「なんだ」
「これからどうしよっか」
「……さあな」
「私は帰郷しようかなって思ってる」
隣で彼女が息を呑む。
「この前ね、親からの手紙が届いたの」
「なんて書いてあったんだ?」
「お父さんが倒れたんだって。お母さんが今面倒見てるんだけど、歳のせいで思うように体が動かないから帰ってきてほしいんだってさ」
「帰るのか」
訊ねられ、言葉がすぐに出てこなかった。家を出た理由は家族の不仲ゆえだ。とりわけ父とは昔から折り合いが悪く、顔を突合せばぶたれることばかり。堪りかねて家を飛び出した手前、本音を言えば戻りたくなかった。しかし行く宛てもなく、頼みの綱としていた呂布殿は先の戦で討たれてしまった。残ったのは一つの手段だけ。
「…………帰るよ」
女が一人で身を立てるなど考えられない時代。身分のある生まれならば違っただろうが、自分みたいな農民ではまず望めない。それは、そんじょそこらの男より腕が立つ玲綺にも言えること。
「玲綺は行く宛てあるの?」
「どうだろうな。父上の下を出ていくなど考えたこともなかった」
彼女の指針はいつも父・呂布殿だった。だがその呂布殿は斃れ、軍師の陳宮殿は主君と同じ末路を辿り、泣く子も黙る遼来来と謳われる張遼殿さえも曹操に降った。呂布殿を頭にして作られた自軍はもはや誰も残っておらず、共に飲み明かした兵士らも何処ぞへと散っていった。変わり果てた自軍を見て彼女の胸に去来するものはなんだろう。
「もしよかったらだけどさ」
おそるおそる口を開く。前を向いていた彼女が、不思議そうにこちらを一瞥した。
「一緒に来ない?」
前々から言いたかったことだ。彼女には行く宛ても帰る場所もない。だったら一緒に来てほしかった。―――いや、ちょっと違う。たとえ彼女に行く宛てがあろうとも誘ってたと思う。一人にしないでほしかった、というのが本音。こんな弱音、口が裂けても高潔な彼女には言えやしないが。
「いずれな」
初めて見る顔だった。ふっと口元を緩ませた笑みに、何も言えなくなる。断られたことにきゅっと胸が痛んで、しばらく沈黙が流れた。鼓動するたびに痛む胸を抑えて立ち上がる。
「わかった。いつか会おうね」
「ああ」
「じゃあ行くよ。元気でね、玲綺」
「ああ。お前もな」
「…………一緒に居られてよかった」
そう言い残し、踵を返した。立ち去る間際に一言。
「―――私もだ」
行く場所なく彷徨っていた私を、自分の付き人として拾ってくれた彼女。彼女みたいに強くないにも関わらず決して見下したりしないで、いつも対等に接してくれた。さながら友人みたいな。長い長い人生の中で、彼女と過した時はほんの一瞬に過ぎないだろうが、私は死ぬまでこの鮮烈に色付いた思い出を忘れることはないだろうと漠然と思った。
幸せになってよ