賈詡

父が迎え入れた賈詡という軍師は、それはそれは聡明な男らしい。城内を巡った噂の真偽を確かめるべく、引き止める侍女の声を振り払って、一介の使用人に扮して近づいたことがあった。化けの皮を剥いでやるつもりが、早々に正体を見破られたばかりか、おのれの執務室に居座ることを許されてしまった。百聞不如一見、とでも思ったのだろう。

「―――その時ね、むかつくけど確かに父が迎合するだけあるって思ったの」

「姫さん、最初から俺への敵愾心を隠しませんでしたからねえ。わかりやすかったですよ」

「そこは甘言でも、姫様のあふれる才気で気づきましたと言いなさいよ。気の利かない男ね」

「なにぶん戦ごとしか取り柄のない男ですから。その手はどうも不向きで」

「そうねえ……。賈詡は世辞にも人好きする顔じゃないわよね。むしろ讒言を弄して人を蹴落とす顔をしているわ」

「あっははあ!こりゃ手厳しい。だがあなたの父上にはそれなりに忠を以て献策してきましたよ」

「……忠心がなくなったから曹操につくの?」

歯に衣を着せぬ言い方で訊ねれば、それまでの応酬がぴたりと止む。水を打ったように静まった室内に流れる沈黙は、耳鳴を引き起こした。我が父・張繍は賈詡の進言を聞き入れ、曹操に楯突いた。彼らを追い詰めるまでに至ったものの、結果は敗北。父は敗死、兵士たちも数多亡くなった。父の腹心だった賈詡はあろうことか曹操に降った。

「曹操殿は皇帝を保護し、天下に最も近しい位置に居る。他国を均すには今以上に多くの戦をし、多くの策を必要とする。そこでなら自分の才を活かせると踏んだんですよ」

「父はあなたの才を活かすに相応しくなかったと言うの?」

「まさか!張繍殿もよくしてくれましたよ。だが死んだ現実は変わらない。……俺は忠義に命を落とす気はないんですよ、姫さん」

「……そう。やっぱりあなたはむかつく男ね」

「それは失礼。――で、これから姫さんはどうするんで?まさか城と共に落ちる気ではありませんでしょ」

「そのまさかよ」

ここでようやく表情が変わる。驚愕に見開かれた目に、初めて心から笑いがこぼれた。

「知らなかったでしょ、私が命よりも思い出に耽る女であること」

「……本気で?」

「ええ、だからさよならよ。命を落とさないようせいぜい頑張りなさいね、賈詡」

薬草をすり潰したように眉根を寄せる彼を見送る。乱世に幸福など望んでなかった。強いて言うなら、好きな人と終わることを幸福とした。だが叶えられそうにないみたいだ。





幸せになれなくてもいい

前へ次へ






指先