち塞がる。俺たちと顔を順番に合わせて、一度俯く。もう一度顔を上げたときには、太陽みたいな満面の笑顔がそこにあった。
「強くなればいい、でしょ!ヒナリに対して何もしてあげることができないなら、僕たちは、ヒナリが元気になったときに十分強くなって、待っていよう。強くなった僕らにヒナリの声が合わさったら、きっと、もっと強くなれる!」
ね!と小首を傾げると、光に透ける緑髪がさらりと揺れた。そして、俺たちに両手を差し伸べる。行こう、と彼方に言われると、どうして俺はこんなにも素直になれるのだろう。そうだ、俺にできることは、愛しい彼女を守ること。彼女の今の心を支えるのに俺の心が適さないというのなら、この体で守り抜くしかない。所詮俺は、誰かを守るためにしか生きられないのだから。
彼方の左手をぐっと握り締め、立ち上がる。ふたつの赤と視線がかち合う。濁りのないそれに、俺も絆される。
「分かった彼方、特訓だな!」
「うん、特訓!…でも、どうやってする?」
「あー…、どうしよう、な。とりあえずふたりでバトルするか?」
「あーもう!あんたたちほんと馬鹿!鋼ジム相手なのに水タイプと炎タイプで戦ってどうするの!馬鹿!」
業を煮やしたような声が不意に飛び込んでくるが、その出どころは言わずもがな。理央は空っぽだった彼方の右手を思いっきり掴むと、ふん!と片手を腰に当て仁王立ちをする。ぱあっと表情が輝いた彼方と苦笑いの俺に、理央は相変わらずビシバシと指示を飛ばした。
「だいたい、こういう特訓メニュー考えるのは僕の仕事なの!明日から特訓だから、そのために今からは会議!実際にあのジムリーダーと戦ったのはあんたたちなんだから、その情報を共有する!僕も観客席から見てて思ったこと言うから!それで対策練る!」
「りょーかい理央教官!」
「教官というかもう王様だよな…いやむしろ女王様気質というか…」
「漣うっさい!だから今からは、僕らの部屋に戻って、」
「あ!いた…彼方くんたち!」
脛(多分弁慶の泣きどころってやつ)を細っこい足で勢い良く蹴られ、悶絶する俺をよそに、彼方たちの視線は駆け寄ってきた祐月のほうへと向けられる。随分と慌てた様子の祐月は、俺を一瞥しただけですぐに理央と彼方へ話し始める。…だいぶ酷い扱いすぎないか。
「どうしたの祐月?そんなに慌てて」
「ああ…すみません彼方くん、あの、僕がちょっと目を離した隙に、千紘くんを見失ってしまって…」
「え、つ、つまり、千紘が迷子…?」
「いえ、もうどこにいるかは知ってるんですが、それが…ヒナリさんのいる部屋で」
「はあ!?一番の不穏分子がヒナリのところに!?しかもふたりきりって…どんな様子だったの祐月!」
申し訳なさそうな祐月に容赦なく理央が詰め寄る。確かに千紘は、一番何しでかすか分からない。あの行動パターンは気まぐれすぎて、さすがの理央でも追いつかないのかもしれない。いや逆に、俺だから読めるぞ。ヒナリちゃんの泣き顔とふたりきりって状況だろ、……。読めた。ヒナリちゃんが危ない。
けれどそんな俺の予想は案外外れたようで、祐月はふたりに気圧されながらも、少し躊躇いがちに呟いた。
「ふたりは、…眠ってました。ただ、仲良く。…変な雰囲気じゃなかったので、大丈夫かと」
ふう、と三人が同時に安堵のため息を漏らす。考えていたことは同じだったらしい。
「…あ、でも、ヒナリさんの頬にはまだ涙の跡があったので、その…まだ完全に立ち直れてはないのでは、と」
「ありがと、祐月。でも千紘とヒナリが何らかの会話をしたことは間違いないよね…変なこと吹き込んでないといいんだけど」
「…うーん、千紘なら大丈夫だよ!千紘だってヒナリのこと大切に思ってるのはよく知ってるし、何より千紘も嘘つかないからね。きっと大丈夫!」
まぶしすぎるほどの彼方の笑顔に、つい俺たちも黙り込む。こいつのこういう、どんな疑いをも吹き飛ばしてひとを信頼できるところは、実は俺がけっこう尊敬しているところだったりする。…すげーや、彼方。
「まあ、成り行きだけどこれが一番良かったのかもしれないね…、それよりも今は特訓会議か!よし、行こ!」
おー!と彼方が拳を突き上げ、ずんずん歩き出した理央に続いていく。俺もそれに乗っかって歩き始めようとしたとき、ふと隣の気配がないのに気がついた。立ち止まったままの祐月は、口元に手を添えて何かを考えているようだった。真剣なその眼差しが少し気になって、祐月?と名前を呼ぶと、はっとしたように顔を上げた。
「…どうした?何かあったか?」
「漣さん、いえ…、何でもないです」
「…そっか。言いたくないんだったらいいけど、言えることなら後ででいいから、言えよ?」
くすりと笑って俺に礼を言うと、祐月はまた俺の隣を歩き出す。何でもないように、平然と。だからその独り言に、俺は聞こえないふりをした。
「なんで、…なんで、千紘くんの頬にも涙の跡があったんでしょうね、なんて」
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