夕陽の隣で歩むこと
「また来てくれたんですね、えっと…ヒナリさん」
「はい、また来ちゃいました」
すっかり名前まで覚えられてしまったようだ。ミカンさんはおどおどと自信なさげに私に話しかけてくれた。こんな人見知りの女の子が、バトルになるとあんな淡々とした喋り方で、圧倒的力量の差を見せつける子になるなんて。でももう二回目、知っているだけ大丈夫。もうあんな無残には負けない。ドクドクと脈打つ鼓動を押さえつけるのが大変だ。
「それでは、バトル開始!」
この前と同じ審判の合図。でも同じ結末は絶対に迎えさせてあげない。祐月が雄々しく甲高い鳴き声をあげて、バトルは始まった。
***
まずはコイル二匹を祐月のかえんほうしゃで倒す。前回は彼方のかえんぐるまだったけれど、今回は彼方を温存しておく作戦だ。とはいえ、祐月にも大したダメージはないようだから良かった。だけど最後に待ち構えるのはあのハガネール。冷や汗が浮かんでくるのを乱暴に拭って、その鋼の巨体を前にする。
「ハガネール、出番です」
『任せて』
…怖いけど、怖くない。もう私は恐れない。負けることだって、上へと登りつめる一歩だ。だからといって負けたいわけじゃないけれど。その一歩を踏んだ今、私は数日前の私とは違う。全力で立ち向かって、また一歩、進むのだ。
瞳を閉じて、深呼吸。すべての音がなくなって、世界に私はひとりぼっち。そのことを確かめてから目を開けば、大丈夫。目の前には祐月がいる、ポケットには彼方と漣がいる、客席には理央と千紘がいる。ひとりがわかるから、みんながわかる。…大丈夫、さあ、勝ちに行こう。
状況を捉えるため五感を走らせる。例えば聴覚。声の高さと口調からするに、相手のハガネールはどうやらメスのようだ。しかもミカンさんのことをだいぶ慕っていて、守ろうとしているみたい。言って見れば、冷静な姉御肌、かな…。観客席のほうの理央をちらりと覗き見ると、人差し指と親指で丸を作ってOKサイン。…そうだね、このハガネールになら、考えてきた作戦が効きそうだ。
審判のバトル再開の声が響いて、まずは祐月が動いた。
「祐月!登って!」
『了解、です!』
突然のことに、ハガネールもミカンさんも驚いているようだった。祐月はハガネールの長い体をあっという間に登って行ってしまったのだ。そして、この不意をつかれている隙に!
「あまえる!」
『あの…ごめんなさい、いきなり。ぼ、僕だって恥ずかしいんです…でもその、言わせてください』
祐月はハガネールの頭上で、何やらもじもじとしている。あまえるって指示したのは私だ、私なんだけど…、何やってるんだろう?やたらと理央が爆笑する声も聞こえてくるし、何とも言えない気持ちになる。
やがて困惑し始めたハガネールに、祐月は瞼を伏せたままそっと、鋼の頬に鼻先を触れさせた。…お、おや?祐月が、私の知らない顔をしている。何と形容したらいいんだろう、女の子を口説き落とす顔というか、キメ顔というか…。か、かっこいいよ祐月!冷淡だったハガネールも、祐月のその動作に顔を真っ赤にしている。金属だし、触ったら物凄く熱そうだ。意外にも乙女なのかな。
『な、お前…!』
『だって、貴女が素直になってくれないから、僕の方から誘いに来たんです…。駄目、ですか』
「お、おにび!」
金色の九尾をさらりと靡かせて、ハガネールの耳元で囁く祐月は、なんだか普段のおっとりした様子からはかけ離れ過ぎていて。でも私まで一緒にドキドキしていたら駄目だ。すかさず指示を飛ばすと、祐月はたんと飛び上がり宙に浮き、自身の周りに青白い火の玉を浮かべ思い切りハガネールにぶつけた。「よし決まった、祐月のあまえるで油断させておいてからのおにびコンボ・対メスバージョン!」理央の威勢のいい声が聞こえたけど、そんな特訓を二人でしていたのか…。実際とても助かったから良いけれど、祐月、あとでいっぱい労ってあげよう。
