夕陽の隣で歩むこと
段々と陽は沈み、水平線は鮮やかな橙色に染まりつつあった。足元の彼方もまた、背中に乗せた橙色を煌々とゆらめかせている。それを見ると、無条件に勇気が出るというものだ。
私と彼方が理央に指示された場所は、アサギの灯台。あんたたち、やたら高い所好きでしょ。じゃあそこで修行してきたらいいよ。彼方の課題はとにかくレベル上げ、それから例の"新技"も完成させておいで。理央の口調はやけに素っ気なかったけれど、逆に今理央と面と向かって話ができる自信がないから、ごめんね理央、ちょうど良かった。
そんなことがあったのが昼前くらい、それからずっとアサギの灯台に潜むトレーナーさんたちに相手をしてもらっていた。最初はまだ足も竦んで声も震えていたけれど、彼方がそれをカバーするかのように堂々と駆けていくのを見て、段々と私の奥底の熱も突き動かされていく。怯えながらも、今のバトルでようやく"あの技"をまだまともに叫べるようになったと、思う。
でも、やっぱり、怖い。彼方が少しでも傷つくのが怖くて、バトル中でも駆け寄ってキズぐすりを吹きかけたいくらい。さすがにそれはルール違反になってしまうから、バトル後に大丈夫と言い張る彼方を捕まえて無理に回復させているけれど。
そのくらい臆病な私が、あんな技を使わせようだなんて、少なくとも昨日の時点での私には考えられなかった。他の誰かから攻撃されるのでも精一杯なのに、自分から傷付きにいこう、なんて。でも、ポケギアに表示されたその技の名を見て、彼方がやろう、と言った。泣いてでも止めたいのをぐっと堪えて、必死に反対しても、彼方の意志は揺らがなかった。
――やる。僕が、やりたい。
赤色の瞳が、燃えるように輝く。この、恐ろしいまでのまばゆさを前にすると、私は何も言えなくなってしまう。昔からのことだった。
技を放ち、衝突。煙埃が舞い上がる。この灯台は随分と古い建物らしいから、埃も相当に溜まっているのだ。けほけほと咳をしながら目を擦る。ぼんやりと浮かび上がってきたシルエットは、確かにマグマラシの輪郭を形どっていた。
「ああ!ニョロゾ!」
相手の船乗りさんが狼狽える中、彼方はぴょこぴょこと煙の中から私の元へ走ってくる。段々と姿がはっきりとしてきて、その嬉しそうな表情も見えてきて。そして私の腕の中にジャンプすると、あちこち傷まみれの彼方は得意げに笑った。
「彼方!もう、彼方…!」
『えへへ、どう?大丈夫だったでしょ!』
「大丈夫だったけど、けど、かなたぁ…」
彼方を抱えたまま、へなへなとしゃがみ込む。良かった。でも、これであのハガネールにも対抗できるかもしれない。そんな淡い希望さえ浮かんでくるような気がした。
歩み寄ってきた船乗りさんにいくらかの賞金を貰うと、慌てて鞄からキズぐすりを取り出した。スプレータイプの薬は、ちょっぴり傷口にしみるらしい。彼方は瞳をぎゅっと閉じて体を緊張させていたけれど、これは我慢してもらわなくちゃいけない。薬を一通り吹きかけ終わり、ぶるぶる身震いすると、彼方はぴょんと私の膝から降りて微笑んだ。
『よーしヒナリ、あとちょっとだよ、登りきっちゃおう!』
そしてまだまだ続く階段をぴょこぴょこと登り始めてしまった。本当に気丈というか、無邪気というか。少し遅れて、私も何段か先を登る彼方を追いかける。こちらをあまり振り返らずにぴょこぴょこと駆けていく彼方。なんだか、遠いなあ。そう一度思ってしまうと、その感覚がじんわりと私の中身を侵食していく。遠い。遠いのだ。彼方のいる数段先と私のいる数段下、無邪気に頂上へ駆け上って、光のなかへ一直線な彼方と、暗い世界に未だうずくまったまま、沈んでいきそうな私。
