蔡文姫

蔡文姫視点






名付けるならまさに地獄が相応しい有様だった。小さな村には埋め尽くさん限りの死体が横たわり、砂塵と共に血の匂いまでもが運ばれる。剣戟も断末魔も馬蹄の音も取り払われ、己の鼓動しか聞こえないほどの静寂に包まれている。董卓の残兵たちが食糧難のために村を襲い、村民をことごとく殺したと聞く。たった半刻で村民は死に絶え、活気づいていたであろう声は沈黙に付した。箜篌くごを構え、爪で弾く。規則正しい音が辺りに流れ、風が勢いを弱める。鼻を衝く血の匂いに胸の痛みを堪えながら奏でていると、ふと近くの茂みが音を立てた。弦から指を離すと音が止み、注意深くそちらに視線を遣る。繁茂する草木から顔を出したのはおよそ五つと思われる娘だった。

「……ぁ、あの…………」

遠慮がちに声を投げてくる。草木に身を潜ませているのは、私と彼女に面識がないゆえか、はたまた遠慮しい気性なのか。細心の注意を払って彼女に話しかけた。

「あなたはここの娘ですか?」

訊ねると、娘はこくりと頷く。きっと物陰に隠れるなりして兇手を逃れたんだろう。

「あなたのお母様は―――」

その問いかけに娘は悲しそうな顔で目蓋を伏せる。

「……そうですか。ごめんなさい、辛いことを聞いてしまいました」

きっとこの村で助かったのは彼女だけなんだろう。

姐姐おねえさん

ふいに呼ばれ、顔を上げる。やはり先のことがあったばかりなので茂みから出ることはなかったが、先程よりかは少しだけ表情に明るさが見えた。自分がそう思うだけかもしれないが。

「さっきの……」

目線がちらちらと傍に置いた箜篌へ向かうのを見て理解する。

「よろしければお聴きになりますか?」

目をぱっと輝かせ、こくこくと首を振る。くすりと笑みをこぼし、弦を弾いた。演奏が終わるまで言葉はなかった。乱世では誰の命もが等しく危機に晒されている。死と隣り合わせが常というこの時代に、彼女のような遺児は珍しくない。肉親の死を間近で見た彼女の傷心は如何ばかりだろう。せめて、私の旋律が慰めとなりますように。弦にかけていた指をそっと離し、震えるそれに宛てがい音を静める。茂みの中の娘は顔いっぱいに笑みを浮かべた。

「―――ありがとう」

暗く塞いでいた顔が明るくなり、自分の胸の痛みがふっと和らぐ。名前を訊ねようとして瞠目した。茂みに居た彼女の姿が溶けて消えたのだ。慌ててそこへ分け入り、地面に伏せる体を見て思わず膝が崩れ落ちた。





重なった偶然
匈奴に連れ去られた時のこと

前へ次へ






指先