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「あのさ、カロル。あたしハルルに来るの初めてなんだけど、ここって結界ないの?」

結界魔導器(シルトブラスティア)というものがどういう形をしているのか知らないハルカの目にも、それらしき物が見当たらないとわかる。あるのは草花と民家、それに葉の生っていない巨木だ。

「そっか。だったらハルルの樹の結界魔導器も知らないんだ」
「魔導器(ブラスティア)の中には植物と融合し有機的特性を身に付ける事で進化するものがある、です。その代表が、花の街ハルルの結界魔導器だと本で読みました」
「へぇ……博識だね、エステル。わかり易くて助かったよ。ありがとう」

素直に礼を言って微笑めば、エステルは照れ臭そうに笑い返してくれた。けれど、穏やかに流れ始めた空気を打ち消すようにユーリは口を開く。彼の黒の強い紫色の瞳は、少し離れた場所で未だ治癒術を使っているアイナの背中を写していた。

「で、その自慢の結界はどうしちまったんだ?役に立ってねぇみたいだけど」
「毎年、満開の季節が近づくと一時的に結界が弱くなるんだよ。ちょうど今の季節なんだけど、そこを魔物に襲われて……」
「結界魔導器がやられたのか?」
「うん。魔物はやっつけたけど、樹が徐々に枯れ始めてるんだ」

どこか呟くようにそう教えてくれたカロルとユーリの間をひとりの少女が走り過ぎて行く。カロルが短く「あ」と零して目を見張った。

「どうしたんです?」
「ごめん、用事があったんだ!」

じゃぁね!と残して走り去るカロルの小さな背中を見送りながら、ユーリが右手を自分の腰に落ち着けてため息を漏らす。

「勝手に忙しいやつだな。エステルはフレンを探すん」
「ごめんユーリ。エステルってば、また勝手に行っちゃった」

だよな、続くはずだった彼の語尾に被せてハルカが申し訳なさそうに言った。それから街の奥の方を指差して、ユーリの目は指先を追う。彼の唇から再び重く息が零れた。

「大人しくしとけって、まだわかってないらしいな」
「フレンって人、どうすんだろうね」

ハルカは苦笑いを浮べながら、ユーリと共に遠巻きにエステルを見る。長い尻尾を揺らしながらラピードが彼女の後に続き、しゃがみ込んで手当てをしているアイナの隣に姿勢よく「お座り」をした。

「私にも皆さんの手当てをさせてくれませんか?」
「なんと、あなたも治癒術をお使いになるのか!?えぇ、それはぜひとも!……あ、いや、ですが、私らお金の方は……」

必要ない、と笑ったエステルがアイナの手当てを受けていない人を順に治癒を施していく。ひと通り治療を終えると、年老いた男性が代表してアイナとエステルに深々と頭を下げた。

「なんとお礼を言えばいいのか……」
「いえ、本当にいいですから」
「このくらい、気にされる事でもないですよ。困った時はお互い様です」
「謙虚なお嬢さん方だ。騎士団の方々にも、見習ってほしいものです」

そう老人が漏らすと人々に影が落ちた。その中で、まだ少し幼さの残る女性が眉を寄せ声を荒げる。

「まったくですよ!騎士に護衛をお願いしても、何もしてくれないんですから」
「嘘、そんなはずは……」

呟いて俯いたのはエステルであった。信じられない。騎士団は人々を守る為にあるのではなかったのか。それに、ここにフレンは来なかったのだろうか。彼もハルルの人々が困っているのに見過ごしたというのだろうか。そうだったら、とても悲しい。なんて、そんな事で済む問題なんかじゃない。

「あ。でも、あの騎士様だけは違ってましたよね?」

思い出したように若い女が言うと、老人は僅かに顔を綻ばせた。

「おぉ、あの青年か。彼が居なければ今頃私らは全滅でしたわ。今年は結界の弱まる時期が早く、護衛を依頼したギルドが来る前に襲われてしまいましてな。偶然、街に滞在していた巡礼の騎士様ご一行が、魔物を退けて下さったのです」
「その巡礼の騎士は、フレンという名前ではありませんでしたか?金色の髪に碧眼の青年なんですが」
「えぇ。フレン・シーフォという騎士様でした」