祐月がフィールドに着地し再び二匹が対峙しても、ハガネールは心ここに在らずといった様子だ。冷たい鋼のはずの顔を真っ赤にしたまま硬直してしまっている。それに加え鬼火もハガネールの周りにふわふわ漂って、時折それが体に衝突しているからダメージも受けているはずなんだけど、それすら気にならないようだ。もしかして祐月のあまえるはメロメロ効果でもあるのかもしれないと、本気で疑い始めた。
ちなみに、ミカンさんのほうを見ると、「まあ…!ハガネールが、恋!」なんて言って、耳まで赤くなっていた。もしかして、意外な弱点?勝負どころじゃなさそうな様子からして、もしかしてこれはチャンス、なのかもしれない。いくよ、と祐月に視線で合図をしてから叫ぶ。
「祐月、かえんほうしゃ!」
吐き出した大量の炎がハガネールの全身を包む。それでようやく少しは目が覚めたようで、声をあげて苦しんでいる。だけどさすがはジムリーダーのポケモン、フィールド上の砂を巻き上げて自分に振りかけ、鎮火してしまった。巻き上げた砂が今度は土煙となって祐月と私を襲う。指示が一切出ないうちに、これだけの動きをするとは。祐月にも疲れが溜まっているようだし、肉体的にも、…精神的にも。そろそろ交代をしよう。
私の意図を察し、祐月が小さく頷いたのを確認してからボールに戻す。この土煙をなんとか出来るのは、彼しかいない。
「祐月、ありがとう。…漣、行こう!」
『待ってたよヒナリちゃん、早く倒しちゃおうね。…って、あのハガネールどうしたの?』
「ああ…うん。祐月が頑張ってくれたの…」
そう言うと、漣は何それ、と軽く笑った。今のハガネールの状態は、火傷状態とあまえるによる攻撃力の低下で、牙を抜かれた猛獣のようなものだ。あとは、強固な防御力、それからミカンさんの機知を打ち破るだけ。まず、その最初の第一歩、土煙を片付ける!
「漣、なみのり!…広範囲!」
突如、どこからか呼び寄せた大量の水が波となり、フィールド全体に押し寄せた。これが漣のなみのり、その1。守るための波、漣が最初から身につけていたほうのなみのりだ。フィールド全体を包むほど幅広な波、広大な波。おかげで土埃は波に流され一掃される。視界は良好、ハガネールには効果抜群。だけどそこでくたばるほど、ジムリーダーは伊達じゃない。
「ハガネール、地面からアイアンテールです」
『わかった、わ!』
思わず耳を疑った。どういうこと、地面からって?戸惑った一瞬が隙となる。フィールドが揺れたかと思うと、重そうなラプラスの姿が、浮いた。地中を通り、漣の真下からその尾を突き上げたようだった。攻撃力が下がっているとはいえ、不意打ちで効果抜群の技、しかも硬い甲羅部分ではなく柔らかい腹部に直撃したのだ。ダメージはかなりのものだ。
ラプラスの痛々しい声が胸に突き刺さる。また気持ちが負けてしまいそう、でも駄目だ。すぐに戻らなくちゃ。スローモーションのように宙に投げ出された漣に、思いっきり叫ぶ。
「漣!なみのり、一点集中!」
『いいよ!ヒナリちゃんのためならあ!』
漣が宙にいる隙に、波を呼び起こす。だけどそれはさっきとは全く別物。倒すための波、もう一つの「なみのり」。それは辛うじて漣が乗れるほどの幅しかない、いわば水流に近いものだ。だがその勢いは、鋭さは、空気をも切り裂く――まるで、水の矢。そんな波がハガネールの頭と胴体の隙間部分に直撃する。硬い鋼の、少しでも急所を突く!
