手っ取り早く言うなら、あいつの家の一族が全員死んでんだ。災害で。
 ……ははっ、変な顔。お前リアクションおもしれーのな。声出さない代わりに顔で喋りやがって。まあ風邪引いてんだし、しょうがないか。……睨むなよ。
 で、なんだっけ? あいつの話か。あいつの家、けっこうその土地では有名な、なんつーの? 田舎の名家? とにかくなかなか良いとこのお坊ちゃんなわけだ。だからあいつ、誰に対しても口調だけは礼儀正しいんじゃねーかなって、俺は思ってる。環境的に、敬語ばっか聞いてたんだろう。そんな名家の、末っ子長男。相当可愛がられていたらしいな、とくに姉が何人か居たらしいんだが、そのおねーさんたちに、とことん愛でられて育ったらしい。ほんとお坊ちゃんだな。
 だけど、あれは火山の噴火だったかな。歴史あるその家ごと燃え尽きて、ほんとに、全滅らしい。あいつただ一人を残してな。それが、中学三年の頃。微妙な年だろう? 義務教育はあと少しで終わるけど、まだ社会的には独り立ちしにくい。それでもどっかに引き取られて、中学の間はその家にお世話になることになったんだと。本人は相当不本意だったらしいがな、あいつの大事な「家」を奪われたんだし。
 中学の頃のあいつの話、聞いたことあるか? って、誰も話したがらないか、この学校あいつの信奉者ばっかだもんな。今じゃ大人しくなったけど、当時は事あるごとに死のうと暴れてたんだぜ。……暴れてた、って言うのは違うかな。――ただ静かに、還ろうとしていた。あいつを愛し、あいつが愛したねえさんのところにな。すぐ手首切るわ、入水自殺図るわ、絶食するわ、飛び降りるわの大惨事だよ。あいつの片っぽの手首、やばいぞ。見れたもんじゃねえ、グロすぎて吐く。あいつ、ただでさえ細いし肉がないだろ? そこに散々切り刻んだ跡が残ってんの。夏場でも長袖着て、片方の腕だけはまくったりしないのは、そういう理由。まあ、俺は一応見れちゃうんだけどな、お医者さんだし、何より相手があいつだし。
 もはや自棄だよ、そこまでしても死ねないんだ、あいつ。どういう神のご加護か知らないけど、どう足掻いたって奇跡だって言われて生き延びちゃうんだ。俺にとってはいいことだけど、あいつにとっては絶望だろうな。死にたいと願えば願うほど、死ねなくなっていく。それで、高校入学と一緒に、あいつはパタンと死のうと足掻くのを止めた。本人曰く、ねえさんの望むものが違うんだって、気付いたらしいんだ。ねえさんは、一人生き残った自分を恨んでるんだって。ねえさんは、死んで一緒に幸せになることじゃなくて、一人生きて地獄を味わうことを望んだんだって。だから、死ねないし、死ぬことを止めたんだと。
 ……お前さあ、どう思う。ぽかんとした顔して、今お前何考えてる? ねえさんっていう存在のでかさか? それとも、あいつの拗れた妄信のことか? お前が、仮に、あいつのねえさんだとしてさ。あいつを一人、置いて逝っちゃったとしてさ。あいつが、死にたがってたとしてさ。どうしてやりたい?
 ……。
 あいつが、お前を気に入ったのは、そういうところなのかもしれないな。そうか、死なせて、あげたいか。お前にとってもあいつにとっても、死は救済か。
 話が逸れたな。あいつの、今の話をしよう。中学卒業と同時に、あいつは引き取られた家を出た。引き取った家側も、一見大人しそうだからって油断してたらこんな問題児で、正直疲れていたんだろうし、お互いの理に適ったんだな。で、本人はそのまま路頭に迷って適当にやるつもりとか、ふざけたこと言ってやがったんだけど、んなのされたら俺が困る。そういうわけで、俺が引き取った! ……ははっ、アホ面(笑)俺が無理矢理、あいつを引き取って、ついでに高校にぶち込んだ。そうでもしないと、会わないだろうからな。彼女に。その時はもうそろそろだと思うんだがな。
 だから、あいつと俺、今二人暮らし。本人は相当不服らしいけど、まあ知ったこっちゃねえよな! それに、あいつは意地でも俺が守んなきゃなんねえ理由があるんだ。祐月は、たとえ世界が違おうと、祐月だ。俺たちの仲間だ。絶対に死なせねえよ。