アイナの問いに若い女性が答える。俯いていたエステルが勢いよく顔をあげて食い付いた。

「まだ街に居るんですか!?」
「いえ、結界を直す魔導士を探すと言って旅立たれました。東の方へ向かったようですが、それ以上の事は……」

申し訳なさそうに老人が肩を落とす。けれどエステルは、嬉しそうに笑った。今度はエステルとアイナが礼と共に深く頭を下げる。それからラピードを連れて、人の輪から少し離れてこちらの様子を伺っていたユーリとハルカの所に歩み寄った。遠巻きだが話を耳にしていたハルカはエステルに微笑する。

「よかったね、フレンに追いついて」
「はい……会うまでは安心できませんけど、よかったです」
「ハルルの樹でも見に行こうぜ。エステルも見たいだろ?」

そう提案したユーリの隣には、もうアイナとラピードが当然のように戻っていた。いつものように待たずして先に行ってしまう彼らの背中にエステルが呼びかける。

「ユーリ達はいいんです?魔核(コア)泥棒を追わなくても」

するとユーリは、顔だけを僅かにこちらに向た。

「樹、見てる時間くらいはあるって」



ハルル自慢の樹がよく見える橋の上にぽつんと、カロルは膝を立てて座り込んでいた。

「人違いかぁ……ギルドのみんなも居ない……ずいぶん待たせたからなぁ。怒って行っちゃったんだ」

呟いた独り言に反応してくれる人は誰も居ない。目の前にある自分の膝を抱え、カロルはそこに額を置いた。

「満開に咲くハルルの花……見せてあげたかったのに。そうすれば、きっと……」

言葉はカロル自身の耳に空しくもしっかり響く。そこへ、樹を近くで見ようと向かっていたユーリ達が通りかかった。

「カロル、どうしたんです?」
「どこ行っちゃったんだろう。ほんとに行っちゃったのかな。ボクだってちゃんとやってるのに」

エステルの声は、カロルに届いてはいなかった。決して耳に入らない距離ではないし、彼女の声が小さかった訳でもないのに。
誰にだって、ひとりになりたい時がある。慰めが痛みになる事だってあるのだ。

「ひとりにしといてやろうぜ」

ユーリが言う。それも、ひとつの優しさだ。今はカロルにとって、それが一番いいのだろう。ハルカもアイナも彼と同意見だった。

「おしまい、おしまい。もうおしまい、ほんとにおしまい。何がなんでもおしまいだ……」

悲しげなカロルの声を耳にしながら、ユーリもハルカもアイナもラピードもその場から離れていく。エステルは酷く名残惜しそうに後に続いた。

別の道から樹の傍に行けるだろう、と他の道を進んでいると前方に三人の子どもが輪になっているのが見えた。彼らは頭に鍋を被ったり手に枝を持ったりしている。

「武器も用意したし、これで魔物と戦えるぞぉ!」
「長も、戦っていいって言ってくれるね!」
「フレン様みたいに魔物もやっつけよ〜!」

手にした枝を天高く突き上げて「お〜!」と声を揃えると、子ども達は走ってどこかへ行ってしまった。

「あんな子どもまで……早く、結界が戻ればいいのに」
「そうだね……」

エステルの呟きにハルカが小さく頷く。子ども達の駆けて行った方に目を向けていた彼女達は気付かなかった。アイナが俯いて下唇を噛む。青白くなるほど強く握られた拳に、ユーリがそっと触れた。ゆっくりと彼を見上げても視線が交わらない。代わりに、ふっと力の抜けた拳を解いて指を絡められた。

内に秘める思いがあった。

『私、なら……』
『ちゃんと、わかってるから』


ふたりの間に言葉はない。
それでもアイナにはユーリが何を言いたいのかわかったし、ユーリもアイナが何を思うのか理解していた。

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ほたるび