「下からもう一度アイアンテールです!」
『……!』
ミカンさんにも心なしか、前回のバトルよりも力が入っているらしい。ハガネールは水流が突き刺さるのも気にせず、なみのり直後で無防備で漣の腹部に鋼の尾をぶつけた。二匹の悲鳴が、上がる。
倒れたのは漣だった。大きな衝撃音を立てて、漣は、倒れてしまった。
「ラプラス戦闘不能、チャレンジャーはポケモンを交代してください」
……瞳を開かない。首を持ち上げない。辛いけれど、怖いけれど、大丈夫だよ。私のために戦ってくれてありがとう。ボールに戻した後、胸元でそれを愛おしく抱きしめた。
ハガネールは祐月と漣の攻撃のおかげでかなりダメージが蓄積している。だけど、あと一歩が足りない。その大きな大きな、大切な一歩を託すのは、ずっと前から君だと決めていた。
「彼方、行こう!」
『うん、行こうヒナリ、一緒に倒そう!』
ボールから飛び出してきた彼方は、漣や祐月と比べたら随分と小さな背中だけど、それでも皆、同じくらいに心強い、頼もしい背中だ。あの夕焼けと同じ色をした炎をごおと燃やして、準備は万端。祐月と漣の残してくれた攻撃のおかげでここまで来れた。その思いを、私は声に乗せる。彼方は両脚に、炎の勢いに乗せる。バトルが再開すると同時に、私は叫んだ。
大きな大きなダメージを与えるけれど、それと同じだけの犠牲をも支払う技。トレーナーのために、ポケモンが傷つく技。私が彼らを傷つける技。それでももう怖くない。傷ついたって、怖くない!
「かなたああ!フレアドライブ!!私のために傷付いて!!」
『……!えへへ、任せてえ…っ!!』
彼方は走った。炎を全身に纏い、一心不乱に走った。だけどその炎が突如、眩しい光に変わり、彼方の全身を包む。柔らかくて硬くて、包むようで突き刺すようで、優しくて痛くって、そんな光線はフィールド全体へと広がる。まさか、という予感がした。グレンにいた時、あのバトルを終えた時の光と同じ、……これは。
光が収まった瞬間は、ハガネールに衝突する瞬間と同じだった。渾身の、一撃。反撃で彼方自身も大きく傷つくけれど、それでも力強い二本の脚で彼方はフィールドを踏みしめ、陽炎の中。立って、いる。
ハガネールの巨体がぐらりと揺れる。そして、激しい轟音と振動がジム全体に響いた。
「ハガネール戦闘不能!チャレンジャーの勝利!」
『……っ!ヒナリー!!ヒナリ、ヒナリ…っ!!』
手も使った四本脚で彼方は私に駆け寄ると、そのまま飛びついてきた。重くなった体重に耐えきれなくて後ろに倒れこんでしまったけど、彼方の腕が支えてくれていたせいか、思ったよりの衝撃は来なかった。
「彼方…っ!ありがとう、彼方、かなたぁ…!!」
『ヒナリ、ヒナリヒナリ!!』
ふわふわのお腹に体ごとうずめる。ああ、大きくなってしまったね。腕の中で抱き締めてばかりだった彼方だったのに、これじゃあこの姿の時でも抱き締められる側になるばかりじゃないか。物寂しい気持ちも少しはある、けれどもやっぱり、嬉しさのほうが上回っていた。
かざんポケモン、バクフーン。進化、か。
「お見事でした…って、聞こえてなさそうですね…」
観客席から駆け寄ってきた理央と千紘と、ボールの中から飛び出してきた漣と祐月と、ぐちゃぐちゃになって抱き合って、笑って、泣いて。バッジを渡そうと歩み寄ってきてくれたミカンさんにも気付かず、私たちはずっと、その喜びを噛み締めていた。
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