 あー、こっちのあいつは、なんで笑ってるんだろうな。俺の知るこの時期の祐月は、もっとムッスリして、怒りっぽかったんだぜ。それがこっちじゃ、ニッコリ気持ち悪い笑顔貼り付けやがって、無駄に顔が良いからそれで妙な宗教作り上げてやがるし。多分、社会に適応するための、仮面なんだろうな。あっちの祐月は、本当に一人ぼっちだったから。仮面を作り上げる必要すらないくらいの孤独だった。おかげで変な目に合ったんだよなあ、俺も……。
 あ、ごめん。またこっちの話だから、お前には関係ないわ。あとは、そうだな、ラブラブ同居生活の話でもするか? 最初は俺もちゃんと保護者しなきゃって意気込んでたから、やったこともない料理とか頑張ってあいつに食わせたんだよ。無理矢理口に突っ込んでな。だってあいつ本気で飯食わねーんだもん、そんなんじゃ、死ぬだろ。まああいつの望みはそれなんだけどな。そしたら、まあ一回は咀嚼して、ちゃんと胃に入ったらしいんだけど、夜になって一人で全部戻してたんだ。もう食べ物っていう、生に繋がるものを拒絶したい心が体にまで転移しちゃったらしい。俺も流石に可哀想になって、翌日からはゼリー飲料っていうの? ウィダーとか、そういうの置いとくようにして、たまに無理矢理点滴打ちに連れて行ったりな、それで栄養は補ってる。全然ラブラブじゃないって? あはは、そこは突っ込んでくれるなよ、お前、そういう俺に冷たいとこ、一体誰に似たんだか。
 あいつの話は、この辺で終わり。質問ある? ……あいつがちゃんと寝てるかって? 寝てることには、寝てるよ。寝てるっつーか、うなされてるけどな。毎晩。あいつの夢には、深層心理には、未だねえさんがいるんだ。一体どんなひとだったんだろうな、あいつのねえさん。あいつも深く喋りたがらないから、俺も知らないけど。とにかくあいつ曰く、ねえさんは、あいつを相当に愛してたらしい。それで、あいつも、ねえさんを、愛してた。姉弟のことは、よくわかんねーよ、俺には……、

「彼女に何を話しているんですか、せんせい?」
「げぇ……っ! お、お前、いつの間に」
 先生の顔を見るのも気まずくて、ずっと布団を握り締めた拳を見つめていたのだが、弾かれたようにその声で顔を上げる。彼だ。ゆづきくんだ。片手を腰に当てたほうに重心を傾け、眉間に皺を寄せた彼が、保健室の入り口に立っていた。珍しく怒りを露わにした表情。こんなにも分かりやすく感情を表に出す彼は初めてで、なんだか彼が私の知る彼じゃないような気がした。かつかつとした足取りで長髪を靡かせてやってくると、先生の前に仁王立ちし苛立った表情で見下している。あのぉ……と何か言い訳しようとしている先生の台詞を遮るように、彼は饒舌に、罵倒する。
「ひとの昔話を勝手に許可もなくするって、どういうことなんですか。プライバシーの侵害って知ってますか。仮にも教師ですよね」
「え、だ、だって〜……」
「駄々こねないでください、可愛こぶってるんですか、可愛くないです。というか、病人の前でだらだらうるさく話し続けるとか、迷惑にも程がありますよね。彼女この前からずっと体調悪そうだったんです、保健室で休ませないでどうするんですか。あなたなんで保健医やってるんですか」
「気がついたら保健医やってたんだよ!」
「ふざけないでください。大体、症状聞いたんですか。熱計ったんですか。担任への連絡は」
「……う」
「みょうじさん、」
「ゆ、ゆづぎ、ぐん、なんでっ、げほっ」
「ただ体育サボりに来ただけですよ。もう四限目です、今」
「え、もうぞん、な時間、はっ、は……! っぐじゅん! ふえぇ……」
「……大丈夫ですか。はあ、側にティッシュ箱置くくらいの配慮も出来ないんですか、この人」
 先生への溜息と一緒に、ティッシュを一枚渡される。正直、彼の前でズゾゾゾゾと盛大に鼻をかむ勇気はないので少し困ってしまったが、渡されてしまったものを戻すわけにもいかず恥ずかしくない程度に鼻をかんだ。それから彼は先生を蹴っ飛ばし(比喩ではなく、本当にだ。膝で先生を椅子から突き落とした)、さっきまで先生の座っていた丸椅子に座った。そして突き落とされた先生に、絶対零度の視線で命令する。
「先生。体温計取ってください」
「……はい」
「冷却ジェルシートも」
「……なんだそれ」
「冷えピタですよ。なんでそんなことも知らないんですか」
