火計コンビ

「なるほど。大まかな状況は掴めました」

呂蒙に師事し、卓越した見識を備えた孫呉の軍師・陸遜が神妙に頷く。

「さっきまで動いてたんだ、どんな無茶だって応えてみせる」

猛々しい声を上げるのは、呉の君主の学友にして熱き闘志を燃やす男・朱然である。

「私は、敵をここに誘き寄せて西の水門を破壊するという案を提示します」

固い面持ちで冷然と言い放ったのは陸遜と同じく軍師を務める孫呉の女軍師・名前だった。

「水攻め、ですか」

「確実かつ手っ取り早いかと。こちらとて、資源は豊富にあるわけではないですから。使えるものは使いませんと」

「しかしそれだと近隣の集落にまで影響が出るぞ」

「お志はご立派ですが朱然殿、これは戦ですよ。相手を潰さない限りこちらの死者は止まりません」

「他に方法はないのか」

「水攻めが最良かつ最短というのに、悠長なことをおっしゃる。少数で相手させ、持ち堪えてくれる間に援軍要請出しますか?」

「いえ。それではあまりにも時間がかかる上に、この地形で少数ではまず持ち堪えられないでしょう。兵を無駄死にさせると同然です」

「陸軍師殿のご賢察通り、無駄死にさせる代替案です。私からは水門破壊による水攻めを推奨します。この戦は短期かつ今ある手勢で押し切らねばなりません」

天幕の中には重苦しい緊張感が流れる。真っ直ぐに張った弦のような、いつ切れてもおかしくない、そんな緊張感だ。成り行きを静観する一兵卒は、天幕内を包む沈黙を悠久とすら感じていた。それを破ったのは、地図を広げている几から唐突に顔を上げた陸遜だった。

「―――火計でいきましょう」

決定権を握るのは陸遜だ。彼が火計と言えばその流れになるだろうが、これに対する反応は二つに分かれた。

「おお!やるのか陸遜!」

嬉々に目を輝かせる朱然。

「血迷われましたか陸軍師殿」

対する名前は深々と溜息をつき、落胆の意を露わにした。

「確かに水攻めもいいでしょう。ですが朱然殿の言い分も必定。戦は敵を倒すためにあって、土地を潰すためにありません」

「……それで何故、このような複雑な地形で火計という馬鹿―――失礼。もっとも単純でもっとも効力が広い一手を執るので?一歩間違えればこちらも全滅ですよ」

「名前殿はご存知でしたか、この地にはある一定の時間、東西の風が吹くことを」

名前はしばし考え込むと、顔の辺りで飛び回る蚊を見つけた時のような顔を見せた。

「書物で散見した程度ですが。しかしそれらはいずれも不確定要素が多く、推奨できません」

「朱然殿、今の季節は何ですか?」

「うん?冬だな」

「はい。冬は乾季が長く、もっとも火計が活きる時期です。それだけでなく、なだらかに形成された地形は水路も作りやすい」

「水門は開けるということですか」

「はい」

「陸遜……!」

食ってかかろうとした朱然を、陸遜の眼差しが黙らせる。

「水門は破壊します。ですがそれは集落がある方向ではありません。敵を一点に集めたこちらへ流します」

陸遜の言を聞き、名前はにわかに目を見開く。

「新たな水路を作るつもりですか」

「流石ですね、すべてお見通しというわけですか」

「……朱然殿、出していない手勢はどれほど残ってますか」

「ざっと見積もって百といったところだ」

名前はその言葉に微かに口元に笑みを乗せた。余人から見れば差異に気づかないほどだが、名前の人となりを深く知る陸遜と朱然は、彼女の口から紡がれるであろう妙策に喜色満面になる。

「重畳。それほどあれば水路を作るに事欠きません。既に出ている部隊には伝令を一人出し、残りはすべて水路作りに回しましょう」

「だがどうやって敵を一点に集めるんだ?見え透いた先導や罠にかかるような奴らじゃないぞ」

「―――罠など自ら入ってもらえばいいんですよ」

「つまり、どういうことだ?」

「退路を塞ぐんです」

朱然の問いかけに陸遜が答える。陸遜の指が、地形を描いた地図の上をさっと滑る。

「既に出した部隊を二分割し、一方は水門間近に行かせ、分かれたもう一方は追尾する敵の後方に回ってください。水門を見た彼らは水攻めだと気づき来た道を引き返そうとしますが、そこは数名の兵で立ち塞がり、残りはそれより後方の茂みにひそんで松明をいくつか持ってください。できなくても音を鳴らすだけで結構です。背中には敵の手に落ちた水門、前には所在不明の大軍と来れば、彼らは必然的にここへ逃げ込むしかありません」

「あとは陸軍師殿の神が掛かった読みが当たれば、東西の風が吹き、火を放てば一網打尽。消火は溜めた水に任せればいい、という算段です。水路については何処に横穴作れば繋がるか既に把握していますので、決定次第すぐに命を下します」

「流石ですね。名前殿には学ばされることがまだまだあるようです」

「孫権殿の兵を預かる身なれば当然のこと。―――ついては朱然殿、あなたには逃げ込んできた敵の足止めと点火をお願いしたい」

「あぁ……!俺が火計を成すんだな!任せてくれ、誰一人逃がすことなく討ち取ってみせる!」

「では陸軍師殿、号令を」

この戦の総司令官は陸遜であるため、兵を動かすには彼の下知が不可欠となる。今は亡き大都督・呂蒙に師事して年若くも卓越した慧眼を備えた軍師・陸遜は、代々軍師を輩出する家に生まれ己の見聞を磨いた名前と二人と肩を並べて雄飛する一羽の火の鳥・朱然を見て、力強くただ一言。

「―――我らの手で赤壁を再来させましょう」





雄材大略ゆうざいたいりゃく

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