my dear…

とある土曜日、午後一で依頼人との打合せを終えて帰宅するとドアを開けるなり甘い匂いが漂ってきた。
「おかえりなさい」
今日は休みの緋山さんがキッチンからひょこりと顔を出す。
ただいま、と挨拶をしてキッチンを覗くとまな板の上にチョコが刻まれていた。
「何作ってるんですか?」
「スーパーでチョコが安くなっていたのでトリュフでも作ろうかと。ちょうど今朝テレビで作り方をやってて簡単そうだったので」
話しながら緋山さんはお湯を張った鍋の上にボウルをのせてその中でチョコを溶かしていく。
「そっかバレンタイン…!」
普段お菓子作りはしない緋山さんが何故チョコ、と思ったがもうすぐバレンタインだ。
「そうみたいですね。目立つところにチョコばっかり置いてあるから一瞬何事かと思いましたけど」
スーパーでは手作り用のお得チョコが山積みだったらしい。
「それ、もしかして僕にくれるんですか?」
期待を込めて溶かされたチョコの入ったボウルを指差すと緋山さんは手を止めてこちらを見た。
「もちろん。他にあげる人なんていませんし…あ、でも明墨法律事務所の皆さんには持っていこうかな」
「えっ、ダメです!僕が全部食べます!」
緋山さんの手作りチョコを他の人にあげるなんて!と思って慌てると彼は苦笑した。
「そんな食い意地はらなくても」
けっこうチョコ買って来たのでたくさん出来ると思いますよ、と溶かしたチョコに生クリームを混ぜながら言った緋山さんに、そうじゃないと首を振る。
「たとえ義理チョコでも、緋山さんの手作りチョコを僕以外が食べるの嫌です」
手元は邪魔しないように後ろから抱き着きながら呟くと緋山さんは混ぜ終わったチョコをスプーンでひと掬いして僕の口元に持ってきた。それをぱくりと食べると甘いチョコが口の中に広がる。
「あま」
「そりゃあチョコですから。仕方ないのでやきもち妬きの赤峰さんに全部あげますよ」
緋山さんはくすくすと笑いながら、徐々に固まってきたチョコを一口大に丸めて皿に並べていく。
「やった!」
「ちゃんと手洗いうがいしてきてください。風邪流行ってるんですから」
「はーい」
言質が取れたので言われた通り手を洗いに洗面所へ向かう。
その晩、冷蔵庫で冷やされて綺麗に固まったトリュフを緋山さんと一緒に食べた。
とはいっても緋山さんはあまり甘い物を食べないので二個くらい食べてあとは僕にくれた。
流石に全部一気に食べるのはもったいないので少しずつ食べようと残り冷蔵庫にしまうとまたいつでも作ってあげますよ、と緋山さんに笑われてしまった。

僕からも緋山さんにバレンタインのプレゼントをしたい。
そう思い立ったものの、緋山さんはあまり甘い物を好まないから何をプレゼントしようか悩んでいるうちにバレンタイン当日がやってきてしまった。
しかも昨日から明墨先生の地方での講演会に付き添いで出張だったので帰るのも遅くなりそうだ。
東京に着くのが19時を過ぎそうだったので、先にご飯を食べていて欲しいと緋山さんに連絡しておく。
気を付けて帰ってきてください、とすぐに返信が来て思わず口元が緩んだ。
「緋山さんかい?」
「へ?」
新幹線で隣に座る明墨先生に突然そう声をかけられて思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「優しい顔をしていたから緋山さんに連絡を取っているんじゃないかと」
「うっ、その通りです……」
そんなに顔に出ていただろうかと恥ずかしくなる。
「緋山さんのこととなると君は表情豊かになるからね」
「それに気づくの先生くらいですよ」
「うちの事務所の皆は気づきそうだけど」
「たしかに……」
そんなつもりはないのに緋山さんと一緒にいるといちゃつくなと紫ノ宮さんや白木さんによく怒られる。
きっと僕の表情筋が緩んでいるのだろう。
「仲が良いのはいいことだよ」
「でも今日バレンタインなのに帰るの遅くなっちゃってプレゼント渡しそびれそうです」
「おや、それは悪いことをした」
そういえば今日はバレンタインだったか、と先生は呟いた。
「いいんです。そもそも何をあげればいいか思いつかなくてまだ用意できてないので」
もうホワイトデーにお返しを渡そうか、と思い始めていた。
「花でもあげたらいいんじゃないか」
「花?」
「そう。好きな人から貰った花なら嬉しいと思うよ」
少しだけ含みのある言い方だったが、先生からのアドバイスにたしかにと頷く。
新幹線が着く時間にまだ開いている花屋があるか調べてみると意外と何店舗かあった。流石東京と思いながら、プレゼントは花にすることにした。
「ありがとうございます。花買って帰ります!」

