姜維

「―――今日の差配、素晴らしいものでした。おかげで大きな被害を被らず、素早く敵国を攻め落とせました」

と、姜維は言う。私はそれに笑って返した。満足したのか彼は部屋を出ていく。誰も居ない部屋で口角が緩み、息をつく。彼は自分を至高の君主として称える。何をしても好意的に捉え、忠誠心を見せつけてくる。周囲は忠臣だのと言うが、自分には無邪気な子供が駆け寄ってくるようにしか見えなかった。かつては逆の関係であったというのに。姜維は父が呼んだ家庭教師で、幼い私は彼に師事した。月日が流れて私が一国の主として立つと、家庭教師の彼は丞相となった。途端折り目正しくなった彼と数多の死線をくぐり、国秉こくへいは増幅する一方。傍から見ればよき主とよき丞相だろうが、常彼の視線を受けている身としては少々疲れてきた。彼は口癖のように「民のための政を行うべきだ」と教えてきた。それは一理ある。けれど最近思うのだ。彼は私に道を示しているのではなく、己の道を私に歩かせているのでは、と。自分が歩いている道は彼が均したものでは、と。吐き出した言葉が果たして自分が考えたものなのかという疑念が尽きない。一見崇高に見える訓示も、一歩引いてみれば偏屈にしか見えない。何故そんなこと思うのか、それは先だっての戦の折、敵将と話す機会があった。自らの考えに基づいて兵を挙げたと堂々答える彼に問われた。「守るべき民が乱を起こしたらどうする」かと。治世で民が反乱するものかと言った私を彼は鼻で笑った。「寝物語で育ったような君主ですな」と彼の言葉に胸を穿かれた気になったのは、おそらくそれが事実であるから。そうだ、私は姜維の教えだけをすべてとして育った。父の位を順当に受け継ぎ、父が積み上げた城の中で権威を振るい、父が用意した家庭教師の教えのみを自分の言葉にした。その事実を突きつけられ、足元が大きく揺らいだ。敵将は大きな置き土産を遺した。以降というもの、姜維の顔がまともに見られない。温厚篤実で今まで尽くしてくれたというのに、信じられなくなってしまった。敵の言で弄されていると諌める自分も居れば、彼の言は事実だと自責する自分も居て、寝ても醒めても恐れが抜けない。胸中にとぐろを巻く不明瞭な靄はどうすれば晴れるのか。

「私は一体どうすればいいのだろう……」

教えてくれ、姜維。図らずも彼の名前が浮上し、気分が暗くなった。丞相は君主をたすけるものであり、決して弄するものではない。だから彼は誠心誠意輔けてくれているはずだ。なのに脳裏に描く彼の輪郭が酷くぼやけ、胸が締め付けられた。





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