花の輪のひとつずつ

タンバジムの扉を潜り、まず目に入るのは滝…と、それに打たれ続けているジムリーダー・シジマさん。昨日のいろりさんの話を思い出して、滝というと少し不気味なイメージすらあるのだけれど、そのイメージを力技で粉砕するような光景だ。苦笑いしながら狼狽えていると、階段の上にいたジムトレーナーのお兄さんが気付いてくれたらしい。彼がせっせとハンドルを回すと滝の水はせき止められ、シジマさんも私というチャレンジャーを認識してくれたようだ。ずぶ濡れのまま、パシャパシャと足元の水を跳ね上げながらやってきたシジマさんは、にっと白い歯を見せて笑った。言葉は要らない、早くバトルをしようと言われている気がした。今までに相手をしたことがないタイプである。押され気味になりつつも、指定位置につく。

「オコリザルゥ!今こそ修行の成果を!」

『承知だシジマさんやー!』

「理央、い、行こうか…」

『何あれ、暑苦しー』

今回のバトルで出てもらうのは、それまでになかなかジム戦での活躍をさせてあげられていない理央と千紘に任せることにした。それにしても、勇ましいシジマさんとオコリザルだけに、理央の冷淡さが際立つ。苦笑いしつつも、審判の合図でバトルが始まる。いち早く動いたのはオコリザルだった。

「オコリザルゥ!かげぶんしん!」

途端、オコリザルの大量の分身が現れる。それらは理央を取り囲んだかと思うと、全員で殴りかかろうと一斉に駆け出した。しかし、これくらいで取り乱すほど理央は単純じゃない。むしろ、複雑すぎて困るのだ。

「ほうでん!」

『言われなくてもそうするつも、り!』

素直じゃない言葉と一緒に、電撃が理央を中心とした円状に走る。もちろん分身は即座に消え去り、本物のオコリザルだけが残る、しかし本物は理央の背後、ちょうど死角にいた。そしてその拳は大きく膨らみ、充填完了といった様子だった。

「理央!」

「甘いな!今だオコリザル、きあいパンチ!」

「っ、でんじは!」

その瞬間、何が起こったのか分からなかった。拳と電撃がぶつかり、眩い光を放つ。せめて状態異常を残そうと、直前ででんじはを指示したはいいけども、本当に直前すぎた。指示に反応できるほどの時間なんかないだろう。そう思って、はらはらしながら二匹の様子を見つめる。

光が消えて、ようやく状況が分かるようになった時。理央は吹き飛ばされていない、その場に立っている。多分、電磁波を攻撃を受け止めるための緩衝剤としても使ったのだ。ちょっと口元をにやつかせている理央だけど、ダメージがない訳じゃない。今にもその小さな身体はよろめきそうだ。一方のオコリザルは再び間合いを取るが、その動きがやけに鈍い。見れば、時々ぴりりと電気が身体を走り、その度に表情を歪めている。どうやら麻痺してくれたみたいだ。

「オコリザル!動けるか!」

『ちょっと、無理らしいな…すまねえシジマさん』

『ヒナリ、先手が取れそうだけど?』

試すような視線を向ける理央に頷いてみせる。一応、麻痺させるという作戦通りだ。次の作戦のためにも、理央は温存しておきたい。

「理央、とんぼがえり!」

鋭敏な動きで理央は地を蹴ると、オコリザルの頭を思いっきり踏んづける。そして光の速さでボールに吸い込まれていく。麻痺している身体では、なかなか抵抗することも出来なくて。オコリザルは為されるがまま、踏んづけられぺしゃんと座り込んでしまった。

そしてその隙に私は、もう一つのボールを投げた。

「千紘、行こう!」

『…ん!』

耳をしゃんと立て、フィールドに降り立った千紘は、いつになく意気揚々と彼なりの宣言をした。

***

「もう一度かげぶんしんだァ!」

バトルが再開するなり、シジマさんはそう叫び、オコリザルの分身がまた現れた。麻痺してあまり有利ではない状況を、回避率を上げて打開しようという作戦だろうか。しかし千紘の能力をなめてもらっては困る。どんなに僅かな食べものの匂いでも嗅ぎ当ててしまうのだ。その嗅覚を、今こそ存分に生かす時!