駅で先生と別れて花屋に走った。
店頭には色とりどりの花があって何にしようか迷う。
バラの花100本とかにも憧れるけど流石に今日の今日で100本も用意してもらえないだろう。とくにバレンタイン当日だし。
それでも贈り物と言えば赤いバラだろうと思って見ていると店員さんに声をかけられた。
「プレゼントですか?」
「あ、はい。恋人に」
正直に答えると店員さんはバラは贈る本数で意味が変わってくることを教えてくれた。
「そうなんだ。じゃあ赤いのを11本で」
「かしこまりました。包むので少々お待ちください」
普段花屋に行くことがないからいろいろな花を観察しているとあっという間に花束が出来上がった。
「素敵なバレンタインを」
笑顔で見送ってくれた店員さんにお礼を言って帰路に着く。
急いで家に帰ると緋山さんが玄関で出迎えてくれたのですぐに花束を差し出す。
「ハッピーバレンタイン!」
一瞬きょとんとしたあと緋山さんは嬉しそうに花束を受け取ってくれた。
「ありがとうございます。まさか花をプレゼントされるとは思いませんでした」
「ちゃんと本数にも意味があるので、あとで調べてくださいね」
自分で言うのは恥ずかしいので答えは言わずに着替えに行く。
リビングに戻ると夕飯を温め直してくれた緋山さんが今度は花瓶を探していた。
「花瓶どこにしまいましたっけ」
「うーんその棚かな」
記憶を頼りに指差すとどうやら当たりだったらしい。
「本当に記憶力いいですよね、赤峰さん」
「そうかな。まあ暗記とかは得意ですけど」
でもキッチンはもう完全に緋山さんのテリトリーなので調理器具となると正直僕はどこに何があるかわからない。
「バラなんてもらったの初めてです」
「ちゃんと恋人に贈るんでって言って包んでもらいましたから」
「恥ずかしい人ですね」
口ではそう言いながらもまんざらでもなさそうな彼に、プレゼントしてよかったとこちらまで満たされた気持ちになる。
花瓶に生けたバラをダイニングテーブルに置いた緋山さんはスマホで写真を撮っていた。
「えーと11本でしたっけ」
そしてそのままスマホで意味を調べてくれているらしい。
少しして緋山さんは顔を上げた。心なしか少し頬が赤く染まっている気がする。
「赤峰さんって、ほんと……」
「なんですか?」
「いや、ありがとうございます」
言いかけた言葉の続きが気になったけど、はぐらかされたので大人しく今日も美味しい彼の手料理を食べ進める。

ご飯を食べてシャワーも浴びて、先にベッドに入っていた緋山さんに続いて布団に潜り込むとこちらに背を向けていた彼がくるりと寝返りを打って僕の方を見た。
そのまま彼の方から抱き着いてきたので珍しいこともあるもんだと思いながらも背中に腕を回す。
「赤峰さん」
「ん、なんですか?」
「その、」
少しだけ沈黙が流れたあと緋山さんは呟いた。
「俺の最愛も赤峰さんですよ」
一瞬間が空いて、何を言われたか理解する。
愛しさが溢れて思わずぎゅうっと抱きしめると緋山さんが慌てた。
「ちょ、そんな強く」
「すみません嬉しかったので」
少しだけ腕を緩めて緋山さんのおでこにキスをする。
僕ですら恥ずかしくて口にしなかったそれを伝えてくれたのが嬉しくて、口元がにやけるのを抑えられない。
「僕も緋山さんのこと、いっちばん愛してます」
今度はちゃんと口で伝えて、その勢いのままキスをした。
何度も唇を重ねて、盛り上がった気持ちのまま彼の服の裾から手を忍び込ませようとしたらその手を掴まれた。
「だめです」
「えー…」
まさか止められると思っていなかったのでじとりと緋山さんを見つめるとキスで蕩けた瞳のまま睨まれた。正直全然怖くないし、むしろ煽られる。
とはいえ無理やりはよくないので大人しく手は引っ込めた。
「だって赤峰さん、出張帰りで疲れてるでしょう」
僕が余計なことをしないように緋山さんがぎゅっと抱き着いてくる。
「僕は大丈夫ですよ」
むしろこのまま寝られるか怪しい。
何とか持ち込めないか粘ろうとしたが今日の緋山さんは決意が固かった。
「どうしてもだめですか?」
「その、別に嫌なわけじゃなくて、明日は二人とも休みですし」
僕に抱き着いたままもごもごと呟いた緋山さんの肩を掴んで顔を覗き込む。
「じゃあ明日は朝から緋山さんのこと抱きます」
そう宣言すると彼は恥ずかしそうに目を逸らした。
それでも小さく頷いたのを僕は見逃さなかった。
「ふふ、先に起きても逃げないでくださいね」
「朝ごはんはいいんですか?」
「ヤってから考えましょう」
「…最低」
文句を言いつつも僕に擦り寄ってきた彼を抱きしめて、互いの体温を感じながら眠りについた。