どうでもいい話だが、私の父は関西出身である。とはいえ、小学生時代を標準語圏で過ごしたせいか、私にさして方言という方言はない。だから私自身は、なんとなくのイメージだけの関西弁しか喋れないはずだ。そのはずなのに今、自然と関西弁のようなものが口から出てきて、これが父親のDNAなのかと思い、戦慄した。
「ふざっけんなよ……まじふざけんなてめぇ……うち舐めとんのか……なんとか言わんのか!! あぁん!?」
 そのきれーな目をまん丸にしたセンセイに、ガニ股でだんだん足音を立てて迫っていく。あまりの豹変にびっくりしているようだが、一番びっくりしているのは私である。
「神様だの空間だの世界だのウンウンウンウン喚きよって……意味わからんわ! ちゅーか知るかアホ! んなもん関係あらへんやろ! 心底どーでもいいことに時間取らせて自分どう落とし前つけてくれるん!? うち急いどんのやけど! なァ!」
「……どうでもよくはないだろう? きみ自身の可能性、」
「どーーーでもいいわんなもん! だって今うちにはあのひとしか見えとらんのや! やのになんやおま! なんかけったいなこと喋りおるけど一個もわからんわ! 日本語喋りぃジャパニーズやジャパニーズ! ふざけた外人みたいな見た目しよってからに!」
「それを言うならきみの好きな彼だって……」
「はあああゆづきくんのこと侮辱する気かおめー!! 100回死ね! てか自分よお見るとブッサイクやのお〜僻みか!? 男の僻みとは醜いのお! ブス!」
「えええ、初めて言われた……一応ぼく、伝説枠だから顔は整ってるはずなんだけど」
「ふっっっざけんなゆづきくんのほうが一億年と二千年倍美人だわ!! ブスブス!! デブ!!」
 唾を飛ばしながら喚き散らす姿は狂乱そのものなのだけれど、案外心は冷静である。勝手に口が動いているだけなので、精神は何も使っていないのだ。スポーツをしてる時の頭の真っ白な感じと同じである。私に気圧されたセンセイはにじり足で後ろに下がっていたが、ついに背中を壁にぶつけた。いわゆる壁ドンである。壁ドンされるよりするほうのが先になるなんて、しかも相手がセンセイになるなんて、まだか弱い乙女だった頃の私は想像もしてなかった。ウケる。
「つーかなあ、世界が違うだの次元が違うだの釣り合ってないだの散々に言ってくれよったけどなあ! んなこともう何回も自分で考えとんのじゃボケ! わかっとんのや私が彼の隣におることなんか普通はありえやんのやって! なのにチンタラチンタラご高説垂れおって! 何も分かっとらんのはてめぇじゃボケェー! オラァ!」
 ガン! とセンセイの真横の壁を蹴っ飛ばす。多少パンツが見えようとも、まあいいや。廊下に響き渡る激しい音に、センセイの肩がびくんと揺れた。それでも食い下がってくるあたり、流石は神様、センセイ、パルキア様なのか。まあ知ったこっちゃないけど。
 というか、これほんとに関西弁? 途中で自信が無くなってくるが、まあ大事なのは勢いだ、勢い。
「わかってるなら、いいじゃないか。自分の地位を弁えて行動したほうがいいって、わかるだろ、」
「ああああそうだよなぁ、自分の立ち位置弁えたほうがいいんだよなぁ、そうだよなぁそうだよなぁ全部分かっとるわ! 何回も何回も考えすぎてこちとら鬱やわ! 自分でもわかんねーんだっつーの! なんで彼なんか、彼なんか身の丈に合わんひとを好きになったのか全然わかんねーよ! どう見ても失恋の未来しか待っとらんやんけぇぇばかぁぁあっはっはぁ!!」
「きみ、怒るのか泣くのか笑うのかひとつにしてもらえるかい……?」
「うっさい黙れブス! うわあぁん!」
「暴力的だなあ……」
 だってしょうがないだろう。涙なんて衝動なのだ。論理的に、冷静にはじき出された涙はもっと可愛い美少女がささやかな武器として使うものだ。一方の私のこの涙は、言ってみれば鈍器だ。一狩りするための巨大ハンマーだ。計算なんてまるでない、泣きそうだから泣く。笑えてくるから笑う。怒りたいから怒る。人前で、ここまでの感情を露呈したこと、そしてそれを自分ではなく、思いっきり他人にぶつけたこと。全部初めてで、手加減なんてできっこないし、したくない。
 いつのまにかたらたらと流れ出してた涙と鼻水を乱暴に袖で拭うと、コートの生地の上がテカテカ光っていた。うえーっ。その汚い袖をセンセイの服に擦りつけつつ、ばかすか殴ってみる。ストレス発散ついでに鼻水もつけてやった。楽しい。
「世界が違う、次元が違う、釣り合ってない! んなこととうに知るかっつっとんのや! そーゆーのはあんたがえらい人やから思うんやろが! うちら普通の一般市民の知ったこっちゃあらへんのや! 私はなあ、ただのフツーの女の子や! 壮大なことはなんも分からんフツーの女の子や、ただ素敵なひとを好きになっただけの女や! そのこと踏まえて喋ってもらえまへんか! あぁ!?」