 逆になんで彼は冷えピタの正式名称なんてさらっと出てくるんだろう。不思議。でもまあ彼なら、いっか。よろよろと先生がその二つを取ってくると、彼は座る向きを私のほうへと変えてきた。ひえっ、と思わず倒れこんで布団を被ると、くすりと笑う微かな声がした。それから体温計の電源をつけると、布団を少しだけ捲って差し出してくる。手だけでそれを受け取ると、脇に挟んで、そのまま布団の中。……暑い! さっきよりもずっと暑くて、思わずばっと布団を脱いで新鮮な空気を全力で吸い込む。その隙に、前髪を掻き上げられハンカチでおでこの汗を拭かれ、冷えピタ――冷却ジェルシート? を貼られる。きょとんとしている間に、まんまと技に嵌った、って感じだ。彼も技をかけた自覚はあるらしくて、くすくすと手の甲を口に当てて笑っていた。珍しく目元までキュッと細くして、キツネみたいな目になっている。解れた笑顔だ。か、かわいい。きゅん、と心臓が絞られる。彼を、可愛いなんて思う日が来るとは。こんな可愛い笑顔、二人の時じゃ見たことがない。なんだかんだ、同居人である先生がいることで彼も気が緩んでいるのかもしれない。
「大丈夫ですか、風邪」
「た、たぶん……、ぐじゅんっ」
「大丈夫じゃないですね」
「……は、はいぃ……」
「もう少し寝たほうがいいですよ。……髪の毛、結んだまま寝てたんですか? 落ち着かないでしょう」
「あ、わ、えええ……」
 しどろもどろ、隠れたり首を振ったりしている間に彼は少し腰を浮かし、ハーフアップにしていた私の髪に触れる。なんとなく、あのときのことを思い出してしまいそうで顔が沸騰するけど、今はどちらかというとお母さんに面倒見られている気分だ。「ちょっとだけ、頭浮かせますか」と静かに言われれば、考える間もなく体は従っていた。枕と私の後頭部の間に彼の薄い手のひらが、指が、髪の結び目を探して髪ゴムを取り外そうとしている。ぎゅっと閉じていた瞼を、好奇心にかられて薄っすらと開いてみると、開かなきゃ良かったと即思った。私のちりちりな髪の毛に苦戦しているらしく、真剣な眼差しと薄く開いた唇。いつも視覚だけで殺されてるのに、目を閉じても触覚で彼がいるなんて、もう、無理。髪ゴムがようやく取れた頃には、もうすっかり私は参ってしまっていた。ごろんと彼に背中を向けると、また少し笑う声が聞こえて、もう、確実に熱が上がっちゃったじないか。体力がないからどうにもできないってことにして、無言のまま布団を抱き締めた。
 そうして、ばくばくうるさい心臓を落ち着けていると、後ろから呑気な声が聞こえた。
「……お前さ、祐月、なんだなー……」
「……はあ?」
「なんつーか、今のお前、すごい祐月だった……あー祐月だ、そういう無駄にオカンなところすごい祐月なんだよ……涙出てくる」
 ……はあ? 会話だけ聞いてるから状況が掴めてないのだろうか、でも彼も心底意味がわからないという声だったから、多分見てもわからない気がする。そんな彼と私のリアクションにも負けず、先生は祐月だー、祐月だーと謎の言葉を繰り返している。
「そうだよ、祐月はさ、そうやって面倒見がよくて、でも控えめで、料理が上手くて、ちょっと女顔なのを気にしてて、俺以外には優しいくせに俺にだけ塩対応で、酒に酔うと毒舌が悪化するんだよ……それが俺の知る"祐月"なんだよ、はやく、戻ってこいよお」
「……何を言ってるんですか」
「なあ、なんで思い出さねーんだよ。今はまだ、理央と俺だけなんだ。ヒナリちゃんと彼方がここにいるのは知ってる、千紘も多分ここのどこかにいるはずなんだ。はやく思い出してくれよ、頼むから……。お前は、俺の大事な仲間なんだよ。お前の居場所は、そんな女の隣じゃねえだろ、」
「……せんぜ、い、」
 背中を向けて寝転がったまま、咳き込みながら掠れ声を上げた。恥ずかしくて、勇気がなくて、でも苛立ってしまって、どうしても言わなくちゃって思って。先生も彼も、少なからず驚いたようだ。音がぴたりと止まり、途端校庭から響いてくる賑やかな体育の声が聞こえてくる。布団で声をくぐもらせた、本当に僅かな声で、私はせめてもの抵抗を、声明を、あげる。
「わたし、は、確かに、ゆづきくんの隣にいられるような、おんなじゃ、ないですけどっ……、でも、私が彼の、隣に、いたい……」
「……ふぅん。メロメロなのか、お前」
 かあっと血がのぼる。気がつけば、上体を起こして、白衣のポケットに手を突っ込んで私を見下す先生を下から睨みつけていた。違う、そんな、下卑たものじゃない! これは私の大切な感情! 神聖な、透明な感情! やっと見つけた、私の唯一の宝物!
