遠い時間

ふと気が付くと駅前に立っていた。
きょろきょろと辺りを見回すとそこは都内の主要駅で、昼間だからか仕事中のサラリーマンがせわしなく行き交う。ふと自分の恰好に目をやると、学生服だった。慌ててショーウィンドウに映る自分の姿を確認するとそこには中学校の制服を着た昔の自分がいた。
「え…?」
思わず戸惑いの声が漏れる。これは夢なのだろうか。
ポケットを漁ると財布が入っていて、一応お金が入っていたのでホッとする。ただ携帯がない。中学生なんだからそうか、と変に納得してとりあえず家に帰ろうかと駅の電光掲示板を眺める。どれに乗ればいいんだろう。最近はすっかり乗換案内のアプリに頼っていたからよくわからない。そもそも自分はどこに帰ろうとしているんだろうか。
しばらくぼーっと電光掲示板を見上げていると、ふいに学生服の袖を引かれた。つられてそちらを見るとランドセルを背負った男の子が俺を見上げている。小学校低学年くらいだろうか。誰かに似ている気がする。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
ぼーっと立ち尽くしていたから心配させてしまったのだろう。こちらを見上げる彼の視線に合わせてしゃがむ。
「どの電車に乗ればいいかわからなくて……」
正直にそう答えると彼は目を輝かせた。
「ぼく、毎日この駅使ってるからわかるよ!」
得意げな表情で少年は俺の手を引いて切符売り場まで連れて行く。よく見ると彼は品の良い制服を着ていて、きっと私立の小学校に通っているのだろう。小学生のうちから電車通学なんて大変だなと思いながら大人しくついて行く。行先を尋ねられて思わず事務所の最寄り駅を答えると彼はすぐに切符の金額を教えてくれた。
「ぼくが乗る電車の隣のホームだよ」
「ありがとう」
お礼を言って別れようとしたが、改札の前で再び手を引かれる。慌てて切符を通して改札を潜った。

お互いが乗る電車が来るまで少し時間があったのでホームのベンチに並んで座る。
「ぼく、赤峰柊斗って言うんだ!」
「赤峰…?」
屈託なく笑った少年が告げた名前に驚愕する。そんな俺を見て彼は首を傾げた。
「柊斗でいいよ。お兄ちゃんは?」
「…緋山啓太」
「けいたくんかぁ」
躊躇いなく名前で呼ばれてどきりとする。どうりで見たことのある顔だと思った。言われてみれば赤峰さんの面影がある。
「今日テストだったんだ」
足をぶらぶらとさせながら彼は呟いた。
「へぇ、上手くいった?」
そう問いかけると暗い表情で首を振る。
「ううん。また先生に怒られちゃう」
ちゃんと昨日テスト勉強したのに、としょんぼりする彼にこんな幼い頃から勉強を頑張っていたんだなと感心する。でも彼には笑っていて欲しくて、小さな頭を撫でた。
「大丈夫。柊斗くんが頑張ってるの、先生もわかってるよ」
「そうかな…?」
「それにすぐに結果が出なかったとしても、今頑張って勉強したことがいつかきっと役に立つはず」
あらゆる情報を集めて依頼人を助ける彼の現在の姿を思い浮かべながら伝える。
「だから頑張れ」
拳を彼の前に差し出せば、小さな拳がこつんと合わせられた。俺を見上げた彼の表情が明るさを取り戻していてほっとする。
「けいたくんはお勉強好き?」
「うーん、俺は嫌いかな」
「えー!なにそれ!」
頑張れ、なんて言っておきながらそんなことを言う俺に彼は唇を尖らせた。
「まあでも、生きていくためなら勉強だってなんだってするよ」
学生時代は勉強なんてあまりしなかった俺だけど法律の勉強だけは我ながら頑張っていると思う。
ところでこれは夢の中なんだろうか。随分と鮮明な夢だ。
そんなことを考えていると電車の到着を告げるアナウンスが流れた。
「じゃあぼく行くね」
立ち上がった彼の頭をもう一度撫でる。
「案内ありがとう、じゃあ」
別れの言葉を言おうとして言葉を飲み込む。首を傾げた彼の手をぎゅっと握った。
「またどこかで」
「…また会える?」
「うん、きっと」
頷くと彼は笑って電車のドアへと駆けていく。
発車を告げるベルが鳴る。電車のドアが閉まり、窓からこちらを見ている彼がぶんぶんと手を振ってくれている。
それに手を振り返しながら小さな声で呟いた。
「またね、赤峰さん」
小さくなる電車を見送ったところで意識が浮上する。

目を開けると目の前に赤峰さんの寝顔があった。当然、大人の。
夢の中で出会った子供の頃の彼、かわいかったなぁなんて思いながら寝ている彼にそっと抱きつく。するとぎゅっと抱きしめ返された。
「なんだ、起きてたんですか」
「ふふ、珍しく僕の方が早く起きたので緋山さんの寝顔を観察してました」
「起こしてくれれば良かったのに」
「幸せそうな顔で寝ていたので悪いなと思って」
良い夢でも見てたんですか?
顔を覗き込んできた赤峰さんにそう尋ねられたので夢の内容を忘れないように反芻する。今度彼に子供の頃の写真を見せてもらおう。
「そうですね。赤峰さんが出てきました」
「僕?」
「はい」
意外そうな顔をした赤峰さんの頬にキスをする。触れるだけの軽いキス。
「どんな夢だったんですか?」
「ふふ、内緒です」
「え〜」
不満そうに俺の肩にぐりぐりと頭を押し付けてくる。その頭を撫でてセットされていないさらさら髪の手触りを楽しんだ。
「二度寝します?まだ五時ですよ」
今日は休みだ、もう少し寝坊したって問題ない。赤峰さんもまだ寝足りなかったのか頷いた。
「夢の中でまた会いに行きますね」
「次は高校生くらいでお願いします」
「え?」
きょとんとした彼の、今度は唇にキスをして目を閉じる。
俺たちの人生はあのタイミングでしか交わらなかっただろうけど、もしもそれよりずっと前に出会えたら。
そんなありえないことを願ってしまうくらい、彼の全てが欲しかった。