「千紘、分かる?」

『うん。…斬る?』

「じゃあ、つばめがえし!」

千紘は暫しくんくんと辺りの匂いを嗅ぐと、その中の一匹に向かって駆け出す。そして、容赦なく額の葉の刃を振りかざしたかと思うと、斬り上げる。つばめがえしは大成功だ。ちらりと見えた横顔は、堪えきれずに笑みを浮かべていたから、多分千紘自身も爽快だったみたい。

しかしそれで簡単に倒れるほど、ジムリーダーのポケモンもか弱いのでは困る。よろり、オコリザルは立ち上がった。まだ瀕死ではないようだ。一撃で倒せなかったのが不満なのか、千紘がそれを見て口を尖らせる。…ちょっと可愛かった。

「あのリーフィア、嗅ぎ分けてしまうとは大した根性だァ!オコリザル!最後にいわなだれ、決めてくれ!」

『あいよ、すまんねシジマよォ!』

かっかっかと高らかに、かつ豪快に笑ったかと思うと、オコリザルはどこからともなく現れた大岩を千紘の頭上に呼び起こす。まずい、何か叫ぼうともそんな時間はなく、そのまま重力にしたがった大岩は、千紘の身体にそのまま衝突していった。

「千紘!」

土埃が舞う中、やがてその中からゆらり、小さなシルエットが現れる。あの耳のかたち、しなやかな四肢、…千紘は立っている!刃の、まるで千紘の破壊欲をそのまま映したみたいな鈍い光、それに良く似た眼光。間合いを取ってあるオコリザルも、その姿に危険を察知したのか、僅かに身を震わせているのが視界の隅に映った。

『…倒す、よね』

「うん、倒すよ。…つばめがえし」

振り返らず、オコリザルを睨みつけたまま呟いた千紘に、私も静かに指示を出す。オコリザルは攻撃を受け止めようと構えてはいたが、効果抜群、斬れ味抜群の千紘の刃を耐え切れるはずもなく。
僅かな音だけを響かせても、数秒は何も起こらなかった。しかしゆっくりと、その身体は地に伏せた。

「オコリザル、戦闘不能!」

「ありがとよオコリザル、修行し直さないとな。…頼んだぞ、ニョロボン!」

よし、まずは一体。オコリザルに代わって赤い光の中から現れたのはニョロボン。自慢の筋肉を見せつけて、意気揚々といった様子だ。それに対してリーフィア、というか千紘は見た目からあまり筋肉質には見えないけれど、触ってみると意外にも締まった体つきで、何だか対照的である。

千紘はいわおとしで傷ついてはいるけれど、ダメージはそこまででもないらしい。効果はいまひとつなのも一因だろう。このまま戦い続けることは十分可能だ。だけどポケットの中でかたかたと揺れ続けている理央のボールが、それをさせてくれない。それに、理央のサポートを挟んで、万全の状態で千紘にフィニッシュを決めてもらいたいのだ。この前のような負けはもう十分だ、確実に勝ちを取りにいかなくちゃ。油断はいけない。

「千紘、一旦戻って?」

『……?いい、けど』

「また後で出番は来るから、待っててね。……理央、もう一回行こう!」

『そう来なくっちゃ!』

愛嬌を振りまきながらフィールドに現れた理央だけど、さっきのダメージは伊達ではなかったらしい。いつもよりも肩が上がっているし、疲労感も目に見えた。けれどやる気はばっちりみたいだ。両手両足を地につけて、今にも駆け出す気は満タン、と言ったところか。

審判がバトル再開の合図をして、私とシジマさんが叫んだのは同時だった。

「ニョロボン!さいみんじゅつ!」

「てんしのキッス!」

ニョロボンのお腹の模様から放たれる念波を持ち前のすばしっこさで難なく交わすと、理央はニョロボンの頬に唇を寄せる。ニョロボンの目線より少し上から、見下すような視線を向けられて、…ニョロボンはどんな気分なんだろう。小さなパチリス、しかもオスにそうされるのは屈辱か、それとも…嬉しいのかな。何か新しい道を開かないといいけれど。ニョロボンの表情を見ていると、悪い予感がしてたまらない。

「理央、でんじはも!」

『ふふん、なかなかいい調子じゃん?』

軽く笑ってみせる理央に、私にもつい苦笑する。混乱と麻痺と、それからメロメロ状態も?食らってしまったニョロボンは、自慢の攻撃力を自らに対して使ってしまっていた。ふらふらしながらも自分の身体を殴る姿はなかなか見ていて辛い。というか、理央の悪戯の共犯者でもしている気分。しかし、シジマさんの声が飛ぶと、虚ろだったニョロボンの瞳はぱっちりと開く。

「ニョロボン、修行の日々を思い出せェ!なみのりだ!」

『…!そうだ俺は…!』

しまった。その修行の成果を見せつけるかの如く、ニョロボンはその身体の何倍もある波を呼び起こし理央を飲み込んだかと思うと、その隙に理央の身体に拳を打ち込む。悲痛な声が響いて、波が引いた時。理央は倒れ込んでしまっていた。それを見て胸に込み上げるものがないかと言えば大嘘になる。本当は縋って抱きしめてあげたい。けれど今は、勝たなくちゃ。

