夕陽の隣で歩むこと

「ほら、そんな恥とか捨てるの!もっと上目遣い!物欲しそうな目で!」

『り、理央くん、こういうのには適材適所というのがあって…!』

「だーめー!僕がいいって言うまで続けるの!いい!?」

最初は半笑いの呆れ顔だったのが、だんだん本気で怯えだしている祐月に、若干の優越感を感じているのは秘密。いわゆるSってやつ?そんな自覚はちょこっとくらいある。そしてまた怒声を浴びせるのだ。

僕が祐月に課したのは、補助技の習得。最初に伝えたのはそれだけだったから、祐月もキリッと頷いてくれた。でも僕は内心ほくそ笑む。だってその補助技ってのは、"あまえる"。要するに、ぶりっ子の技である。まあこの通り照れてくれちゃって、面白いことこの上ない。頬を赤らめ、恥ずかしそうに僕を見上げる祐月。これ、彼方にやらせても面白かったな。漣がやったら気持ち悪い。千紘がやったら、……想像つかないや。というか、一番させたいのはヒナリなんだけどね。それはいつか、僕だけのためにさせてみせるから。

ポケモンセンター内の、利用者に解放されたトレーニングルーム。その片隅で、きゃんきゃん吠えるキュウコンと、甘えろ甘えろと叫ぶ少年の姿は、さぞかし奇妙だっただろう。時々他の利用者やポケモンに奇異の視線を向けられるが、知ったことじゃない。むしろそのほうが、祐月が照れて面白いし。

「というか祐月、あんた末っ子なんだからこういう素質はあるってもう分かってるの!だからはい、僕に甘えて!まずは擦り寄る、それから上目遣いで決め台詞!」

『うう、…こ、こうですか…?』

俯いたまま脚を一歩、二歩、淑やかに僕の足元へ擦り寄ってくる。尾を軽く、でも離さないとばかりに絡みつけ、それと同時に伏せていた瞼を少しずつ開いていく。露わになった赤い瞳はうるりと揺らめいていて、扇情的。祐月自身の持つ中性的な印象も相まって、うん、なかなかいい調子。僕の教え方もいいんだろうね。

けど、ここで甘やかしたらいけない。カンペキな習得には、スパルタ教育が必要だ。

「だーめ、まだまだ全然!もっといじらしく、見上げるタイミングがまだ早すぎる!それに決め台詞もちゃんと言わなきゃ!」

『理央くん…!でも、は、恥ずかしいですし』

「そんなこと言ってたら、また負けてヒナリがまた泣いちゃう」

『……』

そう言うと、やっぱり祐月は黙り込んでしまった。ヒナリが昨日、ずっと泣いていたときの行動は、僕らのヒナリへの想いの寄せ方の違いを顕著に表していた。漣や彼方みたいな奴らは真っ先にそばにいたがるし、千紘は正直読めなかったけど…、祐月は僕と似ている。何もしない。何もしないことが一番だと、判断した。僕が行ったところで、上手い言葉の掛け方なんて分からない。ついキツイ言葉ばっか出てきちゃって、ヒナリをこれ以上に壊してしまっていただろう。

だってあのバトル、彼方が倒れたところでヒナリはもう駄目になっていた。ヒナリと彼方の間に深い絆があるのは十分わかってるけど、どちらかが倒れたから共倒れなんて、あんまりにも弱すぎる。ヒナリは、弱いのだ。たった一度の敗北であんなに泣いてたらキリがない。あの程度の精神力くらい、持ち合わせてくれなきゃ困る。それは、僕が困るという意味ではない。ヒナリがずっと夢見てる、シロガネ山のてっぺんなんて決して辿り着けないから、ヒナリ自身がいつか困ってしまうのだ。

ヒナリがどうでもいい女の子だったら、適当に嘘っぱちの安っぽい言葉をかけて慰めるくらい、どうってことない。でもヒナリはどうでもよくない、僕の特別だから。出来るだけ正直に接して、そのままの僕に惚れてほしい。

『ヒナリさん、朝は気丈そうに見えましたけど、…大丈夫でしょうか』

「んー、…祐月はどう思う?」

『もう一歩、だと思います。まだ何か、滞っているものがあると思うんです、あの表情に…。もう一度フィールドに立つだけの力はあっても、勝つための何かがまだあやふやというか』

