「そうしつ」




「まじでナマエがいなくなった時焦ったわ」

いつだか、彼女が突然いなくなったあの時を思い出してそう呟けば、当人はきょとりと首を傾げた。

「焦ったの?」
「え?焦るでしょいきなりいなくなるから」
「なんで?」
「なんでぇ?えぇ、結婚するとかなんとか言ってたし、他の男のとこ行くんかって、」
「イブちゃんの女じゃないのに?」
「は?」

話が噛み合わない。そう思った。
元々ナマエは独特なものの捉え方をしているし、それが自分とそりの合わないものがある事は知っていた。
けれどそれはお互いの意見が存在しているが故の対立であって、いわばその意見の擦り合わせもまた他人との付き合いなのだ。っていっても、これはナマエからの受け売りだけど。

「…どういう事?」
「どういうことって、んぇ、イブちゃん、私がいなくなって、私を無くしたって思ったんでしょ?」
「…無くしたってていうか、まぁ、うん」
「わたし、イブちゃんの彼女だし、お嫁さん…になる予定だし、親友だけど、イブちゃんのものじゃないよ」

淡々とそう言ったナマエの顔には罪悪感はおろか、怒り、悲しみ、喜びすら浮かんでいなかった。当然だった。ナマエはただ、当たり前のことを口にした、それだけのことなのだから。
ただ、俺は頭に冷水をかけられた気分がした。決定的に、価値観がすれ違っている事を知った。俺は何かとロマンチストだとか、案外夢想家だとか言われがちではある。自分がそうである事も知っている。だから、俺は漫画でありがちな「お前は俺のもの」「私はあなたのもの」なんて臭いセリフに違和感を覚える事もなかったし、今思えば恥ずかしい話、少し憧れすらした。
しかし目の前の彼女は違うのだ。

「イブちゃんは私を所有してないし、私もイブちゃんを所有してないでしょ。自分で自分を持ってるから、今こうやって2人で入れるんでしょ。どっちかが、どっちかを所有しちゃったらその時点で物と所有者になっちゃうよ」

まぁ、お互いに盲目的に好きあってる比喩っていうのも、わかるけど

「あ、でも、イブちゃんがそれでいいなら私はそれでもいいよ。石油王、温泉経営者の次は羊飼いでもしてみる?」
「…やだよナマエ絶対言うこときかねぇもん」
「んはは、イブちゃんのなら、きくよ」
「がちぃ?じゃあ今日一緒に寝よ」
「やだ」
「あーもう知らんやだやだはぁーあ」

きゅうと幸せそうに細められた蜂蜜に、これまた幸せそうに笑う俺が写っている。


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