花の輪のひとつずつ
「羽依ちゃん…って言うの?」
「はい、…種族はトゲチックです。このモーモー牧場で拾われて、牧場経営のお手伝いをしています」
時刻はそろそろ太陽が西に傾き、肌寒くなる頃合だった。ホットミルクの温かさが身体に染み渡って、ついほっと溜息が出てしまう。彼方と千紘と漣はというと、そんな中でもミルタンクさん達の話し相手をしてるみたいだ。眺めてる限り、長話にほとほと疲れ切って、ただ笑顔を浮かべてるだけになってるように見えるけど…。千紘は多分、目ぇ開けたまま寝てる。
そんな理由で、ミルタンクさんに興味を持たれなかった理央と祐月と、それから私。その三人で羽依ちゃんの話を聞いていた。牧場の隅っこに座り込んで、草の匂いの心地よさとマグカップの温かさを味わいながら。だけど羽依ちゃんの様子はそれと真逆で、背中を丸めてじめっとした口調。話す内容があまり陽気ではない、というのが原因だろう。
「普通のトゲピーの群れにいたはずなんです。普通に、普通に。何の変哲もなく育ってたはずだったんです。なのにある日突然こんな姿になってて」
「変なの。何にも意識したりせずに、人型になれちゃったんだ」
「変なのはあたしが一番分かってますよ…。そんな理由で群れを追い出されて、仕方なく人の姿でふらふらしてたらここのオーナーに拾われたんです」
それから、恩返しに、と働き出したというところだろう。
「でもあまり、仕事が上手くいかなくて困ってる…とか、ですか?」
「なな、何で分かるんですか…!ええっと、祐月さん」
「顔に書いてありますよ、そうやって」
羽依ちゃんがまた慌てふためくと、祐月はふふっと口に手を添えて笑う。確かにさっきの様子からするに、ミルタンクさん達とはあまり上手くいっているようではなさそうだ。どうも下に見られてるというか、…まあ年功序列でいくならば仕方ないけれど、そんな風に見えた。でも、彼女達には仕事上、協力してもらわなくてはならない。
「ミルタンクさんたちは牧場の大事な財産です。モノ扱いするのはおかしいんですが、でもミルタンクさんたちがいるからこそ、この牧場は経営していけるんです。なのに…」
搾乳の時間のベルを鳴らしても来てくれないし、好きなきのみしか食べないし旅のトレーナーさんに迷惑かけるし、云々。羽依ちゃんは鬱々と恨みがましく呟き続ける。もはや独り言だ。どうにも返事のしようがなくて、理央は溜息ついてるし、私と祐月は視線を合わせて苦笑いするしかない。よほど日頃の怨念が溜まっているんだろう。
「挙句の果てに、きのみにはもう飽きた、もっと美味いもん持って来んかいな!…って。でも美味しいミルクのためには、そんなもん食べさせるわけにいかないんですよ!もうー!」
「…それなら僕、何とかできるけど?」
「え?」
理央がぼそり呟いた言葉に、彼以外の三人がきょとんとした時だった。ばたん、という何か体重のあるものが倒れこむ音と振動。そして、ミルタンクさん達の叫び声。
「ミル江さん!?」
「おま、どないしたん!大丈夫か!?」
音のする方を見ると、そこにはミル江さんーー一番最初に声を掛けてきたミルタンクさんだ。彼女が、牧草の上に横たわっている。その表情は苦痛に歪んでいて、どことなく頬も赤らんでいる。原因は分からないけど、とにかく事態がよくないということは明白だ。ミルタンクさん達と一緒に彼方達、そして私達もミル江さんの元に駆け寄る。一番早く身体が動いたのは、羽依ちゃんだった。
「ミル江さん!ミル江さん、大丈夫ですか!」
『う、い…大丈夫やさかい、ほっとき』
「そんな顔で言われたって放っておけるわけないじゃないですか!こんな時までそんなこと言わないでくださいミル江さん!待っててくださいね、私オーナーを呼んできますから…!」
「羽依ちゃん、私達ミル江さん見てるね!」
「すみませんヒナリさん、お願いします!」
羽依ちゃんが勢いよく駆け出す。その間に私達はミル江さんを取り囲んで、容態を確認していく。額に手を当てると、随分と熱すぎるーー恐らくは熱だろう。そうとなれば、…どうしよう、よく考えたら病人の看病なんてしたことがない!固まってしまった私の代わりに、声を張ったのは理央だった。
「あーもう!とりあえずこんなところに置いておいたら駄目に決まってるでしょ!あの建物が多分小屋だろうから、彼方と千紘であそこに運んであげて!」
「う、うん!」
「…ん!」
「それから漣!あんたは氷嚢用意できるでしょ!」
「え、ちょっと待て氷嚢って?」
「ビニールか何かに氷入れてタオルで包んでゴムで口縛る!出来たらおでこに当ててあげて!」
「それなら任せろ、大丈夫だ!」
「祐月は彼方達と一緒に小屋行って布団代わり!あと話も聞いてあげること!得意でしょそーゆーの!」
「は、はい!」
「ヒナリと僕はあのトゲチックのとこ行って状況説明しよう、ほら動けー!」
怒涛のような理央の指示を受けて、六人が一斉に動き出す。それぞれの得意分野が見事に活きる役割分担に感心するけれど、それよりも今は私にも与えられた役割を果たさなくてはならない。羽依ちゃんの元へ、今の状況を伝えにいかなくちゃ。
「ヒナリっ、ほら行くよ!」
少し焦っているらしい、理央は私の手をばしりと握ると駆け出した。これほどの能力、状況判断だったり得意を見抜く力だったり、つくづく頼りになるものだ。子供らしい小さな背中を見つめながらそう思うと同時に、自分の頼りなさが露わになって、へなへなと、情けない気持ちが胸の中に広がった。
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キュウコンの豊かな尻尾に包まれたミル江さんの額には氷嚢、その周りを羽依ちゃん、それから私達が取り囲む。それぞれが仕事を果たし終え、ひと段落ついたはいいけれどミル江さんの容態は変わらない。最寄りのポケモンセンターに電話したけれど、ちょうど今混雑しているらしくこちらまで来るのは不可能らしい。羽依ちゃんが呼びに行ったオーナーも今はエンジュシティに出張しているらしく、こちらに急行してくれるとは言ったものの時間がかかりそうだ。そうなるともう打つ手がないから、出来るだけ彼女の苦しみを和らげてあげることくらいしかできなさそう。けれど、どうやって?