「言うなれば、勝てるっていう希望、かな。まあでも、彼方が何とかしてくれるって思う。彼方ってほら、周り全部巻き込んで前を向かせること得意でしょ?上手く気持ち汲み取ってさ、やれると思う」

へへ、とちょっと照れ臭くなって笑う。事実とはいえ、誰かを褒めたりするのって普段の僕らしくなくて、慣れない。あー、カッコ悪いな。そんな僕を微笑ましげに見ている祐月がちょっと憎たらしい。ちょっとー、と軽く非難の視線を向けると、今度は困ったように笑われた。

『なんだかんだ、ヒナリさんと彼方くん似た者同士ですからね。上手く気持ちを汲み取って前に進めていると思います』

「そう、だよね。ていうかヒナリと彼方さ、こんだけ似た者同士なのに恋愛方面になった途端見事にすれ違ってんの、ほんと面白いよね」

そう言った瞬間に二人してぷっと笑い出す。思い当たることがあったらしい。祐月が僕らの旅に加わって、なんだかんだけっこう経ったもんね。

だけどそんな笑いがひと段落すると、祐月は途端に暗い面持ちになる。どうしたの、と声を掛けるかわりにしゃがみこんで目線を合わせると、祐月はそっと口を開いた。

『それと、あの…理央くん』

「うん?なあに?」

『…千紘くんのことについて、なんですけど。何か理央くん、知りませんか』

「え、千紘?なんで?」

『いえ、…特には、ないんですけど。ただ最近、出会いたての頃より表情が見えてくるようになったと言いますか…。幸せそうな顔もしてるんですけど、それと同じくらい、彼から悲しみとか不安が、伝わってきて…』

…正直、気がつけなかった。表情が豊かになってきたのは、思い出してみれば確かにそうかもしれないけれど。基本的に感情が表に出ない千紘の、微細な感情だなんて。僕ははなから分かりっこないと決めつけてしまっていたのかもしれない。気がつけなかった。

祐月は瞳を伏せたまま、不安そうにちょっと僕を見上げてくる。そっか、祐月は多分、ひとの感情の動きに機敏なんだ。それも、マイナスの方向の気持ちに。それは祐月自身の経験も少なからず影響してるんだとは思う。暗い思いをたくさん抱えていたからこそ、同じような思いを抱く人のことがよく分かるのだろう。

『千紘くんって、昔のことをあんまり覚えてないんでしたっけ…?』

「うん。そうだって、本人が言ってた。昔のことを一部だけ、すっぽり忘れてしまっているって…」

今思うと、まるで誰かに封じられたみたいだ。決して思い出してはいけないと、でも、一体誰に。

『大丈夫だといいんですが、何せ千紘くん、誰かに物事を伝えるのがあまり得意じゃないので…。ひとりで抱え込むことになるんじゃ…』

「…それは祐月も、でしょ?」

『え?それはどういう…?』

「今は僕に話してくれたから良かったけど、こんな機会なかったらあんた誰にも喋らず独りぼっちで千紘のこと悩んでたでしょ。てかあんたも辛気臭い顔してる!」

言われて気がついたらしい。無意識のうちに顔の筋肉が緊張しているように見える。ぶにっ、と頬を摘まむ。キレイなキュウコンの顔が一気に情けなくなって、思わず吹き出して笑ってしまった。ちょっと理央くん、と不満そうだけど、無理やり振り払ったりしないあたりが優しいな、祐月は。

「祐月、何か思ったことがあったらさ、一人で背負わなくていいんだからね。僕もヒナリも、漣も彼方も千紘も、あんたとちゃんと向き合おうとしてくれるから。それは紛れもない事実。分かる?」

そう言って、摘まんでいた手で今度は祐月の頭を撫でた。くすぐったそうに身をよじる祐月は、やっぱりなんだか憎めないというか。そういえば僕、祐月に対してはなかなか馬鹿って言えない。他の奴らには連発しまくってるのにね、漣とか。

まあこんなもんで、休憩も終わっただろう。そろそろ実践に入らないと。

「祐月、じゃあ次はあそこにいるオーダイルに"あまえる"やってきてよ」

『ええ…!すごい怖そうじゃないですか!無理ですよ!』

「あーいう強面が意外と優しかったりするもんなの!ほら、行ってこーいばーか!」

あ、馬鹿って言っちゃった。
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