花の輪のひとつずつ

「じゃ、じゃーん…、どうでしょうか…?」

くる…りんっ、と、妙にぎこちなくターンをすると、長いカーディガンの裾がひらめく。緊張した面持ちの青年に、ちょっぴり心臓が跳ねた。

「へええ、身長伸びましたね彼方くん、それから髪の色と、長さと、声も低くなりましたし…随分と成長しましたね」

「ゆ、祐月、そう解説されると恥ずかし…」

「俺の背ぇ抜かれた…くやしい」

「うう、それはちょっと嬉しいけど…でもそんな見られると…!」

バトルで活躍してくれた三人をポケモンセンターに預けていたが、やっぱりこのアサギシティのジョーイさんの腕は良いらしい。夕ご飯の買い出しをしている間に彼らは帰ってきた。だけど、祐月と漣がすぐに人の姿をとったのに対し彼方はずっとバクフーンの姿のまま。どうやら人の姿になったときどうなっているのかが彼方自身少し緊張してしまっているらしい。

それもそうだろうなあ、と思う。私たち人間は、日々の中で少しずつ少しずつ、時計の短針の速度でからだと心を成長させてゆくけれど、彼方たちポケモンはそれが"進化"というたった一回の出来事に凝縮されているのだ。例えるなら、タイムスリップ。いきなり大人の私になっちゃった!なんて、怖くて当たり前だし、まず心がからだについていけるのかも分からない。

それに、この旅の仲間たちの間では、彼方の進化は最初で最後の進化だ。漣と理央は元々進化のないポケモンだし、祐月と千紘は初めて人の姿になったときにはもう進化済みだった。それだけに、彼らも彼方の進化に随分と期待しているようだし、前例はないし。彼方のプレッシャーを思えば当たり前だと思う。

けれど、今。ようやく勇気を振り絞り、人の姿になった彼方を祐月と千紘と私とで囲む。初めて見るその変化に、千紘も祐月も少なからず興奮しているようだった。わいわいと嬉しそうなふたりをよそに、うまく直視できない私。だって彼方はずっと、あの彼方のままだといつの間にか信じ込んでしまっていたから…!うまく頭がついていかないのは、彼方自身もそうだけど私も同じだった。

視線がつい斜め下を向く。うう、ちゃんと見なくちゃ、ちゃんと見ないとこれからどうやって一緒に旅をしていくって言うの…!そう自分を鼓舞するけれど、結局顔を上げる勇気がないままでいたとき、視線の先に、一歩、二歩。近づいてくる足元。そして、低くなった声で、甘い口調で。

「…ヒナリ」

そう呼ばれたら、どうにも抵抗できなくなってしまうあたり、私も大概なのだと思う。

「彼方、おっきくなったね…」

「うん…。変じゃない、かな」

「変じゃない!全然変じゃない、よ、……」

変なところなんかひとつもない。彼方は立派な、男のひとだ。完全な黒に染まった髪は後ろ髪が少し伸びたようで、小首を傾げる度にうなじをくすぐっている。服装も、ロングカーディガンだからかやっぱりどこか緩さは残るものの、前のあどけないシンプルなものからは少し凝ったらしい。オレンジ色のボタンがところどころに散らばっていたり、インナーがちらりとその、鎖骨の、あたりに覗いていたり。…うう、私ってけっこう変態なのかな。

でも、変わらないものもある。前髪のすきまから光が漏れてしまっている、眩しい赤。ぱちり、ふたつの視線が嵌まるとそれは一瞬固まった。けれどすぐに、ふうわり。瞼を緩めて微笑まれれば、私の胸はどきりと大袈裟な音を立てる。同時に首から上へ駆け上がる熱の感覚とか、もう、やめてほしいんだ。

私は知っている。こういう、彼方みたいなひとにぴったりの形容詞を。恐る恐る口を開いて、喉を震わせる。

「かっこいい、と、思う…」

「……!?」

「はーいおめでたい彼方くんーお前今日はお誕生席なー?ヒナリちゃんもはい、お皿並べ終わったから席ついて、ね、ね、ほらほら」

「はいはいヒナリ、顔赤いけどもしかして熱ある?大丈夫?念のため僕の隣に座っておこうねーはい着席!祐月と千紘も!」

天使のような笑顔の漣に彼方がまず首根っこを掴まれ、これまた天使のような笑顔の理央に私は手を取られ、理央の隣…つまり彼方から一番遠い席へと案内される。まああの空気のまま耐えられる自信は全くなかったから、助かったといえば助かった…のかもしれない。

「……祐月。理央と漣、息、ぴったり」

「ですね」

「誰が息ぴったりだ!!」
「誰が息ぴったりだ!!」

こんないつも通りの賑やかさに、改めて感謝したくなった。

それにしても、だ。彼方はともかく、目の前に並んだご馳走には目を見張らずにはいられない。ついこの前までお味噌汁で満足してたのに、どれだけ祐月が張り切ってくれたのか。パスタに野菜炒め、チャーハンに肉じゃが…和洋中色々混じって膨大かつ面白すぎるメニューになっている。食べ合わせとかどうなのかなあと思ったけれど、そんなのはきっと、どうだっていいこと。だって気持ちがこんなに詰まってる。