「ミル江さんミル江さん、大丈夫ですからね、羽依が何でもしますからね…!何か食べたいものはありますか!」
『たべ、たい、もの…?』
はあはあと息も荒く、苦しそうに声を絞り出すミル江さんの姿に胸が痛む。彼女の言葉、何だって聞いてあげたい。次に発する台詞を、皆が固唾を飲んで待つ。
『オレン、の、み』
「! それならたくさん貯蔵庫に…!」
『の、ケーキ…生クリームとモモンのトッピングも付けてな…スポンジとスポンジの間にはチーゴも挟んで、ロウソクも立てて、チョコのプレートに「ミル江さんはよ元気になって」って書いてあるのが…食べたい…』
はあはあと息も荒く、苦しそうに声を絞り出すミル江さんの姿に、…乾いた笑い声しか出てこない。いや、病気で可哀想なのは確かだし、何でも食べさせてあげたいって思ったけど。看病なんかしたことがない私でもすぐに分かる、ケーキなんて病人が食べていいもんじゃない。もっと体に良さそうなもののほうがいいに決まってる。
とほほと寒い空気が漂う中、不意に立ち上がったのは理央だった。ぽかんとする私達が内心思ったことを代弁するかのように、ぴしゃりと言いのける。
「馬鹿じゃないの!?病人の分際でそんな贅沢させられるか馬鹿!」
「り、理央、気持ちは分かるけど落ち着いて」
「落ち着いてる!どうせあんたでしょ、ただのきのみに飽きたってこのトゲチックに言ったのは!あーもうしょうがないな、祐月!それからあんた、えっと…羽依!ちょっと面貸せぇ!」
「でもあたしはミル江さんの側にいなくちゃ…」
「いーいーかーらーあー!」
渋る羽依ちゃんの手をがしりと掴んで、理央はそのまま彼女を連行していく。祐月もよく分からないままその背中を追いかけるけど、…理央は一体何をしたいんだろう。残された彼方達と目が合って、なんとなく苦笑いを浮かべた。のんびりしてしまいがちな空気だけど、事態は変わらず。ミル江さんは病気に冒され未だ苦しそうだ。
「彼方、祐月の代わりにミル江さんを暖めてあげてくれる?」
「…!うん、分かった」
バクフーンの姿に戻った彼方がミルタンクさんに擦り寄る。私と漣と、それから千紘も一緒になって彼方のふわふわのお腹に寄り掛かると、彼方の苦しそうな声が聞こえて面白い。
『…ああー、何やこれ、皆でお昼寝、やん』
そう言っていたミル江さんも、さっきので喋り疲れたのかすぐに眠りの世界に落ちていった。その後を追うように、最初はお喋りしていた彼方たちもだんだん口調がゆっくりになっていって、やがて喋り声の代わりに小さな寝息が聞こえてくる。ミルタンクさん達の喋り相手をして、けっこう疲れたのかな。二人と一匹の表情からするに、眠りは深そうだ。
一人寝そびれた私は、さっきのことを思い出す。理央、羽依ちゃんのこと、羽依って呼び捨てにしていたっけ。何だか変な感じ、理央が私以外の女の子を呼び捨てにするところって初めて見たからか、何となく違和感を覚える。嫌っていうわけじゃない、けれど、理央はつんつんしつつも何だかんだドキドキさせてくるし、その、好きだって言ってくれてる…トレーナーとして、だと信じてるけど。だから何となく。…って、これじゃまるでヤキモチ焼いているみたいじゃないか。何やってるんだ私、かっこ悪い。というか理央に失礼だ!頬を手で押さえ、一人ぼんやりしているうちに、私もやがて微睡みの世界へ。
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