03


長い話を終えたアイナは、すっかり冷めてしまった紅茶を口に含んだ。ユーリは俯いてしまい、どんな表情をしているのか、彼女は窺い知る事は出来ない。だがこれ以上語る事は何もないから、と黙ったままでいる。

長い、長い沈黙があった。ユーリはアイナが自分の罵倒を待っているのがわかっていた。そうでなくても、彼女はきっと責めて欲しいのだ。そうされて当たり前の事をしたのだと思い込んでいる。

ユーリはただ、悲しかったのだ。苦しくて、虚しくて――心底愛しい人を守りきれなかったのかと悔しかった。

「……ごめんな」
「え?」
「ごめん、アイナ。そんなに不安にさせて、ひとりで子ども産ませたりして、ほんとにごめん」
「どう、して……」

真摯に頭を下げるユーリに、アイナは動揺を隠せないまま思わず震え声を荒げる。

「ユーリが謝る必要なんてないでしょ!謝らなきゃいけないのも、責められなきゃいけないのも私の方!私が逃げたから!だからこんな、ユーリを苦しめるような結果になったのに……!」
「お前が逃げたのだって、オレのせいだろ」
「違う、私が弱かったから……ユーリのせいじゃない!」
「オレのせいだろ」
「違うってば!」
「違わねぇだろ!オレが!ちゃんと言わなかったからだ!!」

酷く声を荒げたユーリが乱暴に立ち上がり、その勢いで叩かれた机が大きな音を上げ椅子は倒れる。アイナは鳩尾を打たれたように声も立てられず息を呑んだ。胸中に広がるのは怒鳴られた恐怖ではない。心をかき乱す程の驚愕だった。混乱して言葉が出ないまま消えていく。

「オレの事をわかってくれてるから、別に言わなくても伝わってるって思い込んでたからだ」
「ユー……」
「言わなくても伝わるなんて、そんな都合のいい事がある訳がねぇのにっ」
「ユーリ」

アイナは耐えきれず、背伸びをして彼の首に両腕を回し抱き締めた。ユーリよりも随分と背の低い彼女では、彼に少し腰を折るか屈むか貰わないと足がつってしまう。わかっていても、そうせずには居られない。

だって、泣いていたんだ。あのユーリが顔を歪めてボロボロと涙を流していた。ランバートが亡くなったあの夜以来、一度だって見た事がなかったのに。

彼は皮肉屋でぶっきらぼうで大雑把だけれど、心根は温かく優しいのをアイナは知っている。実は存外傷付きやすい人であるのも、寄り添って生きた日々の中で彼女だけが見付け、知っている一面だ。それでも泣くなんて事とは縁遠い人だと、知っていた。だから余計に苦しくなって、見ていられなかった。

弱々しく背中に回ったユーリの腕が、なんだか心地よくて目蓋を下ろす。抱き締める腕を少し強めてから、アイナは穏やかに言葉を紡ぐ。

「私達は肝心な話をしてこなかった……そのせいだね。もっといろんな事を話せばよかった。籍は入れるのか、とか」
「子どもは何人欲しいとか?」
「うん」
「……これからは、オレとしてくれるか?そういう話も、それ以外の話も」
「もちろん。いっぱい話そう、ユーリ」

どちらともなく顔を近付け、心を込めたキスを交わす。離れて見えた顔が互いに涙でぐちゃぐちゃなのが、なんだかおかしくて笑い合った。こつん、と額を合わせて至近距離で見詰め合い、また唇を重ねる。

今、ちゃんとここに居る。夢じゃないのだと確かめ合うように強く、強く抱き締める。そのまま、ふたりでまた涙を流した。



ユーリとアイナの会話は、隣の部屋に移ったカロル達の耳にも届いていた。誰も何も言わず、長い沈黙が続いている。

カロルは日に日に似ていく姉の子や街の大人達の反応から、まさかとは思っていた。けれどこんな風に縁があったなんて考えた事もなかった――否、考えないようにしていたのだと、今は思う。

「(お姉ちゃんは、いつもボクの手紙をどんな気持ちで読んでいたんだろう……)」

頻繁に「ユーリ」と書いていた気がする。その度に困らせていたのだろうか。傷付けて、いたのだろうか。

「かろ、いたい?」

姉の子が心配そうにカロルを見上げている。彼はそこで、やっと自分が泣いている事を知った。

「ち、違うんだ。これは、えっと」
「かろ、いたい、いたい……やぁ」

目が潤んでいく。その場に居る全員が「あっ」と声を漏らした。次の瞬間、彼は大きな瞳からポロポロと涙を零し始める。声を上げて本格的に泣き出すまで、そう時間はかからなかった。

隣まで聞こえたのか慌てた様子でドアを開け、ユーリとアイナが顔を出す。アイナより先に駆け寄って抱き上げるユーリ。とん、とん。と、ぎこちないが優しい手付きであやすと彼を泣きながら見詰めた幼子は、やがてユーリの服を懸命に握り、その胸板に顔を埋める。まるで父親だとわかっているような仕草に、ユーリが一番驚いた。けれどすぐに表情を崩す。

カロルは初めて見た。ユーリの酷く優しく心底嬉しそうに、照れ臭そうに笑う顔を、アイナの幸福に満ち溢れた表情を。

こんな姿を、いつまでも見ていたいと願った。

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ほたるび