「パチリス、戦闘不能!」

「理央、ありがとう、ゆっくり休んで?」

ボールを突き出すと、理央は力無くにやりと笑ってそれを拒んだ。そしてのろりのろりとした歩みで観客席の彼方達の元へ向かう。バトルの様子は最後まで見届けるから、早く次に繋げろ、とでも言ってるのかな。そんなのを見てしまったら、私も拳に力が篭る。そんな状態のまま千紘のボールを投げたら、前のめってちょっと転びそうになった。

『…大丈夫?ヒナリ』

「だ、大丈夫。理央が頑張ってくれた分、勝たなくちゃ」

「がはは、まだまだ負けやせーん!」

そしてまたバトルが再開する。真っ先に叫んだのは私だ。それに応える準備もできているようで、千紘も既に駆け出している。

「千紘、つばめがえし!」

「ニョロボン。動くな」

う、動くな?シジマさんの指示に動揺しつつも、千紘は額の刃を長く伸ばしながらニョロボンに正面から迫っていく。何か作戦があるんだろうか。しかし今にも千紘は斬りかかりそうだ、このままあっさり倒せてしまいそう。だけど、斬りかかるほんの一瞬前に、シジマさんはにやりと笑うと大声で叫んだ。

「今だニョロボン!さいみんじゅつ!」

ぐるり、私すら眩暈がするような気がした。理央の時と同じ、お腹の模様から放たれた念波を千紘は真正面から受けてしまった。…あれ、でもよく考えたら千紘の普段の素早さを考えれば、あのくらい交わせそうな。というか、自ら念波の元に向かっていったような。……千紘、もしかして眠かった?原因はともあれ、千紘はニョロボンの目の前で座り込んで眠ってしまったのだ。

「千紘!起きて!」

『…すぅ』

「いい眠りっぷりだな!がはは!」

幸せそうな寝息を立てる千紘に、観客席の漣や彼方からは呆れ返った、と言わんばかりの溜息が漏れる。祐月なんか苦笑いしてるし。それでも何もしないわけにはいかなくて、千紘、千紘と呼び続けるけども、全く起きる気配がない。もう、千紘は本当に素直すぎて、…もう!疲労感も肩に乗っかりはじめた時だった。観客席から声が飛んでくる。理央、だ。

『千紘ー!聞こえてるかばーか!』

『…すぅ』

『ち、ひ、ろー!そいつ倒したら、ヒナリが添い寝してくれるって!添い寝!』

「ちょ、ちょっと理央!?」

『…、そ、いね?』

『そう添い寝!一緒に寝てくれるって!密着!すぐ隣!柔らか!』

『添い寝…、添い寝!』

彼方達の焦る声を無視して、とんでもないことをボロボロの身体のまま叫ぶ理央。何、添い寝って!いつそんな約束をしたと言うんだ。なんとなく恥ずかしくなってきて、頬に熱が集まっていく。もう、真剣なジム戦なのに。でもそのおかげで、千紘は見事覚醒したみたいだ。葉っぱのような耳と尻尾を凛と立てて、琥珀色の瞳をぎらりと光らせた千紘に、ニョロボンがびくっと身体を震わせる。

『そ、い、ね!』

「…!もう、リーフブレード!」

折角なら、得意技で!口角を上げた千紘は、怯えるニョロボンに容赦無く斬りかかった。格闘タイプだけじゃなく、水タイプも併せ持つニョロボンに草技は効果抜群。もちろん、ニョロボンは為す術もなく地に倒れ込んでしまった。勝て、ちゃった。

「ニョロボン戦闘不能!よってチャレンジャーの勝利!」

審判の高らかな宣言の後、千紘はぴょんぴょん嬉しそうに私に駆け寄る。そして腕の中に飛び込むから、思わず尻餅をついてしまった。千紘、と顔を上げると、間近に琥珀色の大きな瞳。いつになくきらきらと輝くそれに圧倒されそうになる。

『添い寝、してくれる?』

「…、わ、わかった」

『! ヒナリ、ヒナリ』

なんだか目を合わせられないけど、勝てたならまあ、いいかな…?尻尾を振りながら私にしがみつく千紘をそっと撫でて労わると、より一層ばたばたせわしく尻尾を振る。でもいつまでもそうしている訳にはいかない、バッジを受け取らなきゃ。千紘を抱き上げて立ち上がると、待ち兼ねていたシジマさんからショックバッジを受け取る。

「いいバトルだった!また滝に打たれて修行するかな!…と、おやおやこれは」

『ヒナリ、ヒナリ、添い寝…!』

シジマさんにも苦笑されるくらいだ。よっぽど変な光景だろう。目に見えないハートを撒き散らしながら擦り寄る千紘を、私はただ撫でて宥めることしかできなかった。
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