それら大量のお皿を運んでくれた漣と理央もようやく席について、全員がふうっと一息。でも私の視線はやっぱり、やっぱり彼方のほうへ向かってしまう。遠い横顔、前よりも少し落ち着いた表情で、一体何を考えているんだろう…。そんな風にまじまじと眺めすぎたのか、彼方も私に気がついて、視線がカチリとぶつかる。途端にふたりして赤くなるのを見て、隣に座っていた千紘が心底不思議そうな目を私に送っていた。…これ以上羞恥心を煽るのはやめてほしい。

「ほら、阿保なことしてないで早く食べるよ!せっかく祐月が作ってくれたんだから、あったかいうちに食べろ!」

「理央くん、お母さんみたいですね」

「いやあれは姑だよ祐月」

「うっさい漣、誰が姑だ!はい、じゃあコップ持って!……はいヒナリ、喋る!」

思い思いにビールとかオレンジュースの入ったコップを手に、期待の視線が私に集中する。えっと…こういう時って、どうしたらいいんだっけ。テレビとかでしか見たことがないから、自信はないけれど。そういえば、祐月のお祝いもまだ出来てなかったし、それも言わなくちゃ。視線を泳がせ、やたらとどぎまぎしながらも口を動かす。

「えっと、祐月が仲間になれたのとか、ジム戦勝てたのとか、…彼方が進化したのとか!いっぱい、いろいろ祝して、」

かんぱーい!



***

祐月の料理をたらふく平らげ、……主に千紘が。理央の作ってくれたケーキもたらふく平らげ、……主に千紘が。すっかりお腹いっぱいで満足したのだろう、皆いつのまにか眠りこけてしまっていた。祐月が
彼方も漣に勧められて少しは飲んでいたみたいだけど、まだほんの少ししか飲んでないうちに私はウトウトし始めていて、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。でも彼らの様子を見ているとすごく楽しそうだし、何よりも羨ましい。理央も言葉にはしないものの同じような心境らしく、どことなくむすっとした表情。彼らと一緒に楽しめるようになるまでは、あともう少し年月が必要だ。そのときがちょっと楽しみだったりもする。

ふと目を覚ました私は、ううんと背伸びをした。ソファーの上で眠るのはやっぱり体が痛いようで、ミシミシ音を立てて凝り固まった体が伸びていくのがちょっと気持ちいい。腕を下ろしていくのと一緒に辺りを見回すと、皆やはり思い思いの場所で眠ってしまっていたようだ。掛時計は普段なら寝ている深夜を指しているし、何よりバトル後で疲れているのもあるし、まあ仕方ないと思う。無理に起こすのも可哀想だ。

私の肩に寄りかかって寝ていた理央をそっと退かし、胎児みたいなポーズで眠ってる千紘を踏んづけないように跨いで、…よし、後片付けだ。私が料理とかできない分、やれることはしっかりやろう。皆を起こさないように、そおっと丁寧にお皿を重ねて、シンクへと運んでいく。それにしても祐月、たくさん作ったなあ。まあ千紘がいれば食べ残すなんてことはないんだけど。

そんなことを思いながらもなんとかお皿を運び終わると、シンクの前に仁王立ち。腕まくりをして気合を入れ、一枚一枚丁寧に洗っていく。だけど油汚れとかがだいぶこびりついているらしくて、かなりごしごししなくちゃいけない。ムキになって、スポンジを武器に格闘していたせいか、私は背後から忍び寄る気配に気がついていなかった。

「ヒナリ〜」

私の腕の動きを封じるみたいに絡みつく腕に、背中からきつく抱き締められる。甘ったれつつも低い声で囁かれて、頬から耳にかけてが一気に熱を持つ。はああ、と大きくため息をついた後、私は振り向かないまま返事をした。

「……、彼方。酔ってるでしょ?」

「ううん、まだまだ全然大丈夫、まだまだ〜」

ダメだ、典型的すぎる。えへへへ、とやたらよく笑う彼方は、相当タチの悪い酔い方をしているらしい。恥ずかしさを必死に隠そうと、私洗い物したいな、なんて言って振り払おうとするものの、むしろ手首を掴まれ操られ、流しっぱなしの水で手を洗わさせられた。ご丁寧に蛇口も閉めて、一体何がしたいんだか。…いや、何がしたいのかは分かってる。じゃれたいんだろう、酔っ払いめ。

「えへへー、ヒナリ〜」

それからまたぎゅう、と密着してくる彼方に、私の心臓は壊れたみたいにうるさく鳴っている。人の姿になれるって知りたての頃もやっぱり緊張してたけど、時間が経つにつれてだんだん慣れてきて、それなりの対処の仕方も分かってきたところだと言うのに。私のつむじに乗せられた顎のくすぐったさとか、たくましい腕の力強さとか、背中から感じる体つきの熱さだったりとか、考えちゃダメだ。でも声のぬくもりとか、話し方とか、手の握り方とかは今までと一緒。同じなのに、違う。その矛盾がまた私の心拍数を上げていく。ああ、考えちゃダメなのに、ダメなのに!

