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アイナ、と震えた声でユーリが呼んだ。困惑する仲間を置き去りにしたまま、彼はただアイナを抱き締める。けれど彼女の腕が背に回る事がないまま、求め続けていた体温はあっさりと離れていった。
眉間に皺を寄せているユーリへ苦い笑みを見せて彼女は言う。

「話を、しようか?」
「……当然だろ」

そうだよねと呟いたアイナが目を伏せ、ユーリはそんな彼女のか細い手を強く握った。

もう、どこにも消えてしまわないように。



息子をカロルと仲間達に任せると、彼らは何も問わず別室へ行ってくれた。つい先刻まで食事していた名残のある机を挟んで、ふたりは向かい合わせに座る。

重い沈黙が長く続き、やがてユーリが這うような声を出した。

「カロルは、知ってたのか?オレ達の事」
「話した事は一度もないよ。けど……街の人達の反応や子どもの顔を見て、薄々気付いてはいたんだと思う」
「街の人達、ね。じゃぁおっさんも知ってたんだな」
「おっさん?……あぁ、もしかしてレイヴンさんの事?うん、知ってたよ」
「……やっぱりか」

今思い返せば、この家がある方へ足を運ぼうとするといつも彼に気を逸らされていた。レイヴンだけではない。ひとつの事に気付けば、この街全体がユーリから彼女を隠していたようにも思えてくる。事実そうなのだろう。ひとりやふたりの努力で、何度も足を踏み入れた街で必死に探し求めていた人に出会えないなんて事は、きっとない。

「なぁ、アイナ」
「ん?なぁに、ユーリ」

まるで昔に戻ったみたく、あの頃のまま返事を返してくれるだけでユーリの心は酷く歓喜した。けれど今はまず、どうしても訊かなくてはいけない事がある。

「どうして何も言わねぇで、オレの前から消えた?」
「もう、気付いてるでしょ」
「そうだな。でも答えになってねぇよ」
「……そうだね」

会話は一度、そこで途切れた。ユーリの目線は相変わらず鋭いままアイナに向けられている。それが何を意味しているのか、わからないほど浅い仲ではない。彼は待っているのだ。彼女の口から、ここに来た経緯が語られるのを。

沈黙はなおも続き、アイナは目を伏せる。やっと覚悟を決めた彼女は、静かに語り始めた。



下町で生活を始めて三年ほどの時間が経った頃だった。すっかり慣れた生活の中で体調が悪い事に気付いたアイナは、特に誰に言う事でもないと誰にも具合が悪いと言わずに市民街にある病院へ向かった――それが、ひとつ目の不運。

妊娠していると、当然のように告げられた。アイナにとって後にも先にも肌を重ねたのはユーリだけで、そうなると必然的にユーリの子が宿っているという事になる。
その頃は丁度ユーリが独房に入れられたばかりで、しばらく帰っては来られない。だからひとりで考える時間はたっぷりとあった――それが、ふたつ目。

ユーリが意思疎通の出来ない赤ん坊を苦手としている事と、彼自身の生い立ちを考え……否、必要以上に考え過ぎた事――それらが、ふたつの不運と重なったのが始まりだった。

「(ユーリの傍に居たい。けど、きっとユーリは子供が出来た事を喜んでくれない。離れてく。捨てられる。それでも、このお腹に宿った命を殺すような事はしなくない)」

不安ばかりが積もっていたせいで、正しい判断が出来なくなっていたのだろう。拒絶されてしまう前にユーリの前から消えてどこか遠く離れた場所へ行き、ひとりで産んで、ひとりで育てるのが一番いいのではないか。そういう結論に至ってしまい、アイナは大した準備もないまま衝動的に帝都を飛び出した。

魔物で溢れている決壊の外で妊娠しているアイナが無事に戦い抜ける保障は皆無だ。それでも母子共に何事もなくダングレストまで辿り着けたのは、当時カロルが所属していたメルゾムのギルドのお陰だった。

「出来るだけ帝都よりも遠くて、影響の受けない所に行かなければいけないんです」

襲われている所を通りかかった彼らに助けて貰ったアイナは、何故ひとりでこんな所に居るのかと訊かれても、ただそれだけ答えた。元々顔見知りだったのと必死さが相まって、彼らはダングレストまで無償で護衛すると言う。

当時はまだ様々なギルドを転々としていたカロルは、まだ上手く馴染めておらず、道中も到着後もアイナの一番の話し相手だった。ダングレストに到着するとすぐメルゾムと再会し、先に連絡を貰って準備をしてくれていたらしい彼に全面的に甘える事にする。

メルゾムは忙しいだろうに、よく様子を見に来てくれた。街の子を持つ女達にも声をかけ、少しでも不安がなくなるよう気軽にアドバイスを貰えるようになった。生活に困らないよう、妊娠中でも出来るような仕事を回してくれた。他の人達も、何かと目をかけて助けてくれる。

お陰で生活に何も不自由はなかったが、ユーリの元を離れてから、アイナの心にはまるで穴が開いてしまったようだった。突然寂しさが襲いかかり、彼女を蝕んだが離れる選択をしたのは自分自身だと、唇を強く噛んで耐える。そんな日々に、カロルは寄り添ってくれた。彼自身もどこにも馴染めず、寂しかったのかも知れない。けれどアイナの心はカロルに救われたのは確かだった。

日常を重ねる度にカロルを自分の弟みたく思うようになり、彼もまたアイナを姉のように慕うようになる。そうやってごく自然に姉弟になり、ユーリの居ないダングレストでの生活に慣れようとしていた頃――アイナは元気な男の子を出産した。

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ほたるび