ある日、帰宅した夫は贈り物と言って金の戒指を手渡してきた。鈍い光を放つ細いそれを手に取り、説明を求むと彼を見上げる。
「ああ。お前の体調が芳しくない時は、それを右指にはめていろ」
「芳しくない時?」
訊ねると同時に口を噤んでしまう。それが尚更不思議で首を傾ぐと、咳払いしてみせた彼が言葉を選びながら言った。
「……昨夜のような過ちを犯さぬため、購ったのだ」
昨夜、と口の中で呟いて情景を呼び起こす。少しして意図に気づき、羞恥が襲いかかってきた。ぶわっと全身が火照る。
「す、すみません!わたしったら気づかなくてっ……!」
「よい」
静かに落とされた声に項垂れる。
「無知は無法を働くと言うが、我らは契りを交わした仲。閨の無作法を咎めるほど鬼ではない」
それは諭すようにも気遣うようにも聞こえる柔らかな声だった。失態を咎められるとこわばった肩がゆるりと脱力する。胸中を占める喜びに口角を崩して彼を見上げた。
「触れられぬ時でもお前を大切にしたいと思っている」
自分でもらしくない言葉を使っている自覚があるのか、眉間には険しい山ができている。厳しい顔の中にある優しい心根に、胸がきゅうと締め付けられる。貧しい生まれで学のない私を娶ったばかりでなく、昨夜拒んでしまったというのに、彼から向けられる眼差しはこんなにも暖かい。
「……わたしも、そう思います」
この人の子供を産んであげたい、そう思った。
忘れられた指輪
出典:三余贅筆