夕陽の隣で歩むこと

理央が提案したのは、二人一組になってそれぞれの技術を磨く、というもの。俺は千紘と一緒らしい。なんでヒナリちゃんと一緒じゃないんだ!と抗議したものの、正論をぶつけられて黙り込まざるを得なかった。…悔しい。

俺に課された宿題は、技の精度を上げること。「あのハガネールは鋼・地面タイプだから、水技も抜群。だけどあんたのなみのりには威力がない!よって、僕たちの中で一番攻撃技の精度が高い、千紘にその極意を教わってこい馬鹿!」……以上理央の台詞から抜粋でした。そういう経緯ののち、千紘と二人アサギの砂浜にやってきたわけだが。

「もっと…シュッ、みたいな」

『”シュッ”…?シュッ、って何だ?』

「シュッは、シュッ」

分かんねえよ!これで何を教われって言うんだ理央、難易度高すぎるわ!俺の背中に乗って、千紘はぼんやり水平線を眺めたままだけど、本当に監督してくれているんだろうか。単にサーフィンと景色を楽しんでいるようにしか思えないんだけど。この指導に、本当に意味があるんだろうか。少し疑いたくなってしまう。

いや、冷静になれ、よく考えるんだ俺。相手は何と言っても千紘だ、不思議ちゃんの塊のような奴なのだ。その不思議な言葉をそのままに受け取るほうが愚かなんじゃないか。しっかりと吟味するんだ、シュッ、シュッというのは、つまり、……。分からん。

何はともあれ、技を繰り出してみないことには何も始まらないだろう。都合のいいことに、またちょうど波が穏やかになった。今ならしっかりと自分の技の威力を確かめられそうだ。よし、と力を込めると背後から水の壁の気配を感じる。そしてそのまま、――波に、乗る!

「……漣」

『な、何だよ』

「……なみのり、楽しい」

『ソレハヨカッタデスネ』

「漣」

『あー何だよ!』

「ヒナリの…泣いてるとこ、好き?」

『……は?』

俺の放った波はちょうど岩に打ち砕かれて消えた。あれの表面を削りとるくらい強力なやつじゃないと倒せないよな。何せ相手は岩より硬い、鋼なんだから。そんな俺の(珍しく)真面目な考えも、千紘の一言で全部吹っ飛んでしまった。俺のなみのり対千紘の発言、勝ったのは千紘のほうでしたとさ。…悔しい。

というか、泣き顔…?千紘からそんな単語が出てくるってことは、やっぱり昨日のことなんだろうか。昨日のヒナリちゃんのことを思い出すと、どうにも胸が締め付けられる。ぼろぼろ零れ落ちていく涙は、まるでヒナリちゃんの心そのものの崩落のように見えた。苦しくて悔しくて、でもそういった感情を、ヒナリちゃんは「頑張らなきゃ」という言葉で自らそれを封じ込めてしまった。「頑張れ」や「大丈夫」は、呪文だ。呪いの言葉。そのことにヒナリちゃんはきっと気がつけていないのだ。

そんな彼女の泣き顔を、好きか嫌いか、なんて。そりゃあ、ゾクリと来るものがないと言ったら嘘になるけれど。それ以上に思うのは、ヒナリちゃんの精一杯の強がりを越えてしまうほどの悲しみがあるということだろう。そんなの、嫌に決まっている。ヒナリちゃんにそんな思いをさせる原因は早く排除してしまいたいし、もしそれが出来ないのなら、代わりに俺が苦しめばいい。俺が身代わりになることでヒナリちゃんを守れるのなら。彼方たちにも同じ風に思わないことはないけれど、ヒナリちゃんはその中でもやっぱり特別だ。最近はよく、そう思う。だけど、この千紘の質問の意味は。

『まさか、昨日手ぇ出したとかじゃないよな』

振り向かないまま、ドスの利いた声で呟く。もしそうだったら、とりあえず一発殴らせろ。そう心の中で付け足した。それでも千紘は動じず、きょとんと小首を傾げるだけ。

「手?…手、というか、腕?両腕。出した。でもヒナリも出した、手」

腕?手とか最早そういうレベルを越えて腕まで出しちゃったってことか!というかヒナリちゃんが手を、出した?いやそんな、あり得ない。あんな無垢で温和なあの子が、男に手を出すなんて。でもジム戦での敗北で落ち込んで、だいぶ気持ちも弱っているようだったし。少し自暴自棄になったヒナリちゃんが、涙ながらに縋ってきて、腰に手を回され、……。ゴメン、可愛いです。俺がもしそこにいたら、理性を保てる自信はない。ヒナリちゃんに最後まで手出ししてはいけないような自制心は常にどこか感じているけれど、ヒナリちゃんの方から俺を求めてくれるのだったら、俺だって。

