赤に染める

「もう少しで先生も戻られると思うのでお待ちください」
平日の昼下がり、依頼人の女性がアポイントの時間よりも早く来たためお茶を出して待ってもらう。赤峰さんは打合せで外出していてもうそろそろ戻る予定だ。
「すみません、早く来てしまって」
女性はエステサロンを何店舗か経営しているらしく、そのお店でトラブルがあった時に何度かうちに来てくれているから顔見知りだ。
「いえ、早いといっても少しですし。それに本当は先生ももう戻ってる予定だったんですけど」
先程赤峰さんからもう着くと連絡が入っていたからそこまでお待たせすることはないだろう。お茶だけではなんだからとこの間白木さんが来た時に持ってきてくれたお菓子も一緒に出す。すると女性は俺の指先をじっと見つめた。
「どうされました?」
あまりにも凝視されたので尋ねてみると女性はハッとして顔を上げた。
「すみません。緋山さんの指、すごく綺麗だったので」
「そうですか?」
赤峰さんも前に俺の手が綺麗だと言っていた気がするけど、彼の場合は俺のことを過大評価しがちなのであてにならない。
「ええ、とっても。よかったら今度モデルをやって頂けませんか」
「えっ、モデル?」
「はい。手だけで大丈夫なので」
話を聞くと近々メンズ向けのネイルケアを展開したいらしい。女性のネイルのように色を塗るのではなく、綺麗に爪を整えるだけだと言われたので機会があればと頷いた。
「今週はどこか仕事終わりとかでお時間ありますか?」
ちょうど週末、赤峰さんが会食の予定で俺は暇だったのでその日ならと答えるとすぐに彼女は店へ連絡を取ってスケジュールを確保していた。
「じゃあ18時にここの店でお願いします」
「わかりました」
ショップカードを渡されて店の場所を確認すると駅前だったので近いしまあいいだろうととくに深く考えなかった。
程なくして赤峰さんが帰ってきた。
「すみません、お待たせして」
「いえ、私が早く着いてしまっただけですから」
なんとか打合せ時間には間に合ったので俺もほっとして仕事に戻った。

週末、約束通りの時間に店を訪れるといかにも女性向けのネイルサロンで少し入るのを躊躇った。しかし気を遣ってくれたのか中には先日うちに来ていたオーナーと今日担当するスタッフの人しかいなかったので少しだけほっとした。爪を綺麗に整えられて、その後何枚か宣伝用の写真を撮られてすごく感謝されながら店を後にした。
「たしかに綺麗かもな」
家に帰って自分の爪をまじまじと見てみるといつもよりぴかぴかしている気がする。男でも爪を整えると指が綺麗に見えるらしい。お金を払ってまでやりたいかと言われると微妙だが良い経験をしたと少しだけ気分も上がった。
どれくらい効果が持続するのかわからないが、なるべく爪を傷つけないよう心掛けることにした。

「ただいまー」
寝室でベッドに寝転びながらスマホを弄っていると赤峰さんがそろりと顔を出した。
「あ、まだ起きてた」
「おかえりなさい」
酔っているのかふにゃりと笑った赤峰さんが上半身だけ起こした俺に抱き着いてくる。それを受け止めると赤峰さんは俺の肩口にぐりぐりと頭を押し付けてきた。甘えたな気分なのだろうか。
「酔ってますね」
「そんなに飲んでないですよ」
「はいはい。着替えたならもうこのまま寝ましょう」
風呂にでも入って溺れられたら困る。すでに部屋着に着替えていたので赤峰さんに抱きつかれたままベッドに倒れる。
「ふふ、緋山さんまだ起きててよかった」
隣に寝転んだ赤峰さんが上機嫌に手を握ってくる。指を絡めて引き寄せると手の甲にキスを落とされた。
「あれ」
俺の手を見て赤峰さんが声を上げる。握っていた手を解いて指先をじっと見つめられた。
「なんかぴかぴかしてる」
いつもよりふわふわとした言い方で呟くと赤峰さんは俺の爪を指で撫でた。
「つるつるしてて綺麗」
「実は今日、斎藤さんのところのネイルサロンに行ってきたんですよ」
斎藤さんとは、先日うちの事務所に来ていたサロンのオーナーである。
「え、緋山さんが?」
きょとんと赤峰さんは首を傾げた。酔っているからか仕草がいつもより子供っぽくてちょっとかわいい。
「はい。手のモデルをして欲しいって頼まれて」
「へぇ〜。緋山さんの手、綺麗ですもんね」
そう言って赤峰さんは俺の手に頬を寄せた。
「でも緋山さんの手に他の誰かが触れたのはちょっと嫌です」
俺の手を掴んで口を小さく開けた赤峰さんにかぷ、と指を甘噛みされた。
「ちょっと、噛まないでください」
「だって僕の緋山さんなのに〜〜」
完全に酔っ払いだ。駄々を捏ねる赤峰さんをなんとか宥めて寝るよう促す。抱きしめて背中をぽんぽんと叩いてやればすぐに寝息が聞こえてきてやれやれと呆れながら俺も眠りについた。

