仕事が立て込んでいてみんな出払っている事務所で一人、黙々と仕事をしていると先生が執務室から出てきた。
「赤峰くん」
「はい」
パソコンから顔を上げて返事をすると先生がこちらへ歩いてくる。
「緋山さんと連絡がつかないんだ。様子を見て来てくれないか」
たしか今日はうちの事務所で打合せだったはず。先生が見せてきたスマホの画面にはずらりと緋山さんへの発信履歴が並んでいた。
「昨日までは普通に連絡が取れていたのだけど急に音信不通になってしまって」
このあと別の打合せが入ってしまったから代わりに様子を見てきて欲しい。先生にそう頼まれて、すぐに事務所を出た。
僕も昨日用事があって緋山さんに連絡をしたがその時は普通だった。
まさか逃げた…?
一抹の不安を抱えながら彼のアパートへ急ぐ。
アパートへ向かう道すがら、僕も何度か電話をかけてみたが呼出音がなるだけで繋がらなかった。
緋山さんが住んでいるアパートに着いて、インターホンを鳴らす。二、三回鳴らしてみたが応答がなかった。
「緋山さーん。いらっしゃいませんか?」
コンコンとドアをノックしながら声を掛けてみる。外出中だろうか。何度か声を掛けながらノックしてみると部屋の中から音がした。少ししてガチャとドアが開く。
「緋山さん、いったいどうし…って大丈夫ですか?!」
ほっとしたのも束の間、出てきた緋山さんの顔色が悪くてぎょっとする。
「っごほ、赤峰さん。すみません連絡もせずに……」
相当具合が悪いのかドアに寄りかかりながら謝る緋山さんのおでこに手を当てる。
「あっつ!すごい熱じゃないですか!」
まだ申し訳なさそうにしている彼を支えながらとりあえず家の中に入る。ついさっきまで寝ていたのだろう、引きっぱなしの布団に彼を押し込めた。
「すみません、具合悪いのに押しかけてしまって」
「いえ、っごほ、ごほっ連絡しなかった俺が悪いんで」
先生にも連絡しないと、とスマホを取ろうとした緋山さんを止めて大人しく寝るよう促す。
「先生には僕から伝えておくので安心してください。それよりちゃんと食べてますか?」
「食欲なくて……」
昨日から何も食べていないというので冷蔵庫を開けてみるが、中にはお茶しか入っておらず頭を抱える。あまり人の事は言えないがそれにしてもすっからかんだ。
「緋山さん、僕買い物してきますね。何か食べたいものありませんか?」
もう一度おでこに手を当ててみるが、かなり熱い。冷えピタも買ってこよう。
「じゃあゼリーを……」
「わかりました。すぐ戻るんでちゃんと寝ててくださいね」
近くのスーパーにでも行こうと立ち上がろうとしたら、緋山さんに腕を掴まれた。
「あ、すみませんつい…赤峰さんの手、冷たくて気持ちよかったから」
無意識の行動だったらしく緋山さんはすぐに手を引っ込めた。でも高熱で潤む瞳でそんなことを言われたらかわいそうになってきて、彼の隣に座り直す。
「あとで冷えピタ買ってきますから、今はこれで我慢してください」
もう一度彼のおでこに手をあてると、気持ちいいのか少しだけ表情が和らいでそのまま目を閉じた。しばらくそのまま様子を見ていると、やがてすーすーと寝息が聞こえてきた。
そっと手をおでこから離して、彼が起きないのを確認して買い出しに出かけた。
◇ ◆ ◇
カチャカチャと台所から音が聞こえてきて、意識が浮上する。起き上がると寝る前よりは少し身体が軽くなっていた。
「あ、緋山さん具合はどうですか」
まだぼんやりと寝ぼけた状態で台所の方を見ると赤峰さんがガスコンロの前に立っていた。俺が起きたのに気が付いて、火を止めてこちらへやってくる。そういえば赤峰さんが来ていたんだった。
「うん、さっきより熱は下がりましたね」
俺のおでこに手をあてて体温を確認すると赤峰さんは安心していた。いつの間にかおでこに熱冷まシートが貼られている。
「すみませっごほっごほ、俺すっかり寝てしまって」
