花の輪のひとつずつ

朝、彼方達の様子を窺いに行くと、なんだかすごい光景が広がっていた。ビール缶が転がる中、漣が中央にどっかり座って、彼方と祐月が漣にもたれ掛かるように眠っているんだ。昨晩一体何があったのか。彼方と祐月は起きるなり気持ち悪い、を連発している。しかも記憶があんまりないようで。まあ、こういうのはだいたい漣のせいということでいいだろう。

仕方ないから、太陽も十分登り切った頃にタンバの街で有名な漢方屋さんに二日酔いの薬を調合してもらった。漢方薬だけあって、あまり美味しいものではないらしく、ポケモンには嫌われるかもしれない、と言われたから若干不安だけど。しかし本人達にその旨を伝えると、きょとんとして二人は言った。

「…嫌いに?僕が?ヒナリを?」

「なれるわけないですよ、そんなの」

…ありがとう。

やがて漣が理央のキックで蹴り起こされ、何とかタンバを出発してアサギに到着。しかし漣はその目覚め方が不満だったようで。海を渡る時もずっと文句を言い続けていた。そしてアサギからエンジュに向かう39番道路を歩く今もそれは同じ。すっかり最初のインパクトから漣が悪いのかと思っていたけど、あまりにもずっと嘆き続ける漣を見ていたら、もしかして誤解かもという念が湧いてくる。ひたすら非難し続ける理央を一旦止めて、漣に尋ねた。

「だから何で俺が蹴られなきゃなんなかったんだよ…昨日俺が一番頑張ったのに」

「例えば何して?」

「ああ、えーっと…。慰めたり宥めたり怒られたりしただろ、それからお姫様抱っこもしてやって、最終的に寝かせた」

「お、お姫様抱っこ…?」

さすがは漣、大の男を持ち上げるとは力持ち…じゃなくて。一体全体、昨晩あの部屋で何が起こったんだろう。漣自身も、もしかして意識が曖昧なのかな。最早真相は謎である。

「それよりもう、ヒナリちゃんのほうは?何もされてない?」

「あ…うん。大丈夫、だよ?」

「…本当に?」

「本当に!?」

いつの間にか漣だけじゃなくて彼方にもそう詰め寄られるけど、言えるわけがない。おやすみの、…うん、それだなんて口に出すのも憚られる思いだ。口に出したら出したで、きっと千紘と理央が酷い目に会うだろう。いやでもやっぱり、ちょっとくらい酷い目に会ってほしいような気もする。だってすごい恥ずかしかったんだから!これ以上考えると頬の赤らみ具合でばれてしまいそうだから、考えないことにした。

その本人達である理央と千紘はというと、こういう話の流れになることを分かっていたみたいに、私や漣、彼方や祐月の随分先を歩いている。思えば理央と千紘なんていうのも、ちょっと不思議な組み合わせだ。会話の内容はほとんど聞こえないけど、九割九分理央が話して残りが千紘の相槌、みたいな感じ。身長差もけっこうあるし、でこぼこコンビってああいうのを言うのかな。

あ、また理央が何か喋り出した。次に千紘が口を開くのはいつだろうか。そう思った直後に、私は気づいてしまった。千紘が理央の話をほとんど右から左に受け流していること。そして、道の脇にあるモーモー牧場を見つめることにその分集中力を捧げていることを。

「ちょっと千紘!聞いてる?」

「牛乳、チーズ、バター…おいしそ」

駄目だこれ。頭を抱えたのは理央だけじゃなくて、私や他の皆も同じだった。千紘の興味なんて、だいたいは食べ物か寝ることか、それかバトルくらいにしかない。改めてそのことを実感させられた。つくづくマイペースな子である。でも、出会った頃に比べたら無表情の中の微々たる表情に気づけるようになってきたし、なんだかんだ楽しそうにしていることも増えてきたし。随分と馴染んだものだとは思う。

そんな周りの様子を全く気にしない千紘は、柵の向こうのミルタンクさん達に気付かれ、きゃあきゃあ騒がれているようだ。声から察するに、なかなか年を重ねているみたいだけど。

『何さっきからこっち見とる金髪っぽいあの子!ウチに気があるんとちゃう!』

『ミル江さんあんたっちゃうよ、ウチ見とるんよあの子!』

『そんならウチはあの黒髪っぽい子をもらうでな』

『ならウチは青っぽいのを落とすわ』

『あと残っとんのは女二人とちびっ子!うちが言い出したんになんでぇ、ミル野さんにミル田さん、ミル沢さんまで!』

彼女達は聞こえてないと思っているんだろうか。話の内容の割には声のボリュームが大きすぎて、嫌でも会話の内容が耳に入ってしまう。金髪は千紘で、黒髪は彼方、青っぽいのは漣だろうな。女二人…というのは祐月と私で、ちびっ子は理央か。やっぱり祐月はぱっと見女の人に見えるんだ。ちらっと彼のほうを覗き見ると、むすっとして不服げな表情を浮かべている。

