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いつも柔らかい彼女の声色は更に柔らかく、涙声の子どもと会話をしているようであるのが聞き取れた。子どもを宥めるエステルの声が近くなって来れば来る程、僅かに明かりも見えてくる。
少しの光の先にユーリ達の影を、そしてその奥に巨大な鉄格子を見た。格子の大きな隙間から光が入り込んでいるらしい。ハルカとリタは明かりとユーリ達の姿に安堵したが、アイナの表情は依然として冷たかった。それが更に氷のように冷たくなったのを目の当たりにして、ハルカもリタも思わず身を震わせる。
「はて、これはどうした事か。美味しい餌が増えていますね」
巨大格子の向こう側に現れた初老の男の、まるで空気を読まない音だった。ユーリは目を細めると、左手を腰に落ち着けて息を吐く。
「あんたがラゴウさん?随分と胸糞悪い趣味をお持ちじゃねぇか」
「趣味?あぁ、地下室の事ですか。これは私のような高雅な者にしか理解出来ない楽しみなのですよ。評議会の小心な老人どもときたら退屈な駆け引きばかりで、私を楽しませてはくれませんからね。その退屈を平民で紛らわすのは私のような、選ばれた人間の特権というものでしょう?」
「まさか、ただそれだけの理由でこんな事を……?」
エステルが体ごと震わせて声を絞り出した。両の拳を握りしめて下唇を噛み締める彼女に気付く様子もなく、ラゴウは「さて」と尚も発言を続けようとする。
「リブガロを連れて帰って来るとしますか。これだけ獲物が増えたなら面白い見世物になります。まぁ、それまで生きていれば、ですが」
「リブガロなら探しても無駄だぜ。オレらがやっちまったから」
「……なんですって?」
「聞こえなかったか?オレらが倒したって言ったんだよ」
「くっ……なんという事を」
「飼ってるなら、わかるように鈴でも着けときゃよかったんだ」
鋭く細められたユーリの目と、低く這うような声にたじろぐラゴウだったが、ひとつ、ふたつ咳をして気を取り直したつもりなのだろう。少しばかり上ずった声で、まだ言った。
「まぁ、いいでしょう。金さえ積めば、すぐ――」
「もう黙りなさい」
ラゴウ、と呼ぶ音は凛として気品に満ちており、思わず背筋が伸びる。
「上に立つ者の使命をも忘れ、尊い命を弄ぶあなたは高雅などではない」
穏やかな声と、激しい怒りを帯びている冷たい声とが重なって響く。それが発せられている体は淡い光を帯びていた。徐々に強くなっていく光も、二重に聞こえる声もラゴウを怯ませる。が、彼のプライドは酷く慌てた音を搾り出させた。
「な、何を言う!そのような物言いを、この私にして許されるとでも……!」
「ひとつひとつの命の重みを、尊さを理解出来ず、しようともせず。ただの殺戮にしか過ぎない行為を楽しむなど愚の骨頂。恥を知りなさい」
「く、口を!口を慎みなさい!誰に対して物を言っているのかもわからない愚か者め!平民の命などなんの価値があると言うのです?私のように高雅な者のために生き、死ななければなんの価値もない虫けらではありませんか!」
ラゴウが吠え、エルテルがまた下唇を噛み締める。我慢出来なくなった彼女は両手の拳を握りしめて力いっぱい叫んだ。
「ラゴウ!それでもあなたは帝国に仕える人間ですか!!」
悲鳴にも似たような印象のエステルの、ラゴウを咎める声。彼の視線がやっと、その時エステルへ移った。ラゴウの目がこれでもかと言わんばかりに見開かれ、不愉快な言葉を紡ぎ続けていた口が音もなく開いたままになる。
「あなたは……まさか?」
その瞬間、アイナを包む光が更に強くなって彼女から離れていく。そのまま女性的な人型を取った光は、ラゴウに向かって突進していった。短い悲鳴を上げて身を縮めようとするが、その行為も意味を成さず壁に当たって幾多の光の粒を生む。少しずつ消えていく光は、どこか幻想的だ。
しかしラゴウは、己の身が何も変わりないとわかった途端、ユーリ達を捕らえるよう叫びながら逃げた。それで気が抜けたのか、なんなのか。光を失ったアイナの膝がガクリと折れる。素早く反応したユーリがその体を抱き留め、同時に反応したラピードが彼らの足元で悲しげに鳴いている。
「アイナ、アイナ?」
ユーリが軽く揺すってもアイナは目を閉じたままで、その声に応えるように眉を寄せて唸る。半分だけ押し上がった目蓋の奥にある瞳が、虚ろにユーリを見上げた。意識もぼんやりしているのだろうか。ユーリの胸板に頭を預け、また目を閉じる。それでも呼吸は穏やかで、僅かな明かりで見える顔色も、つい先程までに比べたら良くなっていた。
「アイナどうしちゃったの?ユーリ……」
「……寧ろオレが教えて欲しいくらいだよ」
今にも泣きだしそうなカロルに背中を向けたままで、ユーリは呟くように返す。彼らしくなく、酷い困惑を孕んだ声色だった。
ユーリも知らない、アイナの中に眠る力の一面なのだろうか。ユーリは知らなくてもハルカには、なんとなく思い出される事があった。この世界に落ちて、目覚める前に聞いた女の嘲笑う声。ぼんやりとしか覚えていなかったし、目まぐるしく状況が動いていたから気にもしなくなった。けれど一度気になったら、なんだか気になって仕方がない。
「(あの冷たい声とアイナは……何か、関係あるのかな?ユーリとフレンに相談してみた方がいいのかな)」
確証は何ひとつない。ただの直感だ。それでも、もし関係あるのなら、自分がこの世界に来たのとも関係があるのだろうか。
ユーリが眉を寄せてアイナをきつく抱き締める。それを見たリタは思いっきり舌を打って魔術の詠唱を始めた。するとアイナがユーリの背に両腕を添えて彼女の名前を優しく呼ぶ。集中を妨げられて不機嫌そうに、リタが声を絞った。
「……何よ。騎士団が踏み込むための有事ってやつが、必要なんじゃないの?とっとと済ませた方がいいでしょ」
「まだ早いよ。証拠の魔導器(ブラスティア)を確認しないと」
「天候を操る魔導器を探すんですね」
「うん。だからユーリ、放して?私ならもう、大丈夫だから」
「……ほんとに、大丈夫なんだな?」
「もちろん。さっきのは、私にもよくわからないけど……なんかすっきりした感じ。ほら、さっきより顔色もいいでしょ?」
アイナがそう言うと、ユーリはやっと顔を上げた。彼女の手がユーリの頬に触れて、彼はその手を包み込む。本当に顔色がよくなっていた。それからアイナは、今は自分の心配よりも先にしなければ事があるとユーリに言う。
「(どうするのが正しいのか全然わからないけど、アイナの言う通りだ。とりあえず、今はここに来た目的を果たす事だけ考えなきゃダメだ)」
ユーリに向けられた言葉に、ハルカも心を決めて前を見据えた。やっとアイナを解放して立ち上がったユーリが、アイナの手を取って引く。その力の助力で立ち上がった彼女は、全員を見回して「私なら大丈夫」と笑った。
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ほたるび