「そういうのじゃない……っ! 私はっ! 彼と! いつか、しにたっ、」
「みょうじさん」
 つめたい。
 つめたい、指。熱くなりすぎた体温に、それは死んだように冷たくて、ぞっとするくらい、気持ちいい。最初は私の手の甲に触れていただけだった彼の長い指。それが徐々に、侵食するように、私の手をまるごと滑らかに包んでいく。手の甲から、手のひらへ。指の腹同士がそれぞれに触れ合って、ずれて、繋がれる。あまりにも細く、病的なまでのその指。声にならない息が喉で詰まって逆上せそうだったところを、そっと彼に微笑まれる。瞳の赤が、ぐるりと渦を巻く。嗚呼、私の、とうといひと。私の、彼。希死によって繋がった、私のあなたが、目の前にいてくれる。ふっと全身の力が抜けたところで優しく肩を捕まれ、そのままベッドに戻されていく。背中から頭まですっぽりと、マットレスの柔らかさに包まれたあと、彼は私の耳元へそっと囁く。掠る吐息と低い声の振動が腰まで響いて、意識がふっと軽くなる。まるで麻薬だと思った。
「……一緒に、死ぬんでしょう。自ら死を選ぶんでしょう。なら、こんな病原菌なんかに殺されちゃ、ずるいですよ」
「……ゆ、づき、くん、まって」
 甘い言葉、甘い声に、朦朧となりながら、繋いでいた手を滑らせて、彼の手首にそっと触れる。確かこっちは、彼がいつも袖で隠しているほうの腕のはずだった。そっと、シャツの中に手を忍び込ませていく。ここに、あるはず。彼がピクリと、眉を顰める。でも、振り払われないのをいいことに指を進めていく。動脈のあたりに、まず、一筋。傷跡の凹凸を、指先で感じる。もう少し進めれば、もう一筋、もう、一筋。ああ、それでも、あなたは死ねなかったんですね。苦しいままで、生きてるのですね。可哀想、可哀想で、いとおしい。彼の顔を見つめ、笑いかける。彼は少し虚をつかれたように、瞳の奥を丸くしていた。少し、してやったり、って感じ。でもそれももう終わる。体力の限界、熱が上がって、もう自分が何をしているのかも分からない……。
 最後に見た彼は、やはり、私の知る彼だった。上半分が暗い視界の中で、ぼやけた彼の色彩。赤色が、遠目に見たイルミネーションのような柔らかな光に化けていく。そして、彼の手がまるで死人の目を閉じるかのように、私の瞼を下ろすと、そのまま意識は絶えてしまった。
「はやく、治して。おやすみなさい」
聞こえた声は、やはり、私に掛けられたものではない。それは、誰に言っていた言葉なんですか。もう知ってしまったけど、知りたくない。……。

***

「お前、今の……」
「昔からそうなんです。なんか、じっと見てると、ひとが勝手に眠ってくれる。やりすぎると、死んじゃうんですけどね。一回ネズミか何かで試しました」
「……。お前さあ、それの正体教えてやる。それは『さいみんじゅつ』っていうお前の技。そうか、技は引き継ぐのか……」
「技って……ゲームの世界でもあるまいし」
「あとなあ、お前、この女に入れ込みすぎ。これ以上近づいちゃ駄目。こいつにも直接言おうと思ってたんだけどな」
「あなたには関係ないでしょう」
「関係あるさ。お前は、俺たちの、仲間だ」
「人違いでしょう。確かに多くはない名前だと思いますが、まあ、いなくはないですから」
「人違いじゃねーんだけど、まあ仕方ないか……。じゃあお前の保護者、義理のお兄さんってことで、関係ある。お兄さん、不純異性交流は許しませんよ。どうだ」
「彼女とのことの、一体どこが不純だって言うんですか」
「雰囲気」
「ふざけないでください」
「いやマジ、お前の手つきが見ててなんか、ウワーみたいな。思いっきり恋人への扱い方だわー、みたいな」
「……ああ、それは、多分」
「え、多分、何?」
「彼女は、少しだけ、僕に似ている」
「……はあ」
「けど、たまに、他の人にも似てるんです、」
「誰に?」
「……。ねえさん、」
「……」
「ねえさんは、僕の、恋人だから」
「……まじ?」
「……。話しすぎました。出て行ってください」
「あ、おう……ってお前が授業サボってんだろ! お前が出てけ!」
「そういえば、部屋の電球切れそうだったので帰り買ってきてください」
「そのくらい自分で買いに行け!」
「車ないですし、面倒臭い……」
「じゃあまた俺の仕事終わるの待ってろ! 車出してやるから!」
「えええ……」
「どうせ家いても学校いても本読んでるだけだろ、じゃあまた連絡するから、携帯つけとけよ」
「……不良教師」
「優等生の顔した不良がよく言うよ」
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