 ネクタイを乱暴に掴むと、思いっきりに引っ張った。ぐいと近寄ったおでこに、勢いつけて思いっきりガチィン! と自分の石頭を衝突させる。声にならない叫び声をあげさせる間も与えず、センセイの綺麗な顔に唾と涙と鼻水をぶっかけながら、大安売りの魚屋のように、だがしかし同時に悲劇の女優の名演のように、有り余る感情をぶつけて、ぶつけて、ぶつけていた。
「私はなあ! ゆづきくんが好きなだけや! 本当の彼だとか、実は別の世界の人とか、そんなこと最初っから関係ない! 私はただ、私のそばにいてくれた彼が、私のっ、とうとい彼がっ、すきなだけっ!! 私はブスだし、全然釣り合う気しないし、ぶっちゃけ彼女とかなれる気しないし、てか私みたいな女が彼女だったら私がぶっ殺すわ!! もっと美人呼んで来いや!! だから、だから、ただ私が好きなだけ、好きって言いたいんだもん! 好きって言って、その後なんて知らないのよ! 死にたい気持ちと同じ、後先なんて考えちゃいられないくらいの苦しみ! それがっ、恋よっ、私の恋! もちろん愛してもらいたいっても思っちゃうけど、それより、私、会いたくて、言いたくて言いたくて、全部曝け出したくて! 曝け出して、私も変わりたくて!」
 がん! とセンセイの肋骨を思いっきり殴る。一気にセンセイが崩れ落ち、壁を背にずるずる座り込んだところに跨って、髪の毛を鷲掴みにしてまた叫ぶ。
「そうよっ、私、革命家なのよ! 恋をする女なのよ! 舐めてんじゃねーわよクソ野郎! 大学生にもなってこんな憂鬱抱えたままなんてイヤ! 大学生なって一人暮らしして、超絶美人になって、男を手玉に取って遊び暮らすんだからああ! そのために変わんなきゃだめなの! ここで、踏み出さなきゃ意味がないのよおお、ばかああ!」
 ばしん! 右頬を殴る。ばしん! 左頬を殴る。センセイはもう顔を上げず、サンドバッグ役に徹している。自分の激しさが解放されていくのが楽しくって、翼が生えたようにからだが軽い。言ってる内容と泣き顔に全く一致しない歓喜の感情に、自分がなんだかわからないけど、とりあえず楽しい。チョー気持ちいい。
 調子に乗った私は、もう一度センセイの前髪をぐしゃっと握りつぶして引っ張った。もう別の空間に意識を飛ばしているのか、人形のような空っぽの瞳をしたセンセイに苛ついたので、また引っ叩いて目を覚まさせた。ばちばちと慌てて瞬きをするセンセイに私はニタリと、悪の大魔王みたいに笑いかけた。
「ねえ、センセイ、私を舐めてるでしょう。恋する女を舐めてるでしょう。そうでしょう? だから、教えてあげる。本気で恋をした女ってのはなあ!! んな可愛いもんじゃねーんだよ!! 天然でふわふわきらきら可愛いのはごく一部でそれ以外は全部地べた這いつくばって泥まみれになって醜い感情と戦いながらそれを見せないようにふわふわきらきら着飾って武装してる女なんだよ!! 醜いんだよ!! 世界で一番醜くて怖ーい怨霊で、でも世界一綺麗な女だ!! わかったかああぁぁぁぁ」
 無反応なセンセイに飽き飽きして、私は涙を思いっきり袖で拭うと、立ち上がって汚れたスカートを軽くはたいた。あー、スッキリした。もう私を邪魔するものは何もない、堂々とあなたのもとへ行けるんだわ。ドアノブに手を掛けると、それまで死んでいたセンセイがあっ、と声をあげた。一応振り向いてやると、満身創痍で倒れ込んだままのセンセイが、にたりと笑っていた。その妖しさに、今度はもう何も惑わされない。至極冷静な面持ちで、その微笑みを眺めていた。
「そこへ行くのは、むりだ……。その扉の先はもう、こことは違う世界だ……ぼくが鍵をかけた世界だ。残念だけど開かないよ、きみは、そこでただ彼らが帰って行くのを眺めるだけだ……」
 センセイの、勝ち誇ったような笑み。一瞬、弱い心が負けそうになった。けれど一度灯された革命のこころは、決して消えることはない。髪の毛先をくるくる弄って遊ぶと、小首を傾げて微笑んでみせた。
「……言いたいことは、それだけ?」
「は?」
「やっぱりセンセイ、私を舐めてる。私を止められると思ってるんですか、馬鹿なんですか」
 颯爽とスカートを翻し、さっさとセンセイに背を向け、扉と向かい合う。この扉を開くコツ、昔彼に教えてもらった。一度ぐっと下に押してから、ドアノブを右に回す。そして、押す。どうやらこの最後の押しで、世界の狭間の鍵とやらがかかっているようだ。全身を使って扉を押すけど、開かない。でももう、それで諦める私じゃないのだ。両足開いて踏ん張って、女子力の欠片もない、むしろ相撲取りのような声を上げながら押す。ドアノブに手汗が滲んで滑ってくる、靴下もずるずる滑って上手く力が入らない。私一人の力じゃ、やっぱり駄目らしい。なら、どうすればいい? 私一人じゃ、駄目ならば。
 ……私がいっぱい、いればいい。
 さっきセンセイが見せてくれた合わせ鏡の奥の光景が、ヒントになった。
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