喋ると咳が出るものの、起き上がれる状態までは回復した。明墨先生との打合せをすっぽかしたあげく、様子を見に来てくれた赤峰さんに看病までさせてしまって申し訳ない気持ちになる。
「気にしないでください。言ってもそんなに寝てませんよ。僕もさっき戻ってきたところですし」
そういえば寝る前に食べたいものがないか聞かれたような気がする。
「レトルトですけど、おかゆあっためたので食べませんか?」
ちゃんとゼリーも買ってきましたよ、と言いながら赤峰さんは立ち上がって台所へ向かった。起き上がってテーブルの前に座ると、赤峰さんがおかゆを持ってきてくれた。
「すみません、いろいろ勝手に使っちゃいました」
「そんな、ありがとうございます。わざわざ買い出しまで行ってもらって……」
少し元気になったからか急にお腹が減ってきた。いただきますと手を合わせて早速おかゆを食べる。
「あち」
とくに冷まさず口に入れたら少し熱かった。はふはふと口の中で冷ます。
「やけどしないでくださいね」
年下に心配されながらおかゆを食べ進める。赤峰さんって意外と面倒見がいいんだな、なんて思いながら昨日から何も食べていなかった俺はあっという間におかゆを全て食べ終えた。
「ごちそうさまでした」
「ゼリーも食べます?」
「あ、はい」
完全に世話焼きモードの赤峰さんがすぐに冷蔵庫からゼリーを出して、勝手知ったる感じでスプーンも持ってきてくれる。
「ありがとうございます」
「たくさん食べて早く元気になってくださいね」
純粋に心配されて少しむず痒くなる。
「それに無理しすぎですよ。身体壊したら元も子もないんですから」
「すみません、なかなか江越に辿り着けないから焦っちゃって……」
昔のツテを辿って様々な人に連絡してみたが現在の江越に繋がる情報がなかなか得られない。そのことに焦って寝る間も惜しんで当時見ていた闇サイトや掲示板を片っ端から巡回していたら外が明るくなっていた、なんて日も一日や二日ではなかった。結果的に無理がたたって体調を崩してしまったのでぐうの音も出ない。
「緋山さんだけが頑張る必要はないんですよ。僕でも協力できることがあったら言ってください」
赤峰さんが血の付いた作業服を持ってこのアパートを訪ねてきて以来、一度腹を割って話したからか彼は何かと俺のことを気にかけてくれる。ただ俺が逃げないように監視しているだけだと自分に言い聞かせるが、こんな風に優しくされると勘違いしてしまいそうになる。
「でも俺にできることはそれくらいしかないので」
せっかく明墨先生に裁判で勝ってもらったのに、全然力になれないのが歯がゆい。少し元気になったし、このあと少しでも調査を進めないと。そんなことを考えながらゼリーを食べていると向かい側から視線を感じる。顔を上げると赤峰さんがこちらをじとりと見つめていた。
「もう、緋山さんは自分を大切にしなさすぎです!」
先生だって緋山さんにそこまで無理してほしいだなんて思ってないはずです!
そう怒ってくれた赤峰さんに、体調が悪く弱っているせいもあって泣きそうになる。涙を誤魔化すために下を向いてゼリーを一口掬った。
「だから今日はゆっくり休んで、早く元気になってください」
優しく諭されて、じんわりと胸が温かくなった。
ゼリーを食べ終わって、薬を飲むと赤峰さんに寝かしつけられたので布団の上で大人しく目を閉じた。
次に目が覚めた時にはもう朝で、当然彼の姿はもうなかった。都合の良い夢だったのでは、一瞬そんな考えが脳裏を過ったが冷蔵庫を開けた瞬間思わず吹き出してしまう。
「いくらなんでも買いすぎでしょ」
冷蔵庫の中にはフルーツゼリーが6個入っていて、スポーツドリンクのペットボトルもたくさん詰め込まれていた。レトルトのおかゆも5パックくらい置いてあったし、加減がよくわかっていないのが彼らしい。それでも自分の為に買ってきてくれたと思えばなんだか嬉しいもんだ。
これまで業務連絡が並んでいるだけだった彼とのメッセージ履歴にお礼のメッセージと、食べきれないから責任とってゼリーを食べに来てくださいと協力要請を送っておいた。