司馬懿

司馬昭視点



元姫と賈充の監視から逃れるべく、邸の裏側に延びる茂みの中へ身をひそませた。晴れ渡る空と降り注ぐ暖かな陽光。日当たりの良い場所で寝そべると、顔に日差しが当たった。気持ちよく寝られそうだ、と目蓋を閉じた時。

「―――まあ。素敵な庭ですね」

鈴を転がすような清廉な声が飛び込み、ぱちりと目を開ける。のそりと上体を起こして辺りを窺えば、茂みの向こうに二つの影を捉えた。繁茂する草を掻き分けて注視すると、それが我が父上とその寵妃・名前殿であると知る。楚々とした佇まいで父上の傍で微笑んでいる彼女が見ているのは、庭師に命じて隅まで手入れされたこの園林にわだった。こちらが草木に身を隠しているためか向こうが気づいた様子はなく、せっかくだからと事の成り行きを見守ることにした。

「司馬懿殿は、碩学せきがくなだけでなく風流も嗜んでおられるのですね」

「最低限の嗜みも立身の上では必要不可欠ゆえ」

「なるほど。勉強になります」

「名前殿は何のために勉学なさるので?」

「私、ですか?そうですね……。司馬懿殿が満足されるか測りかねますが、自分は好んで学んでおります。己の無知を知り、知識という水を与える行為は、思いの外楽しゅうございまして」

「学を楽しむ、ですか。我が愚息にも言い聞かせたいものですな」

「司馬懿殿のご子息は聡明だと聞き及んでおりますが……」

「下のことです。あれは怠惰が先行し、どうも本腰を入れようとしない性質でして」

「あらあら」

覗き見という後ろめたい行為を除いても、居た堪れない心地になった。父上、俺がここに居ることもしや知ってて言ってるんじゃないんでしょうね。父上が最近ご執心という名前殿は、詩文に明るい女性と聞く。春花の美貌と謳われるほどの容姿と機転の早い頭を併せ持つ彼女が、父上の目に止まるのはよくよく考えれば不思議なことではない。ただ一つ、俺含め家中が騒ぐのはそれが父上の片恋慕であるということ。詩才にあふれた彼女は肝心の父上の心中までは見通せていないようで、狼顧の相と謳われる父上でも流石に手を拱いていた。

「向こうも満更でもないふうなんだし、一気に押せばいいのに」

ぽつりと呟く。彼女が好む花を植える父上と、頻繁の誘いを断らない彼女。誰の目にも、関係に名前がつくのは時間の問題だと映るだろう。くあ、と大きなあくびをして身を引いた。頑張ってくださいよ父上。愚息は応援してます。





箝口令

前へ次へ






指先