「緋山さん、僕にこれ塗らせてください」
翌日、風呂上がりにリビングでテレビを見ていると赤峰さんが真っ赤なマニキュアを持って俺の隣に座った。
「えっ、赤はちょっと…….」
鮮やかな赤に驚いていると彼は唇を尖らせた。
「僕の色なのに?せっかく綺麗な爪になったんですから染めさせてください」
てっきり昨夜のことは忘れたのかと思っていたがしっかり覚えていたらしい。
「ちゃんとベースコートとトップコート?も買ってきましたから」
もう片方の手に持っていた透明なそれを得意げに見せられる。
「むしろそっちだけでいいですよ。赤は目立ちすぎますって」
「え〜!塗らせてください、お願いします」
俺の膝に手を置いて、上目遣いでこちらを見上げてくる。少しの間見つめ合って結局折れたのは俺だった。
「…はぁ、今回だけですからね」
普段しっかりしているくせにこういう時ばかり年下を出してくるからタチが悪い。そんな彼のわがままをかわいいと思ってしまうから一生勝てないのだろう。
「やった!」
ぱっと嬉しそうに笑って赤峰さんは早速準備をし始めた。塗りやすいようにテーブルの前に座って赤峰さんに手を差し出す。
真剣な表情でまずは透明なベースから塗り始めた。
「うわ、はみ出た」
透明なベースははみ出てもあまりわからなかったが、真っ赤なそれははみ出ると目立つ。はみ出たマニキュアをちょんちょんと綿棒で拭いながら赤峰さんは俺の爪を赤に染めていった。
「よし、完成です!初めてにしては上手くないですか?」
解放された手を開いて爪を見ると綺麗に赤がのっていた。
「赤峰さん上手ですね」
「でしょう?また塗りたくなったらいつでも言ってくださいね。たくさん残ってるので」
マニキュアを片付けながら赤峰さんは上機嫌に笑った。
「でもそもそもの手入れがけっこう大変そうでしたよ」
サロンでやってもらったことを自分でやるとなると難しそうだ。
「う〜ん、でも緋山さんの手に触られるの嫌だし……」
酔っ払いの戯言かと思っていたけど本気で嫌だったらしい。
「じゃあ赤峰さんも一度やってもらったらいいんじゃないですか?見様見真似でいいんで俺にやってくださいよ」
面白い体験だったので赤峰さんにも勧めてみると微妙そうな顔をした。
「そんな上手くいくかなぁ」
「俺は自分でやるとか無理ですよ」
少しずつ爪を削りながら整えてくれていたが自分でやろうとは到底思えない作業だった。
「…わかりました。その代わり僕の爪は緋山さんが塗ってくださいね」
「えっ無理ですよ」
「僕にできたんだから緋山さんにもできます!緋山さんの方が器用だし」
さっきまで渋っていたくせに今度は期待の眼差しを向けてくる。
「というかマニキュアなんてして大丈夫なんですか?」
男性弁護士の爪にマニキュアが塗られていたら驚かれるのではないかと心配になる。
「裁判の時はさすがにやめますけど普段は別にいいんじゃないですか?」
僕の事務所なんだから僕がルールです!と胸を張る赤峰さんにため息を吐く。まあ今は多様性の時代だからそれもありなのかもしれない。
「わかりました。下手でも怒らないでくださいね」
「怒りませんよ!明後日、斎藤さん来るから早速頼んでみようっと」
緋色のマニキュアってあるんですかね?と当然のように俺の色を爪にのせようとしている赤峰さんにこっちが恥ずかしくなってきた。でも赤に染まった爪を見て、たまになら悪くないと思ってしまうあたり俺も毒されているのだろう。