「…ねえヒナリ、どきどきしてるでしょ?」

そんな、まるで心を読んだみたいなことを。悪戯っぽい声色に、これ以上ないってくらい、頬…というか、首から上が全部熱い。そんな風に赤くなってるっていう事実もまた恥ずかしいし。そうだよ、もうどきどきしっぱなしだよ…、なんて、言わなくても伝わってしまっているんだろう。上手く反応できずにいる私をよそに、彼方は愛おしげに束縛を強める。

「耳真っ赤だよヒナリ、かわいー」

「もう彼方、いい加減に……っ、」

「えへへ…、ほんとに、可愛いなあ…」

急に違う温度の指が火照った耳に触れて、全身をぞくりと気持ち悪い感覚が走る。何なんだ、この彼方は!振り向いて押し離そうにも腕が邪魔するし。せめて意思を示そうと、じたばた抵抗してみたら、逃がさないとでも言うように一段ときつく抱き締められる。やけに我儘っていうか、我を通しすぎっていうか。じゃれるにも程があるよ、彼方…。そう言おうとした瞬間に、突然にさっきまでとは違う、暗いトーンの声が耳元を掠める。

「……やっぱり、いや?僕がこうやって、ぎゅうってするの」

「え、」

「ヒナリがいやならいいよ、僕男らしくなったんでしょ?そんなやつにこうやってされて、いやじゃない?ヒナリは女の子なの、僕、ちゃんと分かってるし、むしろ……」

突然目の前に出された選択肢に、私の頭は混乱状態。いきなり、どうしたっていうんだ。さっきとの余裕っぷりとは真逆の、寂しそうにしゅんとした声でそう言われたって。そんなのでノーって言えるほど、私は彼方に厳しくなれない。それに、マグマラシの時だって散々引っ付いてきたんだ、何を今更。身体が大きくなっただけで、中身は私の大切な、いつもの彼方のままなんだから。進化した姿に慣れなくて恥ずかしい、とは思うけど、嫌だとは思ってない、と思う。むしろ、引っ付いてくれなくなったら、ちょっと、いやすごく、…寂しい。

「…だめ、ヒナリ?」

「嫌、じゃないよ…」

「ほんとに?」

「…ほんと、だよ。彼方は彼方のままでしょ?」

震える声で私がそう呟くと、わあっと嬉しそうに笑顔になる彼方だけど、その横顔は見慣れない大人っぽさを持っていて、やっぱり、やっぱり恥ずかしい。お酒のせいか、頬は熱いし赤い瞳はとろんとしてるし、口元も緩み切っている。そんな表情で、まるで宝物を抱き締めるみたいにされて。

そしてまた、低くなった声で、締まりのなく蕩けた甘い口調で、言うのだ。

「ねえヒナリ、もっとどきどきしていいんだよ…ううん、もっと、して?ずっと僕ばっかどきどきしてるんだから、ヒナリも同じくらいどきどきしたらいいんだよ…」

「そんなの、」

ずっとしてるって言うのに。

「僕、男らしくなったんでしょ?じゃあ、少しくらいどきどきさせられるようになったかなあ…」

酔ってるからなのか本心なのかは知らないけど、ともかく私がこれ以上耐えられないのは事実で。大切に大切に愛おしそうに囁く声、でも熱の篭った息とか、逃げ出させてくれない強さとか、そんなのを一度にたくさん向けられて、耐えられるほど私はそういうのに慣れてないんだ。

「ヒナリ、すき、すき、すき、…すき。僕は、ヒナリが、すき…」

「彼方、」

「…ううん、違うんだ、ほんとは"すき"だけじゃないんだよヒナリ、もっと、もっと僕は、」


――好き。


甘く痺れてしまうような、低音の震え。その声を聞けば、想いに気付かずにはいられないほど。彼はきっと、本気で、私を。

そう呟いたが最後、肩の重みがずん、と一気に増した。…寝てしまったみたいだ。頭を私の肩に乗せて、しかも抱き締めたまま。動くにもこんな成人男性を引きずって歩けるわけないし、抜け出そうにも腕が邪魔するし。ああもう、今夜はこのまま寝るしかないのかな。洗い物も出来ず終いなのに。ゆっくりと座り込んで、手で顔を覆った。熱は未だ冷めないっていうのに、また彼方が寝言のように私の名前を呟いたから、ほらもう、熱がまた上がってく。
ALICE+