いややっぱりその線はないだろう!俺の知る、可愛くてしょうがなくて神様みたいなヒナリちゃんはそんなことしない。きっとあれだ、比喩表現。千紘は何か別のことを伝えたいんだ。手ぇ出すって、殴るってことか!そっか千紘、ヒナリちゃんを殴った…ってそれも大問題だっつーの!でもヒナリちゃん、やり返したのか…。手でってことはビンタか?想像したらだいぶ可愛かった。

「そ…手ぇ出されたから、そのまま寝て、それから、……」

『そ、それから…?』

「それから、……助けてもらった。ヒナリは、俺を、助けてくれた」

今俺の脳内では、夕焼けに染まる河川敷で、ヒナリちゃんと千紘が青春ドラマのようにふたり睨み合っている。やがてヒナリちゃんが恐る恐る、でも勢い良く頬をビンタしようとするが、やっぱり途中で思いとどまってしまったのか腕に軽く触れただけで終わってしまう。それから奇妙な友情の芽生えたふたりは、一緒に草むらに寝っ転がっていたが、ふと千紘が川に落ちそうになる。そこをヒナリちゃんが手を引いて助けて、……これはない。流石に、ないわー。

ちょうどまた波乗りのチャンスがやってきたというのに、こんな妄想をしていればもちろんまともに打てるわけがなく。どこか気の抜けた波は苔を抉り取ることもなく、あっさりと砕かれてしまった。というか教える気ないですよね、千紘先生。

真昼の太陽が照らす海の上、ぷかぷか浮かびながら。もう今技の特訓をしたって意味がないだろう。背後の千紘先生に耳を傾けるかとにした。

『それで、泣き顔どーのこーのって話は?お前はどう思ってんだよ』

「……ヒナリの泣き顔、すっごく、きれいで、かわいくて。でも、ヒナリは俺が笑ってるとこが、好きって言った。そのときは、よく、わからなくて、…でも、ヒナリが眠ってるとき、ヒナリ、俺に笑ってくれて…、そしたら、すごく、しあわせになって…。漣、は?」

『俺?俺は…、まあどっちの気持ちも分からないこともないけど、やっぱりヒナリちゃんが悲しむのなら、悲しませた奴をどうにかしてやりたいし、それか俺が嫌な思いしたほうがマシかなって思う。一番は笑顔が、好きだから』

「……、そっか」

千紘は満足したのか、少しため息をつくと俺の首に腕を巻きつけてきた。あんまり感情に振り回されないで気ままに動いてるって思ってた千紘だけど、なんだかんだ悩んでるのか。きっと俺たちと――ヒナリちゃんと出会う前にはなかったことだろう。だから今の千紘のこのもやついた感情は、成長痛みたいなもんだ。いっぱい痛い思いした分大きくなるからな。言葉にするのは気恥ずかしかったから、心の中で呟くだけにしておいた。

また波が凪いできて、海面は静かな平面に近づきつつある。今度こそ、あの岩の表面数ミリだけでも削り取ってやる。よし、と気合を込めていると、千紘が抱きついた先、つまりは俺の耳元でぼそりと囁く。

「…大きく、いっぱい、広くじゃなくて、いい。一つに気持ちを込める、っていうか、細く、するどく、高く、…そんな感じ」

『お、おう』

「ヒナリが、上手くできたら漣に抱きついてきてくれる、…って想像、して」

『……ああー』

途端、俺の頭の中はもうそ…想像で一杯になる。花開くように笑ったヒナリちゃんが言うのだ。漣!さすが私の漣だね、大好き!って。うわー可愛い、今すぐ抱き締めたい。抱き締めて、つむじにキスを落として、笑い合って。そんな日がいつか来たらいいのに。そのためにはまず、俺がちゃんと納得のいく波乗りを完成させなければ。凛々しく頭を持ち上げて、眼前に広がる岩々を見据える。あ、俄然やる気湧いてきた。

ついフィールド全体に広がる技を想像しがちだけど、そうじゃない。そんなに広範囲じゃなくても、確実にピンポイントで当てたほうがダメージに繋がる。それが千紘の戦い方。言われてみれば、そういう考えは俺にはあまりなかった。常に広範囲を守ろうとしているせいだろうか。でも今はいつもの考えを捨てて、千紘先生の言うことに従わなければ。一点集中、細く、鋭く、高く。その向こうにあるのはヒナリちゃんの笑顔。

……波に、乗る!


細くも力強い波が岩を襲い、ミシッという何かが割れる音がした。…やったか?距離を置いて様子を見計らっていると、岩の表面は微かにひび割れていて、やがてぼろぼろと崩れ去り、真新しい岩肌が姿を見せた。おお、おおお!

『どうだ千紘、今のは!』

自慢げに振り返ると、千紘はいつも通りの無表情のまま。でもその口元が少しだけ、ほんの少しだけ緩んでいたのが見えて、……なんだ、ちょっとくらいは嬉しそうじゃん。

「なみのり、もっかい。……楽しかった」

『任せとけ千紘先生!』

自分のためだかなんだかは知らないけど、今こいつが嬉しそうなら何でもいいさ。よし、もう一回!
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