そんなミルタンクさん達の中の一匹――えっと、多分ミル野さん、かな。私達のほうにのそりのそりとやってきたかと思うと、やたらと大きな声で話し出した。

『なあ兄ちゃんら、あんたらかっこええなぁ!ちょっとおばちゃんたちのモーモーミルク飲んでかん?』

「…! モーモー、ミルク!」

『せやで。ミルクだけやなくて、乳製品ならなんでもや。チーズにヨーグルト、バターとか、他にも色々あるに。その代わりおばちゃんらと話しようや、』

いつも半開きの千紘の瞳がどんどん見開いていく経過に気を取られてしまうけど、…これって新手の、逆ナンってやつ?上手い反応の仕方が分からなくて、皆なんとなしに苦笑いを浮かべていた時。ぱたぱたと可愛らしい足音と共にやってきたのは、一人の若い女の子だった。

「ミル野さん…!駄目ですよ!旅のトレーナーさんに絡んじゃ駄目って、いっつも言ってるじゃないですか!」

『うっさいなあ、黙っとれ羽依!うちらの勝手やろ何しようと』

「そう言って勝手に商品を人にあげるわけには、」

『うちらが出したもんやろ?』

「そ、それはそうですけど、」

第一印象は、真っ白。赤と青のリボンで真っ白な髪を二つに結わえていて、彼女が何か動作をするたびにそれが右へ左へ揺れる。着ているエプロンとワンピースも真っ白。もしかして外国の人なのかな、そう思った矢先にこの会話だ。ハッタリとか偶然じゃなくて、羽依、と呼ばれたこの女の子は、ミルタンク…ポケモンと会話をしている。私と、同じ?軽い混乱状態になる私をよそに、彼女とミルタンクさんは口論を繰り広げる。しかし勝敗は最初から決まりきっているようで、やがて彼女は言い包められて押し黙ってしまった。

「…牛乳、は?」

「千紘お前、空気読め…」

「…ごめんなさい、いいんです。すみません関係ない人の前で騒いじゃって。モーモーミルクなら販売していますよ。…あっ、でも迷惑かけちゃったし」

真っ白のおさげを揺らしながら、わたわた慌てながら喋る彼女に心を決めた。ぎゅっと拳を握り締めて、あの!と声をあげる。

「ポケモンの声、聞こえるんですか…!」

「あ、えっと…」

それだったら、嬉しい。いや、凄く嬉しい。同じぐらいの年頃で、同じ境遇の女の子がいるなんて、なんだか色々分かり合えそうじゃないか。それに、自分の特殊性から少しでも解放された気がする。たじろぐ彼女の顔はだんだんと青くなっていく。もしかして、本当に?そんな希望が僅かに見えてきた時、声を上げたのは理央だった。

「ヒナリ。残念だけど、この子ポケモン。トゲチック、でしょ」

「な、ななななな…!何でそんな簡単にばらしちゃうんですか!」

『あーらら羽依、よく見たら皆お仲間やん。人の姿になれるってのは聞いたことあったけど、こんなにたくさんおんのは初めてやね』

ミルタンクさんはあらまあ、とツラツラ淀みなく語るけれど、…この子、トゲチック?確かにそう言われてみれば、こんなに不思議なくらい真っ白なのも、会話が出来るのも納得だ。人間じゃなかった、そのことは少しだけ残念だけど、でもそれ以上に、彼女のことが気になった。着古したエプロンとジーパンという格好からするに、きっとこの牧場の従業員だろう。何で人型になったポケモンが、わざわざ働いているんだろうか。

「あ、あの、言わないでくださいね…?ここのオーナーには、このこと秘密なんです…」

「じゃあ、口止め料に、牛乳…!」

「千紘、お前食い意地張りすぎだっつーの」

漣が呆れて千紘の首根っこを掴んで引き寄せた。むう、と不満そうに頬を膨らませる千紘だったけど、やがて彼女が告げた内容に再び瞳を輝かせる。…全くもう、素直というか、欲望に忠実に生きてるというか。

「ご迷惑もおかけしましたし、口止め料…の分も込めて。私がお金払いますので、よかったら中へ入ってください、少しお礼をさせていただきます」

「…! ほんと!」

「はい、本当です。…こちらからどうぞ」

柵を開けて牧場の中に案内してくれる彼女の後を、千紘が尻尾を振りながらついて行く。何だか突っ込むのにも疲れてきたのか、何となく苦笑しながらも私達もその後を追った。って、尻尾?尻尾が見える。これは冗談じゃなくて、本当に、リーフィアのあの葉っぱのような尻尾が生えているのだ。どうなっているのかは分からないけど、人前でそれはとても、とってもまずい!皆も気付いたらしく、つい視線が合う。止めなくちゃ…!

「千紘ー!馬鹿あんた尻尾ー!」

「だめだよ千紘、ストップストップストーップ!」

「! 何で、追いかけてくるの…!逃げ、なきゃ!」

ツッコミが間に合ってない。なぜか広い牧場内をひたすら奔走しまくる千紘とそれを追いかける彼方と理央に、案内してくれた彼女はおろか、あれだけきゃあきゃあ騒いでいたミルタンクさんでさえ呆気に取られ、冷たい目線を送っていた。ようやく千紘を捕まえて、尻尾をしまってもらった時にはもうクタクタだ。彼女が差し出してくれたモーモーミルクに、目を輝かせ尻尾を振りたくなったのは千紘だけではなかった。
ALICE+