彼方、待って。まだ行かないで。どこへ行くの、どこへも行かないで、私のそばにいて……、ううん、違う。彼方を引き留めるんじゃない。私が、追いつかなきゃ。距離を縮めて、彼方の元へ。
「彼方、」
『ん、何?』
「少しだけ待って、今行くから」
階段をたんたんと、軽く駆け上がる。少し驚いたような彼方を、そっと抱き上げた。そのまま、ぎゅう、と。変わらぬ体温が腕の中と、涙で冷え切った胸の中に広がる。戸惑う彼方のくぐもった声が、小さく響いた。
『ヒナリ、どしたの』
「一緒にいて彼方、そばにいて」
『…いるよ。僕はずっと、ヒナリのそばにいる。約束』
「私、彼方たちと、一緒に、…一緒に、強くなるからね」
私だけ置いていかれるのは嫌。でも彼方たちが私に合わせてくれて、私がそれに甘んじるのも嫌。そうじゃないの、私は彼方たちと皆で進みたい。皆一緒で、上へ前へ、遥か、彼方の世界へ。
やっとそのことに気がつけた。だから私、ずっとうじうじ泣いてて、皆が気遣ってくれるのも優しさに甘えるのも、空元気も辛くて。そっか、そういうことだったんだ。
もう涙は流さない。じんと胸に染みる暖かさは微笑みになって現れる。あのバトルを終えた後は、自分のいる意味さえ失った気がした。でも千紘が、私はここにいなきゃ駄目だと言ってくれて。今も彼方がそばにいることを約束してくれて。それから皆、それぞれに私への思いを馳せてくれた。それは嬉しくも辛くもあることで、どうしたらいいか分からず沈む一方だったけれど、その答えもやっと見つかった。一緒に、同じ足並みで進めばいいんだ。早く、私が彼らに追いつかなきゃ。そのためには、まず私が心を強く持つこと。
『ヒナリ、大丈夫。ほら、もうすぐ最上階だから、一緒に歩こう』
真っ赤な瞳をゆるりと細めて、彼方はぴょんと私の腕から飛び降りた。そして歩みを揃え、一段一段踏みしめながら登った。彼方が一段登れば、私も一段登る。試しにふざけて、一段飛ばして登ってみたら、彼方も一段飛ばしてぴょこんと跳ねる。
同じ場所を、同じ瞬間。夕焼けの階段で、大小ふたつの行き交う影。
最上階への一段へは、ふたり一緒に飛び跳ねた。そして目を見張る。全面ガラス張りの最上階は、海の様子はもちろん、アサギシティとその奥の道路までもを見渡せる。360度が真っ赤に染まる姿に、私たちの鼓動はどんどん高鳴っていく。小さな窓からの柔らかい光が点在する街並みに、水平線上に浮かぶ、輪郭のない太陽。鮮やかなオレンジ色に染まる広い海は、きらきらと細やかな光を反射させていた。うつくしくて、どこか懐かしい。もしかしたら、今私は夢に、シロガネ山の頂上に、一歩近づいているのかもしれない。不思議とそう思える風景で、私は浮き足立つように彼方へ語りかけた。
「彼方、すごい、すごいね…!」
『うん…!あのね、ヒナリ』
その絶景に見とれていた私だけど、彼方が私の名を呟いて、大きな瞳で私を見上げるから。まるで彼方の炎のような夕焼け空に照らされて、オレンジ色の彼は言葉を選ぶように、ゆっくりと唱えた。
『…強くなるよ、僕。もっと強くなりたい、もっと、もっと』
「私も、もっと強い心が欲しい」
『じゃあ、一緒に、絶対一緒に強くなろう』
彼方の言葉に、小さく頷く。強く、ならなきゃ。だって私が目指しているのは、遥か彼方、シロガネ山の頂上だ。この灯台なんか、まだまだ全然大したことない。野生のポケモンだって、きっと想像できないくらい強い。なのに一々負けたからって凹んで、泣いているようなトレーナーじゃ、そんなの夢のまた夢になってしまう。一緒に、一段一段強くなりたい。強さと願いと、誇りを胸に。
「彼方」
『うん』
ありがとう、私はもう、大丈夫。
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