桜の季節をかさねて

春の陽気に包まれて、事務所内に差し込むぽかぽかとした日差しに眠気を誘われていると赤峰さんがモカを連れてドタバタと二階から降りてきた。
「緋山さん!お散歩行きましょう!」
モカの首輪にはリードが繋がれていて準備万端だった。
「え?まだ15時ですけど…いいんですか?」
今日は平日で店じまいにはまだ早い時間だ。
「こんなに天気が良いのに事務所に閉じこもってたらもったいないじゃないですか!」
今日やらなきゃいけない仕事は終わらせたので大丈夫です!と胸を張る赤峰さん。午前中やたら集中して仕事をこなしていたのはこの為だったのか。
「わかりましたよ。準備するので少し待っててください」
「やった!」
早く外に出たがっているモカを連れて先に玄関へ向かった赤峰さんを追いかけるために、作りかけの資料を保存して鍵を持つ。外に出ると日差しが暖かく、過ごしやすい気温だった。
「昨日この時期最高な散歩ルートを開拓したので案内しますね!」
モカは一日二回散歩に連れて行くので基本的に朝の散歩は俺が、夕方の散歩は赤峰さんが担当している。昨日の夕方の散歩で良いルートを発見したと張り切って先導する赤峰さんとモカに大人しくついて行く。
近所でもいつもと違う道を歩くと違う景色が広がっていて新鮮だ。10分程歩いたところで閑静な住宅街の角を曲がると突然小さな公園が現れた。
「見て下さいこれ!」
満面の笑顔で赤峰さんが振り返った。彼の背後には満開の桜が広がっている。小さな公園だが桜の木が何本も植えられていて、はらはらと薄紅色の花びらが舞っていた。
「…すごい」
その美しさに圧倒されて思わず呟く。
「綺麗ですよね。どうしても緋山さんにも見せたくて」
明日から天気が崩れる予報だったから、チャンスは今日しかないと昨日の夜からそわそわしていたらしい。美しい景色を見て、それを自分に共有したいと思ってくれたことが嬉しくてつい口元が緩んでしまう。
小さな公園で遊具もないからか子供たちの姿はなく、とても静かだ。ベンチに座って桜の木を見上げる。
「おやつ持ってきたので食べましょう!」
モカの散歩用バッグとは別に紙袋を持っていたので何だろうと思っていたがちゃっかりお菓子を持ってきていたらしい。これでは花より団子だ。
モカにも犬用のクッキーをあげるとしっぽをぶんぶん振って喜んでいる。
甘いものを食べながらのんびりと桜を見上げるのもなかなか良いものだ。
「桜、久しぶりに見た気がします」
服役中は当然見ることもなかったし、それ以前は仕事に忙殺されていて周りの景色に目を配る余裕などなかった。
「来年もまた、見に来ましょう」
隣に座る赤峰さんは穏やかに微笑んでいた。
「再来年もその次も。桜の季節を数えて、一緒に歩いていきましょう」
ひらひらと花びらが赤峰さんの髪に落ちる。髪を撫でてその花びらをそっと手に取った。
「はい」
頷くと同時にざぁっと強い風が吹いて手のひらの上の花びらは攫われていった。
「あ、」
思わず追いかけるように手を伸ばすとその手を赤峰さんが握った。
「大丈夫ですよ。僕がそばにいますから」
「なんですかそれ」
「だって緋山さん、切ない顔してたから……」
握った手を引かれて指先にそっと口付けられる。
「ちょ、見られたら」
「誰もいませんよ。僕たち以外」
そう呟いた赤峰さんの顔が近づいてきて、唇を塞がれる。
「…もう」
「さすがに続きは帰ってからにしましょう。モカもそろそろ行きたそうだし」
さっきまで大人しくベンチの隣に座っていたモカがそわそわと俺たちの周りを歩いていた。赤峰さんが立ち上がって歩き出す。リードを引かれてモカもそれについていったが、少し歩いて一人と一匹が同時に振り返る。
「緋山さん、ほら早く。帰りますよ」
振り返るタイミングがあまりにもシンクロしていて思わず声を出して笑ってしまう。
「緋山さん?」
突然笑い出した俺に赤峰さんは首を傾げた。
「いえ、なんでもないです。帰りましょうか」
駆け寄って隣に並ぶとまた風が吹いた。
振り返ると、美しい桜吹雪がさっきまで座っていたベンチを覆っていた。